一目惚れ
しとしとと湿った音がする。
故郷からうんと遠く離れた場所で最初に私を出迎えたのは、雨が地面を濡らす音だった。
私は黄金の砂が輝く国からやってきた。
黒い髪に青い切長の瞳、長いまつ毛、柔らかな体、他にも沢山良い所のあるとんでもない美人だ。
それにお母さんが繕ってくれた、色とりどりの手触りの良い布で作られたドレスを着ている大変幸福な娘だ。
今迄沢山の友達や姉妹と仲良くそれはそれは幸せに暮らしていたのに、なんでこんな急に湿った灰色の空気に包まれたつまらない所に連れて来られたのか、さっぱり意味が分からない。
(私を納得させられる大層な理由を、提示出来るんでしょうね?)
ふんと鼻を鳴らし不満に思っていた私の眼に飛び込んできたのは、
柔らかそうな金髪。青みがかった灰色の瞳。ふわふわと丸いほっぺたや指。
全身に優しい雰囲気を纏った、それはそれは美しい男の子だった。
***
男の子は毎日私にいっぱいお話しをしてくれた。
近所のおじいさんとワンちゃんのこと、お母さんお父さんのこと、一緒に遊ぶ友達の話、お父さんが中々家に帰って来れなくて寂しいこと、将来の夢。
それに毎日私と沢山遊んでくれた。
私は男の子が車を動かす所を見たし、建物を作る所も見た。外に出て秘密基地に招待してもらったし、白い紙に綺麗な絵を描く所も見た。たまに車にも乗せてもらった。
男の子には聴こえてなかったみたいだけど私も故郷のお話をいっぱいした。
毎日がとても幸福だった。
男の子は私のすべてだった。
でも。
男の子のお父さんがたまに帰って来ると、男の子の為にまた別の子を連れて来る。
ある時は真っ赤な制服を着た兵隊さん、ある時はふわふわのくまさん、ある時はすとんとした黒い髪赤い唇のごわごわした服を着た女の子、ある時はギザギザの歯の恐竜、ある時は綺麗に髪を巻いてレースのドレスを着た女の子、ある時は、ある時は、ある時は…
男の子は優しい子だから新しく来た子に私と同じ様に遊んだりお話ししてあげていた。
男の子は平等なのだ。
………。
最近全然男の子が遊んでくれない。
***
ある日、バタンと元気よくドアを開け、男の子がお部屋に誰か連れて来た。
金色の髪、灰色の目、全体的にふくふくした、男の子より背の低い幸福そうな女の子。
その子と男の子は楽しく遊んだ後、女の子が駄々を捏ねてレースのドレスの女の子を連れて行った。
男の子は
「●●●は仕方ないな。大事にするんだぞ!」
と、笑っていた。
目の前が真っ暗になったその時、ふとよく知った匂いがした。
なんだっけ?
…そうだ。男の子がお部屋に戻ってくる時に大体付けてくる香り。何か飲み食いした時の香り。
確か。
「紅茶はお嫌いでしたか?」
優しそうな瞳が私を見つめる。
「いらっしゃいませ。私は願いの魔女です。
ここにいらしたという事は何か叶えたい願いがあると言う事。出来ればお話しして頂けませんか?
あなたの願いを叶えるお手伝いが出来るかもしれません。」
魔女がふんわりと笑う。
お花みたいな人だ。なんとなく安心する。
安心するから全て話した。
大好きな男の子の事。
別の子と遊んでばかりで寂しい事。
人間の女の子を部屋に連れて来た事。
女の子が願えば簡単に手放されてしまう事。
……私の事は見てもくれなかった事。
「一度でいいから男の子とお話ししてみたい。人間の女の子の姿で一緒に遊んでみたい。
……私と昔遊んでくれた事を覚えてくれているか、聴いてみたいの。」
魔女は黙って私の話を聞いてくれた。
そしてゆっくり息を吸い込んで、
「分かりました。あなたの願い叶えましょう。」
と、そう言った。
魔女は続ける。
「ただし、対価が必要です。私は魔法を使う代わりにお客様のお時間を頂戴しています。
今回の場合でしたら貴女の残りの寿命を頂きます。」
悲しそうに顔を曇らせ、まだまだ続ける。
「貴女は大事にされていたのであと80年、いや、もっと生きる事が出来るかもしれません。男の子と同じ家でずっと暮らせるかもしれないんです。
その可能性を捨てても、願いを叶えたいですか?」
私はすっと息を吸い、答えた。
「ーーーーーーー。」
***
シンと冷えた空気が私を包む。
いつの間にか私は、男の子の秘密基地に立っていた。
沢山の蝋燭の灯りと満天の星空で彩られた秘密基地で、私のルームメイト達が楽しそうに踊っている。
ふと、くしゃりと草を踏む音が聞こえた。
男の子だ。
男の子が笑顔で真っ直ぐ私の所へ来てくれた。
男の子が今迄何事もなかったかの様に自然にお話しをしてくれた。
初めて会った時の思い出話をしてくれた。
男の子が私と楽しく踊ってくれた。
私も沢山お話をした。
男の子がにこにこと私の話を聴いてくれる。
今迄で1番幸せな時間だった。
白い月が私達の真上に来た頃、男の子がこくこくりと眠そうに船を漕ぎ出した。
急に存在を主張し出した花の香りが、私を包む。
…そろそろなのね。
「今迄沢山遊んでくれてありがとう。貴方と会えて幸せだったわ。」
私の事を覚えていてね。
貴方の名前の発音、これで合っているかしら?変じゃないか不安なの。
あのね、私、貴方の事、出会った時からずっと大好きなのよ。
…もっと、もっとという気持ちが沢山生まれてしまった。
だけど。
本来なら叶うはずのない願いを叶えて貰えた。きっと今日この日以上に幸せな時はない。
幸せな気持ちに包まれ彼女はゆっくり目を瞑った。
***
願いの魔女の店の奥には花園がある。
今夜もまた新しい蕾が花開いた。
「今回の子はアデニウムでしたかぁ。」
銀髪の男が魔女に話し掛ける。
「思いが伝えられない分、余計願いは切実になるのかもしれませんねー」
人間以外のお客様の方が持ち数多いかもだし、今後はそっちも見た方がいいのかなー…
ブツブツ呟く声を背に、魔女は綺麗に咲いたアデニウムを見つめる。
どうやら満足してくれた様だ。
…素敵な夜になっただろうか?
自分には資格がないと思いつつも、魔女はこっそり人形のお嬢さんのことを想った。
***
朝、珍しく男の子が慌てている。
「おかあさーーーん!!僕のおもちゃが1つない!!!!おとうさんからもらった珍しいお人形!!!1番最初に貰ったお人形!!!大事に上の棚に取っておいたのに!!!!!」
どこからか飛んできたピンクの花弁が、ひらりと棚の上に着地した。
おしまい。
読んで下さりありがとうございました!