黒髪の男の子
ルカの説明では、5人の王子たちは、【魔王】討伐のため、めいめいが必要だと思う準備を進めているとのことだった。
「ここから一番近い場所に居るのは、【琳 楊賢】王子でしょうか。
琳王国の第一王子様です。
【魔王】討伐の旅に必要な馬を調達するため、馬屋におられます」
「馬屋ね。
それにしても、ルカのその情報網は、一体どこから……」
「近衛隊長ですから。当然です」
私は、ルカの道案内で馬屋へ向かった。
馬屋は、街はずれのそう遠くない場所にあった。
門が開いていたので、早速中へと入ろうとした私をルカが止めた。
「あ、姫。あまり不用意に動き回られては、危険です」
「何言ってるのよ、中へ入らないと分からないじゃない。
ルカは、外で待っていて。
あなたが一緒だと、私が姫だって、すぐにばれちゃうわ」
私は、不満そうなルカをそこに置いて、一人で中へと入って行った。
「えーっと、琳 楊賢王子様は、どこに……」
私がきょろきょろと辺りを見回していると、何やら厩の方から馬の嘶く音と、人の叫び声が聞こえてきた。
「うわっ……!
だ、誰かソイツを止めてくれーっ!!」
「……え?」
声のした方を見ると、一頭の馬が鼻息荒くこちらへ向かって走って来る。
馬の後方から誰かが叫びながら、馬を追い掛けているのが見えたが、
馬は、速度を緩めるどころか加速していくので、追い付けないようだ。
「え? え? え?」
突然のことに、私は気が動転して、その場を動く事が出来なかった。
その間にも、暴れ馬は、どんどんこちらに接近して来る。
「危ないっ!!」
その叫び声と暴れ馬が私の目の前に迫ったのは、ほぼ同時だった。
(いやっ……!!)
私は、次に来るであろう衝撃と痛みを覚悟し、思わず両目を堅く閉じた。
しかし、いくら待っても衝撃はやって来ない。
(…………あれ?
痛く、ない……?)
「……大丈夫かっ?!」
ふいに暗闇の中から声がした。
その力強い声が私を現世へと連れ戻す。
私が恐る恐る目を開けると、目の前に私を心配そうに覗く男の子の顔があった。
「おい、大丈夫か?!」
(……だれ?)
黒髪の可愛い顔をした男の子だった。
東洋系の顔立ちで、どこかで見たような気もするが、気のせいだろう。
「……どうした、どこか怪我でもしたのか?」
現状を理解出来ずに放心状態でいる私を見て誤解をしたらしく、
男の子が慌てた様子で眉を寄せる。
「あ、ううん。……大丈夫、みたい」
私は、いつの間にか地面に尻もちをついていたようだ。
身体のどこにも痛みがないことを確認すると、改めて男の子を見上げた。
「立てるか?」
そう言って、男の子がこちらに手を差し伸べてくれる。
「……あ、ありがとう」
私は、男の子の手を借りて、立ち上がった。
(……あれ、この子……私よりも背が低い。
尻餅ついてたせいかな、
なんだかこの子が大きくみえたんだけど……)
改めて目の前の男の子を見てみると、まず、見慣れぬ服装が目を惹いた。
何枚も布地を重ねて前で交差させ、紅い腰帯で留めている。
一番上には、紺色の羽織を着ており、その服装の所為か、見た目の年齢よりも落ち着いて見える。
短く切りそろえられた黒髪も、この国の人ではないことを表している。
「無事で良かった。
危ないところだったな」
男の子に言われて、私は、ようやく自分が陥っていた状況を思い出す。
「あれ、私…………生きてる」
男の子は、私の言葉に何故かむっとした表情で返した。
「当たり前だ。死なれてたまるか」
「……え?」
どういう意味だろう、と私が訊ねる前に、
先程馬を追い掛けていた人が息を切らしながら駆け寄って来た。
手に手綱を持っているところから見て、厩の番をしている店の者だろう。
「大丈夫でしたかっ?!」
「大丈夫だ。怪我はない」
おそらく私に聞かれたのであろう問いかけに、男の子が代わりに答える。
それを聞いた厩番は、安堵の溜め息を漏らして頭を下げた。
「本当にすみませんでした!
先程の馬は、ちょうど発情期の馬でして……。
急に暴れ出してしまって、手がつけられなかったんです」
……という事は、その馬は私を見て興奮したという事だろうか。
「馬屋が馬を管理しきれなくてどうする。
もう少しで大怪我を負わせるところだったんだぞ!」
「す、すみません……」
厩番は、遥かに自分より年下の子供に怒られているというのに、やけに恐縮している。
それだけの威厳がその男の子にはあった。
私は、何だか厩番の人が可哀想に思えてきて、横から口を挟んだ。
「あ、あの……もうそれくらいに……
私は、大丈夫なので」
(……あれ?
でも私、何で無事だったのかしら?)
自分で言ってから気付いたが、先程私に突進してきていた暴れ馬は、少し離れた場所で草を食んでいる。
「いやぁ、それにしても、君がいなかったら、どうなっていたことか……。
まだ子供なのに、馬の扱いに慣れてるんだね」
厩番が関心したように男の子を見た。
しかし、男の子は、何故かむっとした表情でそっぽを向くと、投げやりな口調で答えた。
「……家で馬を飼っているんだ」
どうやら私は、この不思議な恰好をした男の子に助けられたようだ。
先程、『死なれてたまるか』と言っていたのは、その為だろう。
助けようとした相手に死なれてしまっては、誰だって後味が悪い。
「何のお礼も出来ないけど、何か困った事があれば、いつでも言ってくれよな。
まぁ、馬を貸す事くらいしか、出来ないけどね」
厩番はそれだけ話すと、仕事があるからと言って、
傍で草を食んでいる馬に手綱をつけると、馬小屋の方へ引き連れて行った。
(……そうだ、助けてもらったお礼をまだ言ってなかった)
私は、改めて男の子に向き直ると、膝を折って感謝の意を示した。
「危ないところを助けてくれて、本当にありがとう。
良ければ、あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
それを聞いた男の子の表情が突然、険しいものになる。
(……あ、あれ?
私、何か変な事でも言ったかしら?)
無言で下を俯く男の子は、怒っているような、泣いているような妙な顔だ。
私がどう声を掛けて良いのか分からず戸惑っていると、男の子がぱっと顔を上げた。
「……別に。偶然、居合わせただけだ。
名乗るほどの者でもない」
(な、何かしら……急に態度がそっけなくなって。
さっきまでは、あんなに親身になって心配してくれてたのに……)
「何の用があって、こんな所へ来たのかは知らないが、
これに懲りたら、大人しく家へ帰るんだな」
それだけ言うと、男の子は、くるりと私に背を向けて、門の方へと歩き始めた。
(私、あのまま馬にぶつかっていたら、きっと無事では済まなかった。
助けてもらって、このまま何もしないで別れるなんて……)
「ちょっと待って!」
私は、男の子の背中を追い掛けた。