表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

morning

作者: celestial



──堕ちてゆく。



 深い深い闇に、ゆっくりと静かに……沈みこむ。何も見えない。

 暗い、冷たい、孤独。

 辺りは暗闇。この空間に存在するのは私だけ。他のものはなにもない。

 そして私は闇に溶けてゆく、呑まれてゆく。

 深い深い闇に、ゆっくりと静かに沈みこむ。


「   」


 不意にどこからか声が聞こえた。

 それはどこかで聞いたような、懐かしくて優しい声。

 途端に辺りは白く輝き始める。私を包み込んでいた闇は霧散し消えゆく。

 そして光が私の体に、顔に、目に染みる。

カーテンから差し込む一条の光。


「悠花、起きて。朝だよ〜」


 心地よい振動。

 ゆっさゆっさ、と体を揺すられ私は更に深い眠りに堕ちよううとして……。


「悠花? 早く起きないとイタズラしちゃうよ?」


 飛び起きる。

 耳元で優しく囁かれる言葉。少々朝から聞くには刺激が強すぎて、今まで眠っていた私の頭も一気に覚醒する。


「何て起こし方すんのよ!?」


「あ、やっと起きた?」


 目を開けると私のベッドの端に浅く腰を掛けて柔和な笑みを浮かべた彼の姿が目に映る。

 もしかして、ずっと寝顔を見られていたのだろうか?

 ……なんか悔しい。


「もう、目覚めが悪いじゃない……!」


「早く起きない寝坊助さんが悪いんだよ? ほら、朝ご飯出来てるから、早く起きてね」


 まるで母親のような口振りの彼。

 八つ当たり気味の私の言葉も寝起きとあってか、今ひとつ覇気が感じられずに軽くいなされてしまう。

 そしてキッチンの方からは食欲をそそる匂い。

 この匂いは……。


「……和食?」


「うん、ちゃんとお味噌汁は悠花の好きな白味噌だよ?」


 味噌汁と言えば白味噌である。ご飯との相性がたまらなくよろしいのだ。


「ご飯も悠花用に一升炊きにしてるから、早く起きなよ?」


「そ、そんなに食べないわよ!!」


 私が顔を真っ赤にしながら叫ぶのを彼は何か微笑ましいものでも見るように優しく見る。

 ……この男にいいように遊ばれていると感じるのは私だけだろうか?





 高校を卒業してから五年の歳月が流れた。

 僕は悠花と同じ大学に通い、高校生活と同様に大学での四年間という歳月を彼女とともに過ごした。

 僕らの通っていた大学は地元とは少し離れていたため、結果として僕は大学の近くのアパートで一人暮らしをすることになり、当然同じ大学に通う山田家で居候をしていた悠花も同じアパートで一人暮らしをすることになった。

 とは言っても、一人暮らしだとか言いつつ僕と悠花の部屋が隣だったりベランダがくっついていたりと、あまり一人という実感もなく今までと同じように日々を過ごしていた。


 ただ一つ変わったものがあるとすれば、僕と悠花の関係。


 世間で言うところの「カップル」と言うヤツをやっている。

 もっとも悠花のことは昔から知ってるので今更という気もするが、そこは突っ込んではダメ、ということで清く健全なお付き合いをさせて貰っている。

 そしてそれから暫く、喧嘩をすることも多々あったりはしたが無事お互いに大学を卒業することができた。

 卒業後、僕は教員免許を取得し当時はウザイなんて思っていたセンセイなんかをやっていたりする。悠花の方は「OLって柄じゃないから」との理由で部活感覚で近くのスーパーのパートをやっている。

 まぁいいんだけどね。そんなに儲けは多くはないけど悠花を養っていけるぐらいにはあるから。

 ……で、これは全くの余談ではあるが僕たちはまだ大学に通うため借りていたアパートに住んでいる。

そして当然の流れとして、毎朝僕は愚直にも家事全般の能力が著しく欠ける悠花のために朝食を作りに及び悠花を起こしにわざわざ隣の部屋まで足を運んでいるのである。


「おいしい?」


 目の前には朝食をガツガツと食べる僕の愛しの彼女の姿……と、おぼしきモノ。

 もはや人と呼ぶのも躊躇われるような素晴らしい食べっぷりである。


「本当に一升炊きが無くなっちゃいそうな勢いだね」


 手品。そう表現したくなるような食べっぷり。

 お椀の中の白米が次々とイリュージョンのように消えてゆく。

 作った方としてはこれだけ美味そうに食べてくれれば、これほどまでに嬉しいことはないのだが……。


「……最近、少し丸くなった?」


「なっ!?」


 がばり、とお椀に顔を埋めていた悠花が顔を挙げる。

 あ、ほっぺに米粒ついてる。可愛い〜……。


「ちょっと、誰が太ってるって!? もっぺん言って見なさいよ、明日のお日様拝めなくしてやるんだから!」


 ……なんて考えている場合じゃないよね。だって命の危機だもん♪


「悠花、ちょっと落ち着かない? ほら、ほっぺに米粒が……」


 ひょいと頬についた米粒をとり、パクリと食べる。うん、美味しいね。


「あ〜き〜ら〜!!」


 悠花の髪がザワザワと揺れる。目からは強烈な殺気を放ち、今にも飛びかからんとしているようにも見える。というか、今にも飛びかかろうとしている。

 まぁ片手にお椀、片手に箸だから怖くはないんだけどね。寧ろ怒ってる顔も可愛いし。


「何ヘラヘラしてんのよ!!」


「う〜ん、だってねぇ……?」


「えっ、あ、ちょっと?!」


 悠花の背後に周りそっと抱き締める。

 うーん、やっぱり肉付きか少し良くなったというか、抱き心地がちょうどよくなったというか。

 まぁ前は少しスリム過ぎたから、このくらいでちょうどいいんだけどさ。


「全部明のせいなんだから……!」


「と、言いますと?」


 腕の中で大人しく抱きしめられていた悠花が唐突に振り向く。

 しかも、何で僕のせい何でしょうか?


「だって、明が美味しい料理つくるからいけないんじゃない!」


「………」


 いや、んな理不尽な。何か罪をなすりつけられたしさ。

 むぅ、と上目使いで見上げる悠花。僕は今、世の理不尽さを思い知った。


「じゃあこれからは悠花が料理作る?」


 少し意地悪な質問。

 だって僕は悠花が料理を作れないことを知っているから。

 いや、本人曰わく「おむすびなら作れるもん!」らしいが、ソレは料理とは呼べないと思う。故に悠花は料理が作れない。


「……明のイジワル」


「重々承知しています、姫様」


 なんだかご機嫌斜めっぽくなった悠花に恭しく頭を下げる。

 料理が作れないのはちょっとしたコンプレックスらしい。だから、たまに弄ったら拗ねてしまう。それでその拗ねた顔も可愛いからまた弄っちゃう。

 それの繰り返し。

 これが僕らのコミュニケーション。ちょっと屈折してる気もするけど、悠花が可愛いからオールOK、問題無し。


「ほら、悠花。飴ちゃんあげるから機嫌直して?」


「うわぁーい、やった〜、飴だぁ……って、つられるかぁ!!」


「ちっ」


 昔は飴玉一つあれば余裕で懐柔できたのに。悠花さんも成長しましたねぇ〜。

 などと少しズレたところでしみじみと悠花の成長を実感してしまう。


「じゃあ何でだったら懐柔されてくれる?」


「ふん、モノじゃつられないんだから!」


 腕を組んでそっぽを向く悠花。めちゃ可愛い。

 至って本人は本気でいじけて見せてるつもりなんでしょうけど。


「ならこれで手を打ってくれる?」


「え、ちょっ……!?」


 唇と唇が触れる程度の軽いキス。

 二人の影が板張りの床でそっと重なり合った。





 不意打ちは卑怯だと思う。いきなりキスをされたら今まで何に拗ねてたのか忘れてしまうではないか。

 これを卑怯と言わずなんと言うんだろうか。


「知らなかった?僕は卑怯で嘘吐きでついでに狡猾なんだよ?」


 ニコリと微笑みながら

そんなことを口にする明。ただ微笑んではいるものの、目がこれっぽっちも笑っていないのでかなり怖い。


「でもそれって人として最低じゃない?」


「はっはっは、そんなこと言ってると今日の晩ご飯は抜きだぞ♪」


 明の乾いた笑い声が食卓に響く。

 ただ私にとっては死活問題に関わることなので笑いごとじゃない。


「まぁ冗談はさておき、食べ終わったなら食器を洗うから食器を持ってきて」


 キッチンの方からエプロンを身にまとい腕の裾を捲り挙げた明が声をかける。

 うん、何て言うか私よりも明の方がいいお嫁さんになれる気がする。家事炊事は完璧だし、気配りは出来るし。


「絶対に明って完璧主義者でしょ?」


 一家に一人は欲しい人材。それが明である。

 ……もっとも誰にも明を渡すつもりはないのだが。


「う〜ん、別に完璧主義者ってわけじゃないけど、悠花には美味しいご飯を食べて欲しいから一生懸命ご飯を作るし、悠花に気持ちよく過ごして欲しいから掃除もちゃんとする。ただそれだけのことだよ?」


 一般の人間が口にするには限りなく恥ずかしいセリフをにべもなく言ってのける明。自分の顔が急激に朱くなるのが解る。

 因みに完璧な余談ではあるが明の高校時代のアダナは“ナチュラルホスト”。

 本人の自覚なしに次々と甘いセリフで女の子を堕としたことからつけられた異名。

 ってか、あのバカは女の子に優しすぎるから、要らん勘違いをさして泣かすはめになる。明に泣かされた女の子を当時一緒に同居してたってだけの理由で何回私が慰めなければいけないはめになったことか……。

 とにかく、アイツに羞恥心なんてものはない。

 恥ずかしいセリフも自然に言ってしまうような奴なのである。


「……悠花? どうしたの眉間にシワなんか寄せちゃって?」


 なんか昔のことを思い出してたら腹が立ってきた。何で私が明のフォローしなきゃいけないのよ!


「悠花ちゃん?」


 あ〜、もぉ!!


 明の脳天気な顔を見てたら余計に腹立ってきた!


「せいっ!」


「ぐはっ!!」


 明の鳩尾に黙ってボディブローを叩き込む。

 ふぅ、スッキリした。今日も1日気持ちよく過ごせそうだわ。

 え、理不尽?

 そんなことは解っているわ!

 などと、私が鬼畜なことを考えていると、


「……悠花、突然何をするんだ。残念ながら僕に被虐趣味はないのだけれど」


 明が復活した。

 相変わらずの打たれ強さ、まさに不死身。完全に『決まった』手応えがあったのに。


「悠花はそんなに晩ご飯がいらないんだ?」


 あ、明が怒った。


 その証拠にほら、満面の笑顔だけど口元がピクピクと引きつってるし、目は笑ってないし、背後に黒いオーラが出てるし……。

 うん、端的に言うと超怖い……が、今の私には切り札がある。


「明? いいの、時間よ?」


「なっ!?」


 ギョッとした明が時計を見る。すでにいつもなら出勤している時刻である。


「じゃあ悠花のお仕置きは仕事している間に考えておくから、帰ったら楽しみにしておいてね」


「いや、そんなこと考えてないで真剣に仕事しなさいよ」


「はっはっは、仕事よりも悠花のお仕置きの方が大事だよ♪」


 本日二度目の明の乾いた笑い声。


「ま、別に仕事休んで悠花のお仕置きを考えても構わないんだけどね」


 などと真顔でろくでもないことをのたまう彼。

 私が自分で言うのも何だけど、明は私のこととなると性格が一変する。こいつは本当に仕事を休みかねない。


「いや、それは流石に人としてどうかと思うわよ?」


「ふふ、冗談だよ」


 そう言って破顔一笑。どこまで本気なのかイマイチ解らない。

 そもそも、こんな人間が教師でいいのだろうか?などと、かなり疑問に思ったりする今日この頃。

 私は呆れを多分に含ませた視線で明を見る。


「ん? 何、僕の顔に見とれちゃって。今日もハンサムって?」


「バカ言ってないで早く行ってきなさい。“お仕置き”とやらは期待せずに待ってるから気をつけて行ってくるのよ?」


「うん、分かってるよ。教師が遅刻したんじゃ洒落にならないからね」


 ヒラヒラと手を振りながら玄関に向かう明。

 本当に解ってるいるんだか、かなり不安になる仕草である。


「あ、そうそう」


 不意に明が何か思い出したようにクルリンと身を翻す。

 何か忘れ物でもしたのだろうか?

 いや、でもそれなら隣の自分の部屋に取りに行く筈だ。

 じゃあ何の用だろうか?

 そこまで考えた所で私の思考は止まる。


唇に柔らかい感触。


 はっと顔を挙げると明のニコニコと無邪気な笑顔。


「うん、悠花エネルギー充電完了! これで今日も1日仕事が頑張れるよ」


「……さいですか」


 もう悠花エネルギーが何ぞやとは突っ込まない。この男に突っ込みだしたらキリがないことは私が一番知ってるから。

 そして悠花エネルギーとやらを充電した後の明が妙にハイテンションになって扱いに困るのも知っているから軽く流す程度に留めておく。


「じゃあ、行って来るよ」


「はいはい、気をつけて」


 バタン、とドアがしまる。

 全く困った男だ、何だか疲れた。

 あの男のことが好きな私はよっぽどの物好きなんだな、なんて考えて思わず笑みが零れる。


「……早く帰ってこないかな〜」


 明の行ってしまった部屋で私の声が寂しく響き、やたらと大きく感じた。


皆さま、甘いものはお好きですか?


この物語も甘い感じに仕上げてみましたが、たぶん胸やけを起こす部類の甘さです(笑)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ