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第1話 知らない書類にはハンコを押すな


 地球とは違う、別の世界の大陸の1つ。そこには人が住むには過酷な大森林があった。

そこは、どこの国の領土とも定まっておらず眠りの大森林と呼ばれ、大木という大木が乱立し、日本だったら東京都〇個分と言われるような巨大な森であった。

 

 そこには普通では見られないような強暴な魔獣と言われる恐ろしい生き物が跋扈していた。しかし、完全に人が住むことの出来ない不毛な土地と言うわけではなく、その巨大な森の中にはいくつかポツン、ポツンと集落のような場所があり、その中の1つの集落に、周りとは少し大きく、しかし、ところどころ壁や屋根を修繕した後が目立つ、継ぎ接ぎだらけの家がある。

 

 その家の中で俺は優雅にティータイム(ただの白湯)をしていた。

 

 突然だがこの俺、久瀬くぜ 結城ゆうきはこの世界の人間じゃない。

 この世界に転生する前は日本に住んでいたブラック企業勤めのサラリーマンで、来る日も来る日もやりたくもない仕事をして、鬱屈とした毎日に心も体もボロボロになってある日過労死をした。

 だが、気づくとその前世の記憶を持ったままこの世界に転移していたのだ。しかもご丁寧に年も12ぐらいのときの見た目になって。

 

 はじめは、学生時代によく読んでいたファンタジー小説のような憧れの異世界と言うこともあり異世界転移ものにありがちな、俺TSUEEE!!が存分にできるもものだと俺は信じて疑わなかった。

 

 しかし現実は残酷だ。小説にあったような冒険者になろうと思い、「久瀬 結城」改め、「ユーキ・クーゼ」と言う名前で冒険者になったはいいが、俺にはチートと呼ばれるような能力はなくて、結局は鳴かず飛ばず…いやそれ以下のポンコツ冒険者だった。そりゃ、現代日本でぬくぬくと育っていたやつが剣の腕なんかあるはずもないし、魔法だって練習もしたが結局初級魔法ぐらいしか扱えなかった。


「俺には冒険者の才能がない…諦めよう」


 頑張ってはみたが、結局3年で冒険者は向いていないと思い、俺は早々に冒険者を引退。そのときに、日本では働きづめであった分、こっちの世界ではゆったりと生活しようと人生設計における方針転換をした。


バターン!


「ユーキおにいちゃーん!見て見てー!」


ドシーン!


 はずだったんだが…。


「ほら!今日はジャイアントグリズリーをたおしたよ!すごいでしょ!」


 昨日直したばかりのドアを壊しながら、俺とは違う青い肌に黒い角を頭に生やした少女、もとい、俺の妹であるリリーが誇らしげに報告してきた。


「…そうかーよく頑張ったなーリリー(またドア直さなきゃなーははは…)」


 そう言いながら、俺は諦めがついた遠い目をしていた。


「えへへーもっと褒めてー!」


 褒められたのが嬉しかったのかリリーがさらに満面の笑みをする。

突然だが、リリーは特徴の塊のような子だ。この子の特徴を上げるときりがない。肌は青く、頭に角をもち、赤い瞳をした『人魔族』と呼ばれる種族であることもそうだが、男の俺よりも背が高くて、西瓜ほどもある巨大な胸にほどよく割れた腹筋、大きなお尻と、今まで俺が見た中でもトップクラスのプロポーションをもっている。


 そして一番重要なことなのだが、なぜかメチャクチャ強い。とんでもなく強い。

 でも信じられるか?この子今俺の妹なんだぜ?


「偉い偉い。リリーは何でもできるせかいいちのいもうとだなー(深いことを考えるな。本来ならAランク冒険者数十人で討伐隊をつくって対処するジャイアントグリズリーが目の前で死んでいるのは幻だ。うん幻絶対そうだ。…どうやって運んできたんだこれ)」


「本当?うれしい!」


 適当にほめていたが、リリーにとっては相当うれしかったのだろうか、リリーは血がべったりとしたまま、グラビアモデル顔負けの爆乳がちょうど俺の顔をうずめるようにして抱き着いてきた。


バキバキバキ!


 あったかい水風船に挟まれるような感触がしたが、それは一瞬のうちに力を込めて抱き着いてくるその圧力で体中が悲鳴を上げた。


「あががががががが!!」


 万力で締め付けられるような痛みが全身に走り、じたばたと暴れるがガッチリと捕まっていて動かすことが出来ない。


「(リリー!止めて!お兄ちゃん死んじゃう!)」


「なに?まだ褒めてくれてるの?もう私もすごくうれしいよ!お兄ちゃんも世界一のお兄ちゃんだね!」


 胸の中で声がこもりフガフガとしか言ってないが、リリーはこれも褒めていると勘違いしたのか、さらに力を入れる。


「(ちがーう!お願いだから離し…あ、意識が…)」

 


 こうして、ユーキは視界がぼんやりとしていく中、リリーの汗の匂いと胸の柔らかさと、とんでもない力 で締め付けられる責め苦の中、最後に「どうしてこうなった?」と思いながら、意識を手放した。


 

「グスン…ごめんねお兄ちゃん」


 リリーが目に涙をためた状態でユーキを心配そうに見ていた。あれからユーキは結局リリーの腕のなかで気絶してしまったのだ。


「だ、大丈夫だぞ。ちょっと環境が変わったから疲れが出てきたのかな?」


 ギギギと音が鳴りそうなほど体中がきしんでいたが、ユーキは目いっぱいの強がりを見せていた。


「ほんとお?」


「ほんとうほんとう。だから泣くなよリリー」


「グス…わかった」


 今にも泣きそうなリリーの頭をなでながらユーキは優しい声色で慰めた。

 見てもお分かりだと思うが、ユーキとリリーは実の兄妹ではない。それどころか、ユーキはリリーのことをほとんど知らないし、なんなら家族になったのはつい10日前のことだった。



始まりをさかのぼること10日前。


 ユーキは3年間所属していた冒険者ギルドにFランクの証であるFと書かれたギルドカードを返納して、正式に冒険者を辞めたばかりだった。




「はぁ~本当にやめてしまった…」


 広場の植木に座り込んでユーキはため息をついていた。


「(正直、ポンコツで低ランクの仕事ばかりやっていたとはいえ、こうもあっさりと承認されるとは…)」


 そう思いながらユーキは先ほどのことを思い出していた。

 ギルドマスターと呼ばれる、冒険者ギルドのトップに辞めることを告げると、「あっそ。わかった。お疲れ」と言われただけであっさりと承認されてしまったのだ。


「(確かにポンコツだったから低ランクの依頼しかしてこなかったけど…!魔獣討伐とか派手なことはしなかったけど…!)」


 ユーキは小説でよくありがちなチート能力と呼ばれるもので異世界無双を夢見て、冒険者になり、一番最初のクエストで低級の魔物であるスライムにぼこぼこにされたのが3年前。そしてそこから剣術や魔法を学んだが、結局は鳴かず飛ばず。いつしか低ランク専門の冒険者となっていた。


「(でも、そのことで周りのみんなは低ランクの依頼しかやらないことを馬鹿にしたり、虐めたりするようなことはなかった。そりゃ、多少は冷やかされたり、からかわれたりはしたけど、大抵のギルドの仲間からは「おう、今日も頑張ってんな」ぐらいの認識で俺のことは認められてはいた。だから…)」


 だからユーキがギルドに「辞める」と言った時、ギルドから少しは引き留められるとユーキは期待していたのだ。


「(俺超恥ずかしい奴じゃん!!)」


 顔を真っ赤にしながら心の中で叫んでいた。引き留められると思っていたのが、完全に自意識過剰だったことをまざまざと思い知らされたのだ。


 そこから数十分悶えていると、やっと顔の温度が下がり、少しは冷静になったので今後の人生設計を考えていた。


「(まあいいさ!異世界無双が無理なら、異世界スローライフに変更だ!日本にいたときはブラック企業に働き通しで、趣味なんか忘れたし、彼女もできなかった。だから、今度は人の少ない田舎に住んで、畑でも耕しながらのんびりと暮らそう。そしてあわよくば可愛いお嫁さんをもらって、可愛い娘と逞しい息子に囲まれて仲良く余生を暮らすんだ!)」


 そう決心すると、ユーキは3年間コツコツと貯めた貯金を持って、今まで住んでいた都市から東にあるのどかな田舎へと向かった。


「(本当は乗り合い馬車なんかを使って移動するんだけど、これからの事を考えて少しでも節約しよう)」


 そしてこの判断が運命の分かれ道だったのだろう。


 ユーキは田舎へと歩き出したその当日、盗賊に捕まったのだ。


「(あれーー???????)」


 瞬殺だった。

 普段なら賊などが出ないような比較的安全な街道を通っていたはずだが、山道の手前でユーキはどこからともなく現れた盗賊に囲まれてしまい、そして抵抗むなしくあっという間にぐるぐる巻きにされて捕まったのだ。


「(くそう…捕まるくらいなら戦おうと剣を抜いたのに、後ろからあっさりと殴られてそのまま簀巻きにされてしまった…。あまりにもあっさりと捕まったから山賊側が逆に戸惑ってたな…)」


 ユーキは山賊たちのアジトに連れてこられると、鉄格子が並んでいる部屋に放り込まれていた。


「入ってろポンコツ!」


「イテッ!」


 石造りの固い地面に転がって思わず声が出た。


「いいか!大人しくしてろよ!逃げようなんて考えんじゃねぇぞ!ま、逃げれねぇと思うけどな!ガハハハハ!」


 山賊たちはひとしきり笑うと、そのまま部屋を出て行った。


「やっべぇ…どうしよう…」


 盗賊たちの後姿が見えなくなったのを確認すると、ユーキは暗い鉄格子のなかで呟いた。盗賊に捕まってまだ生きていることは僥倖だが、状況は決していいとは言えないからだ。


「直ぐに殺さなかったから、まだ使い道があるってことなのか…奴隷目的か?それでも碌なことが待っていないはずだからどうにかして逃げ―」



「だれ?」



 ユーキはぎょっとて、声がした方を見た。するとそこには青い肌をした背の高い痩せた女の子がいた。


「(この子は…人魔族か?)」


 この世界には、ユーキのような人族以外にも様々な種族が存在している。それこそ、小説に出てくるようなエルフ族にドワーフ族。半人半獣の獣人族に、半分が植物出来ている花人族など実に多彩だ。


 その中でも、青い肌に黒い角が特徴の人魔族はこの大陸でも遥か北に存在する、人魔族の王国に大半が住んでいて、ユーキは本や話しでしか聞いたことがなかった。


「だれなの?もしかしてまたぶつの?」


 女の子がおびえたような顔でまた聞いてくる。


「(この子もあの盗賊たちに捕まったのか?…よく見たら、この子も縛られてるし、顔に殴られた跡がある)」


「ぶ、ぶたないよ。それに俺は悪い人じゃない」


「…ほんと?」


「そうだよ。よく見て」


 そう言ってユーキが縄でぐるぐる巻きになっている様子が見えるように膝立ちになる。


「ほら手が縛られてるだろ?こんなんじゃぶつどころか、ご飯も食べれないよ」


 それを聞くと、女の子はユーキに近づいてきてじっくりと観察した。


「…ほんとだ。芋虫みたい」


 女の子がユーキの様子を見て安心した表情をする。それと同時に、近づいてきたことでより分かった、生々しい顔の傷を見て、ユーキは一層不憫な気持ちになった。


「あのおっさんたちにぶたれたのか?」


「…うん」


 そう言って、少女がまた目に涙をためた。相当怖がっているようだ。

 それを見て、ユーキは「かわいそうに」と言いながら、気をそらすために優しい口調で語りかけた。


「俺はユーキ。君は?」


「…リリー」


「そうかよろしくリリー。…リリーもさっきのおっさんたちに捕まったの?」


「…連れてこられた」


「連れてこられた?」


「うん。お母さんとお父さんとで遠くに引っ越しをしてたら、お母さんとお父さんが動かなくなって、そのときにさっきのおじさんたちがわたしを見つけて、ここに連れてきたの」


 リリーが思い出すように言ったのを聞いて、ユーキはげんなりとした気持ちになった。


「(引っ越し?こっちの方に住む予定だったところを、何かの理由でご両親が死んで、その時に盗賊に捕まった?おおう…よくわからないけど、メチャクチャ重い話に突っ込んでしまったような気がする…)」


 ユーキは頭の中で自分が地雷を踏んでしまった想像をした。しかし、それと同時にいくつも疑問が浮かんだが、聞いていいのか迷ってしまった。


「えっと…リリーは年はいくつ?」


「(結局、他愛のない質問をしてしまった…)」


「おとし?6つ!」


 そう言うと、リリーは右手の指を5本と、もう片方の手の人差し指を上げて答えた。


「ん?」


 他愛のない質問をしたつもりが、予想外の答えに一瞬フリーズした。


「6つ!」


「ろ、6歳!?」


「うん!」


 ユーキの驚きの声に、リリーは大きく頷いた。


「(6歳!?…確かになんか小っちゃい子と話してるような、幼い感じがしたけど…6歳で俺よりもこんなにデカいの!?座ってるからわかんないけど確実に俺よりも背は高いし、痩せてるけど顔も体も大人びてて…もしかして人魔族って人族よりも成長スピードがとんでもなく速いのか!?)」



ギイ



 ユーキがあれこれと考えていると、奥の方で扉が開く音がした。それと同時に複数人の笑う声や喋る声と、石造りの床を歩く音が聞こえてくる。


「ひっ!」


 リリーがおびえた声を出して俺の背後に隠れるように丸まって小さくなった。


「大丈夫。大丈夫だから…」


 そう言いながらも、足音は近づいてきてついにユーキ達がいる檻の前に先ほどの盗賊たちと、場違いな程きれいな服装に身を包んだ頭に毛が生えていない坊主頭の男が現れた。


「これが今週の成果か?」


 坊主頭の男がユーキ達を品定めをするように見ていき、盗賊たちに聞くと横にいた男が手もみをしながら答えた。


「はい、そうです」


「2人だけではないか。しかも、男の方は貧相な面構えで、その後ろにいるのは…なんだあの薄汚いのは?」


「はい、確かに男の方は貧相ですが労働奴隷としては問題ないかと。そして後ろにいる奴ですが、ここじゃ珍しい人魔族の女でして…」


 盗賊が手もみをしながら説明すると、坊主頭の男は「ほう」と興味を示したように唸った。


「(労働奴隷…コイツ等やっぱり人攫って奴隷として売ってたのか!しかも『今週の』って言ってたし、初めてじゃないな絶対)」


 ユーキが頭を回転させている傍らで、手もみをしている盗賊が口を開く。


「人魔族は普通、北のベルガ王国にほとんどが集まっていてこちらの方にはなかなかお目にかかれない種族です。それを運良く捕まえることが出来まして、きっと高く売れることかと…オイ!」

盗賊が乱暴に鉄格子を蹴り、ガンッという音が辺りに響いた。


「ひっ!」


「オイ!そんなところで丸まってねぇでお顔をお見せしろ!」


 盗賊が鉄格子の外から凄むが、リリーは余計におびえてしまい、ただでさえ丸くなっていたのをさらに小さくなろうとするように丸くなってガタガタと震えてしまっている。


「止めろよ!」


 リリーの怖がっている様子に耐え切れなくなって、ユーキは思わず叫んでいた。


「なんだと!?このガキ!」


「よいよい」


 山賊が声を荒げようとしたが、坊主頭の男が盗賊を制した。


「(このハゲのおっさん何者だ?身なりから、盗賊の仲間じゃないってことはわかるけど、商人って感じでもない…もしかして貴族か?)」


「しかし、おかしいのお。人魔族は勇猛果敢な種族で、女や子供だろうと簡単には捕まらないほど強い者ばかりだと聞いたが…それとはかなり違う様子じゃのお」


 顎に手を当てながら坊主頭の男が疑問を呈した。すると、盗賊の男は取り繕ったような笑顔をしながら説明を始めた。


「はいはい、それが本当に運がよくて…コイツ、どうやら親と一緒に旅をしていたみたいなんですが私たちが見つけたときには病気か餓死かで死んだ両親の横でボーとなっていたところを捕まえたんですよ!」


「ほう、放心してたというところか!」


「はい!しかもなんかショックだったのか、コイツ幼児がえりまでしてて、ちょっと殴ったら簡単に従いましたよ!」


 そう自慢気に報告すると、盗賊は下品な笑いを上げ、貴族と思われる男もつられて醜悪な笑みを浮かべた。


 ユーキはリリーの言動が幼かったことに一応の納得はしたが、それと同時に腹の底からめらめらと沸き起こるものが顔を出した。



ガン!



 部屋に鈍い金属音が響いた。

 ユーキが内側から足を使って鉄格子を蹴っ飛ばしたからだ。どうにも我慢が出来なかった。


「(なんで…なんでこの子がこんな目に合わなきゃいけないんだよ!)」


 リリーがショックで年不相応な状態になったこと。それに付け込んで恐怖で従わせたこと。一緒になって笑う男たち。ごちゃ混ぜになった考えや感情がユーキの行動を促していた。


「テメェ…いい加減にしろ!」


 顔を真っ赤にした盗賊がユーキの顔面目掛けて蹴りを入れて、ユーキは思わずのけぞった。


「!お兄ちゃん!」


「大丈夫だ!なんともない!」


 嘘である。蹴られたところに激痛が走ったが、啖呵を切った手前もう引けなかった。

 ユーキは鉄格子の外にいる男たちをにらみつけた。


「なんだあ?その目は!?もう一発行くか!?」


「ほっほっほ。お前、あまり暴れるな。これ以上貧相な顔になったら値切られてしまうではないか」



「うるせぇハゲ!」



 ユーキの言葉に貴族風の男の表情が固まり、それと同時に部屋全体にピシッという音が鳴ったような気がした。


「お前!…侯爵になんて口を…!」


 盗賊が慌てたように狼狽える。


「(このおっさん侯爵かよ!かなり偉い人間が盗賊とグルになって人さらいしてたのか!)」


「よ、よいよい。どうせ戯言よ。鉱山に送られればこんな軽口も聞けなくなるわ」


「さすが侯爵!お心がひろ―」


「アンタ侯爵かよ!ごてごてした成金趣味でどこの成り上がり商人かと思ったよ!そんな服買う金あんなら毛生え薬でも買えよバーカ!広いのはテメェのデコの面積だよ、鏡見て確認しろハゲ!」


「殺せっ!!」


 顔を真っ赤にしながら貴族風の男、もとい侯爵が叫んだ。さきほどの余裕の態度はどこにもなかった。


「あ、やべ。言い過ぎた」


 ここにきて頭に来ていたとはいえ、ユーキも自身が言い過ぎたことに気づいた。他人目線で見ればそりゃこうなるだろと言いたくなる。


「し、しかし侯爵―」


「構わん!殺してしまえ!」


 完全に怒り心頭といった感じだ。実際、この侯爵は頭が寂しいことを気にしていて、使用人たちにも内緒で毛生え薬を使っていたがあまり効果がなく、かなり気にしていたのだ。


「は、はい!今すぐに!」


 そう言うと、盗賊が腰のポケットから鍵の束を取り出した。盗賊は鉄格子を開けようと鍵を探すが、後ろに顔を真っ赤にした侯爵がいるためか、モタモタとして焦っていた。


「どうした!早くあけ―」



バタン!




 侯爵が言い切る前に、部屋の扉が勢いよく開いた。その拍子で、盗賊の手から鍵の束が落ちてしまった。

 盗賊は舌打ちしながら、音がする方向を見ると、仲間の盗賊の1人が慌てた様子で入ってきたところだった。


「お、お頭!」


「なんだ!こんな時に!」


「お、お頭!兵隊と騎士団が攻めて来てます!もうアジトの中に入られました!」


「なに!?」


「なんだと!?」


 盗賊と侯爵がその報告を聞いてさっと顔が青ざめた。しかし、ユーキの顔はこの報告に思わず顔がほころんだ。


「やったぞリリー!助かるぞ!」


 ユーキは侯爵たちに聞かれないようにぼそぼそとした声でリリーに伝えた。


「リリー!おい、助けが来たぞ!」


「…ほんとう?」


「ああ!だからもう少しの辛抱だ!」

ユーキがそう言うと、リリーの顔も笑顔が戻り、大きく頷いた。


「馬鹿な…ここ一帯の兵士には金で掌握していたはずなのに…!何をしている!お前たちも戦いに行かんか!」


 侯爵がそう言うと、お頭とその仲間は「ハイ!」と返事をすると腰の剣を抜いて部屋から出て行った。


「くそう…こんなはずでは…逃げなくては…しかし、ここにいることに何と言い訳をすれば…」


 ボソボソとつぶやきながら、侯爵が部屋を行ったり来たりしている。


「ここから出なければ…しかし、外に出れば、盗賊の仲間だと思われて捕まってしまう…どうすれば…クソッ!」


 ユーキ達のいる鉄格子の前を行ったり来たりしながら、侯爵はこの期に及んでも助かろうとしていた。しかし、顔と頭には汗がどんどん出てきていた。


「いい加減諦めろ。もうアンタは終わりだ」


「うるさい!黙っていろ!私はここで終わるわけにはいかんのだ!」


「勝手なこと言うな!いったい何人手にかけたんだ!」


「う、うるさいうるさい!捕まるような奴らが悪いのだ!売られる奴らが悪いのだ!どうせ生きてても大したこともできないような奴らばかりだ!わたしの偉大なる未来のための礎になったんだ!感謝してほしいくらいだ!」


「冗談は頭だけにしろ!いいか!逃げても俺が証言してやるからな!アンタもグルだったって!絶対逃がさないぞハゲ!」


「貴様…この期に及んでもわたしをハゲなどど…いや待てよ」


 侯爵は、ユーキの罵詈雑言に顔を真っ赤から青白く変わっていたが、途端に冷静になると、次の瞬間にはまた醜悪な顔で、にやりと笑った。


「そうだ…私も捕まったことにすればいいではないか…」


 そう言うと、侯爵は盗賊が落とした鍵の束を拾い、1本1本鉄格子の鍵がどれなのか、ガチャガチャと音を立てながら確かめていた。


「そうだ…その手があった…!わたしは盗賊に捕まっていただけ…いわば被害者だ…そうすればここにいることへの説明もつく…」


「な、なにやってるんだ?そんなことしても、俺が証言すれば終わりだぞ?」


 侯爵の姿に、ユーキは思わず呆れたような声を出した。

 しかし、侯爵は醜悪な笑顔のままユーキ達の方を見る。


「それは大丈夫だ…なぜなら、お前たちはここで死ぬのだからな…!」


 そう言うと、侯爵は懐から短剣を抜いた。それを見て、ユーキは目を見開き、リリーは「ヒッ!」と言って、ユーキの後ろに隠れた。


「お前たちは盗賊に殺されて死んだ。そして私も殺されそうになるが、その前に兵隊たちがやってきて、盗賊たちはわたしをほおって、出て行った…どうだ?素晴らしいだろ?」



ガチャン



「開いた…!」


 侯爵が鉄格子の扉をゆっくりと開けて入ってくる。

 手に持った短剣はぬらぬらと光を浴びて鈍い輝きを出し、侯爵の口の端は吊り上がり、邪悪に歪んでいた。まるでこれから起こることが愉悦の極みと言わんばかりのような様子だった。


「アホかお前…俺やリリーを殺したところで、盗賊たちがゲロっちまえばいっしょだろうが…」


「ハハハ!汚らしい盗賊の戯言など信じられるか!それにいざとなれば金で解決するだけよ!」


 そう言うと、侯爵はゆっくりと近づいて来る。

 ユーキとリリーは後ずさりしながら、侯爵とは対角線上に後ずさりをするがついに端の方まで来てしまった


「お、お兄ちゃん…」


 リリーが涙をいっぱいにためて言う。


「(やばい…このおっさん完全に目が正気じゃない…このままじゃ、2人とも死んでしまう…せめてリリーだけでも…)」


 そう思うと、ユーキはリリーを庇うようにして立ち上がった。死の恐怖のため、膝が震え、目に涙が出そうになっている。


「(…ちょうこえええええ!!)」


「…なんだ?最後に何か言いたいことでもあるのか?聞いてやるぞ?」


「…ああ、じゃあ一個だけ…来世でも禿げろ、ハゲ侯爵!」


 膝を震わせながら、そう叫んだ。すると、侯爵の顔にカッと再び赤くなった。


「き、きさまああ!!」


 短剣を振り上げて侯爵が襲ってくる。それを見て、ユーキは身構えた。


「(よし!こい!)」


 ユーキが考えたのは単純な体当たりだ。この期に及んでも馬鹿にすれば侯爵も我を忘れて襲い掛かってくるだろうとユーキは思ったが、見事それが当たったのだ。


「(絶対俺は死ぬだろうけど…時間を稼げば兵隊がやってくるはず!そうすれば最悪リリーだけでも助かるはずだ!)」


 侯爵とユーキの距離が1メートルもなくなったとき、ユーキはここだと思って地面をけろうとした。


「(ここだ!)」


「あ、あぶない!」


 しかし、リリーが後ろから思いっきり両手でユーキの腰辺りを押した。

 すると、ユーキの体は後ろから牛に突進されたかのように宙を舞った。



「え?」



 リリーからしたらユーキが短剣に刺されないように、どけさせようとして後ろから押したのだが、それがちょうどユーキが前に蹴りだした瞬間だったため、ユーキは前の方に飛んでいってしまった。


「な!?」


 ユーキの予想外な動きに、思わず侯爵の勢いが削がれた。


「うわああ!!」



 ガンッ!!



 ユーキと侯爵の頭のぶつかる音が辺りに大きく響いた。

 ユーキの目の前に星が飛んだような気がしたが、それは侯爵も一緒で、2人は白目をむいて倒れてしまった。


「うううう…」


「あががが…」


「お、お兄ちゃん!?大丈夫!?」


バタン!!


「ここか!?」


「おい!侯爵だ!ここにいたぞ!捕まっている奴らもいた!」


「大丈夫か!って、なんだこの状況は!?」




 こうして、侯爵と盗賊は捕まり、ユーキとリリーは国の兵隊と騎士団に保護された。

 実は侯爵は私腹を肥やすために、盗賊を使って山道を通ろうとする歩行者や冒険者を攫っては奴隷として他国に売り飛ばしていた。


 しかし、侯爵に仕えていた使用人の一人が王国の騎士団に密告したことで事件が明らかになり、騎士団も侯爵を逮捕しようとしたが、肝心の盗賊のアジトが見つからないということと、侯爵は自領の兵士には盗賊が起こした事件は暗殺や金の力でもみ消していたため、なかなか証拠がつかめなかった。


 そのため、騎士団と兵士は侯爵邸に張り付き、盗賊と密会するために盗賊たちのアジトへ向かうのを尾行し、場所が判明したと同時に攻め込んだのだ。


 そして、その日にユーキとリリーは証言のため、騎士団に保護された。


「おにいちゃーん!こっちこっちー!」


「…ぜぇ…ぜぇ…まって…リリー…ぜぇ…」


 今、ユーキは騎士団の兵舎に併設されている医務棟の庭でリリーとの鬼ごっこに付き合わされていた。


 あの大トリ物から7日が経過した。

 あれから盗賊が侯爵と結託して、人さらいをしていたことを白状し、侯爵邸には騎士団と兵士によって踏み込まれ、証拠がないか徹底的に捜索され、見事裏帳簿を見つけることが出来た。しかし、それでも侯爵は白を切りとおそうとしたが、ユーキとリリーの証言もあって侯爵の有罪が確定。

 しかし、侯爵位ともあろうものがそんな罪を起こしていたと国民や他の貴族に知られれば国内に大きな混乱を招くため詳細はあまり公表されず、秘密裏に投獄された。


「…ぜぇ…なんであの子あんなにスタミナがあるんだ…俺も冒険者で鍛えていたはずなのに…ぜぇ…ぜぇ…あんまり走っちゃだめだよリリー…!」


 ちなみに、リリーは騎士団の軍医にも見てもらったが、やはり両親の死がショックだったのか、幼児退行と記憶障害を患っていたようで、リリーは6歳以降の記憶がなく、自分のことを6歳だと思っていた。

 しかし、人魔族は角の大きさなどである程度の年齢がわかるらしいのだが、それで調べると、リリーは推定でもまだ15~20歳くらいでユーキとあまり年は変わらないだろう、と言われている。


「あははー!こっちこっちー!」


「マジで待って…もう体力が…ぜぇ…」


 最初、リリーは精神的なショックもあるということでユーキとは別のところで療養しようとしたが、リリーがそれをひどく嫌がって泣き叫んだり、暴れたりの抵抗をしたため、結局ユーキと同じところで保護されることとなった。そしてユーキもリリーの身の上を知った手前、放っておくことが出来ず、1日の大半をリリーと一緒に過ごしている。


「もう…無理…」


 ユーキが体力の限界とばかりにその場に倒れこんだ。


「…ぜぇ…ぜぇ…ぜぇ…しぬ…」


「あははーお兄ちゃんの負けー!だいじょうぶー?」


 倒れこんだのを見て、リリーが明るく笑いながら近づいてきた。すると、リリーは「どーん!」と言いながらユーキの上に乗っかってきた。その時にユーキの背中に大きな柔らかい何かがドシンと来るのを感じた。


「お、おいリリー!」


「あはははー!」


 ユーキが顔を真っ赤にしながら叫ぶが、リリーはどこ吹く風と言わんばかりにそのまま体重を乗せて大笑いをする。


 保護されて7日間。


 檻の中で会ったとき、リリーは痩せていたが7日間の入院生活がリリーを健康状態にし、そしてその時に分かったが、リリーは人族の、いや人魔族の同年代の子よりもかなり発育がよかったらしい。

 もともと、人魔族は15歳を過ぎたあたりから人族以上の腕力を持っているものなのだが、リリーはそれ以上の腕力をもっていた。実際、檻の中でユーキと侯爵にぶつかったときも、リリーの後ろから両手で押したあれは、ユーキの体を人形のように軽々と飛ばしていた。

 そして体型の方も人魔族の中でもかなり発育がよく、人魔族の中でみてもかなりグラマラスな体型だった。



むにゅむにゅ



 ユーキの背中でリリーの胸が形を変えながらユーキの背中を刺激した。


「(ぬおおおお!何も考えるな!背中のはただのでっかい水風船で、背中に乗っているのはただの分不相応にでっかい6歳児だ!!)」


 そうユーキが葛藤していると、2人のもとに誰かが近づいてきた。


「こんにちは。相変わらず仲がよろしいようですね」


 20代後半くらいのモノクルをかけた美男子が2人に笑いかける。


「ヴィ、ヴィンセントさん!」


「どうも。ユーキさん。リリーさん」


 ユーキは体力を絞って無理矢理立ち上がると、緊張した面持ちになってその場に正座をした。すると、リリーもそれに倣ってユーキの横で正座をした。


「はは、そんなに畏まらなくてもいいですよ」


 そう言って、ヴィンセントと呼ばれた男は愛想よく笑う。


「そ、そんなの無理ですよ。あのダンバルク家の家令に失礼なんてできませんよ」


「ははは。家令なんて言っても、結局はご主人様の小間使いですよ。それより、御2人が証言してくれたことにより、無事侯爵を捕まえることが出来ました。ご主人様に代わって、感謝申し上げます」


「や、やめてくださいよ。僕たちは助けてもらった身なんですから、むしろこちらの方が感謝したいくらいですよ」


「おや、それはお気遣いありがとうございます。そう言っていただけて嬉しい限りです」


 そう言って、ユーキは冷や汗をかきながら、ヴィンセントは華麗な笑みを浮かべながら、社交辞令的な笑みを浮かべている。


 目の前の男、ヴィンセントは国屈指の名門貴族、ダンバルク公爵家の家令だ。ダンバルク公爵家は歴代でも王族を何人も輩出した名門中の名門で、国のあらゆることを担っていると言ってもいい。そして、その公爵家に異例の速さで家令にまでになったのがこの男なのだ。


「(そして今回の侯爵の逮捕を指示したのがダンバルク家であり、その陣頭指揮を執ったのがヴィンセントさんだ。保護されてからは俺やリリーをこの医務棟で保護してくれたりして不自由なくやらせてくれているけれど…)」


「?」


「(この人こえーんだよな…なんかどれだけイケメンスマイルをしても目の奥が笑ってないって言うか、有無を言わせないようなオーラを放ってるって言うか…そういえば、保護されて初めて会った時、リリーが『このひとなんかこわい!』って言った時は心臓止まるかと思ったな…)」


 ユーキは「(今日は大丈夫だよな?)」と思い、チラリと横を見ると、リリーの視線とばっちり合った。不安そうな表情に、「この人、にがて…」と書いてあるのが見える。


「(我慢してねリリー。この人怒らせたら、ぜっったい、ヤバいタイプの人だぞ!)」


「おほん」


 ユーキはビクッ!と体を弾ませると、再び居住まいを正した。


「今日は私のご主人様からご提案があってまいりました」


「ご主人様って…ダンバルク公爵からですか!?」


 予想外の名前が出来て来てユーキは素直に驚いた。


「ええ。聞くところによると、ユーキさんは田舎で静かに暮らしたいと小耳にはさみましたが、間違いないでしょうか?」


「…えっ?」


「?ちがいましたか?」


「え、いやその通りです!冒険者の才能がなかったので田舎に引っ込んで大人しく過ごそうかと…」


 ユーキは冷や汗をかきながら説明をする。しかし、頭の中は?がいっぱい浮かんでいた。


「(なんでスローライフのことを知ってるんだこの人!?このことは冒険者ギルドを辞める前にギルドの親しい仲間数人と、いつも指名してくれた依頼主たち以外話していないし、ここに保護されてからも誰にも話していないぞ!?)」


 そう思っていると、ヴィンセントが朗らかな笑みを浮かべる。


「そう怖がらないでください。ユーキさんに喜んでもらうために少し調べさせてもらっただけですよ」


「は、はぁ」


 何を目的にそんなニッチなことを調べたんだ?とユーキは思ったが、大人しく聞くことにした。


「この領地の北側、王国の北西部に大きな森があるのはご存じですか?」


「は、はい。眠りの大森林ですよね?実際に行ったことはありませんが知っています」


「はいそれです。実はそこを開拓するための開拓民を集めていましてね。もともと眠りの大森林はどこの国の領土のものでもない、独立した地域でした。しかし、我がダンバルク家では王国の改革の1つとして眠りの大森林を開拓しようという案が出たのです」


「それで、開拓民を集めていると…」


「ええ。ですが開拓民と言っていますが、実際は調査隊のようなものです。実際に何年か暮らしてみて、人が住めるのに問題がない土地なのか調査するというのが目的です。そして人が住めると判断されれば、国を挙げて開発しますが、それまでの間、ユーキさんは国の調査員ということになり、恩赦として国からの税金が免除されます」


「税金免除ですか!」


「はい!開拓しながら税金を納めるというのは大変ですから…。それ以外でも、開拓中に調査員が手に入れた家や、財産などはほぼ調査員のものとなります!」


「マ、マジすか!?」


 ユーキの顔が最近で一番きらめいた。


「どうでしょうか?開拓民ということで少し不自由があるかもしれませんが、そこはダンバルク家が出来る限りサポートしますし、なにより開拓民というのが聞いた限り、ユーキさんの理想の生活に一番近いものなのではないかと思いましたが…どうでしょうか?」


 説明を最後まで聞き、ユーキはヴィンセントの提案に目を輝かせた。


「(ヴィンセントさんが言うように、昔テレビで見たことのある、タレントが四苦八苦しながらも無人島で生活する番組とか見てたから、そういった生活に憧れていたんだよな。しかも税金免除で、手に入れた財産は自分のもの!しかも公爵家からのサポートあり!メチャクチャいいじゃん!)」


 ユーキは心の中で、「(こんないいお話を持ってきてくれてありがとう!)」とヴィンセントとまだ会ったことのないダンバルク公爵を敬っていた。今見ると、心なしか、ヴィンセントに後光がさしているように見える。


 しかし、ユーキは隣からの視線を感じて横を見ると、リリーが心配そうな目でユーキを見ていた。


「(あ)」


 リリーはヴィンセントが言っていたことが難しく、詳しくはわかっていなはずだ。しかし、なんとなく直感でユーキが自分から離れていくことを察知していた。


「(リリーはどうなるんだろう…。両親は死んでしまってこの子1人きりで、頼れる家族は他にいないし、俺だけ開拓民としてリリーを置いて開拓に出ていったら、いよいよリリーは1人きりだ…。でも開拓民の話しは美味しいぞ。あと、この人がわざわざ提案してくれた話を断るなんてそれこそ後が怖そうだし…)」


 ユーキはしばらく考えた後、断腸の思いで声を絞り出した。


「…すいません。せっかくのご提案なんですけど、やっぱり僕が開拓民ってなると、リリーが1人になって心配で…」


 恐る恐る言葉を選びながらユーキはヴィンセントに言った。ダンバルク家の家令の提案を無碍にすることを考えると、胃がキリキリと痛んだが、それよりもユーキの中でリリーのことが気がかりで心配だった。


「…だからせっかくのご提案で申し訳ないんですが、開拓民にはなれないかな~って…」


 そうしどろもどろに言うと、ユーキはチラリとヴィンセントの表情を見た。


 しかし、ヴィンセントの表情はユーキの予想と違ってとても穏やかなままだった。


「そこは大丈夫ですよ。そこもしっかりと考えています」


 ヴィンセントは表情を変えずに説明する。


「リリーさんにはすでに里親をこちらの方で探しています。どこもリリーさんの病状は教えていますし、それにどこも貴族の家ですので生活面で不自由することはないかと思われます」


 そう説明したヴィンセントの言葉を聞くと、ユーキはほっとした気持ちになった。


「よかったなリリー。貴族の家だって。きっといい生活ができ―」



「いや!」



 ユーキが言い切る前にリリーがそう言い放った。ユーキがその大声にびっくりしていると、リリーの目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ始めた。


「いやあだああああああ!!お兄ちゃんといっしょがいいいいい!!」


 そう言うと、リリーがわんわんと泣き始めた。それを見て、咄嗟にユーキはリリーの頭をなでて慰める。


「…泣くなよリリー」


 そう言って、ユーキは宥めるがリリーは泣き止む様子が全くない。そしてその姿を見て、宥めているユーキも別れへの悲しみが途端に強くなっていった。

 出会いはたまたまだった。血もつながっていないし、お互いの見た目も違う。

 とはいえ、一緒に過ごすうちにユーキもリリーのことを本当の妹のように思っていたのだ。


「ユーキさんとリリーさんならそう言うと思いましたよ」


 唐突にヴィンセントがそう言うと、「実はですね」と言いながら書類を2枚取り出した。


「リリーさんがユーキさんのことを、それも本当の兄のように慕っていることは聞いています。そして、ユーキさんもリリーさんのことを大切にしているということも。なので、ダンバルク家としては、御2人共、開拓民とし勧誘したいと思っております!」


 ヴィンセントがそう宣言したが、リリーとユーキは「え?」と言ってしばらく呆然としていた。


 しかし、徐々に話の内容が頭の中で読み込まれるとユーキは立ち上がって喜んでいた。


「やったー!」


 両手を上げてユーキが叫んだ。そして、ユーキは隣にいたリリーの方に向き直る。


「リリーやったぞ!俺たち離れ離れにならなくてすむぞ!」


「ほ、ほんとに?」


「ああ!これからも一緒にいれるぞ!」


「わーい!やったー!」


 そう言って、ユーキとリリーは抱き合って喜んだ。途中リリーが力を入れ過ぎて、ユーキが気絶するというアクシデントはあったが、無事、2人は開拓民になることへの契約書に名前を書くことが出来た。


 そのとき、ユーキはヴィンセントの口の端が上がるのを見逃していた…。




 ユーキが盗賊に捕まり、リリーと出会ってから9日目。


 2人は眠りの大森林にある開拓村に向かっていた。最初、ユーキは開拓地までは2人で歩きかと思っていたが、2人はダンバルク家が手配した馬車に乗って移動していた。しかも、周りにはダンバルク家が直轄管理している騎士団も同行してもらっている。


「なんかすいません。俺たちのために同行してもらって」


「すいませんー♪」


 ユーキが申し訳なさそうに近くの騎士の人に言うと、リリーもふんふんと鼻歌を歌いながら真似をする。


「(俺と離れ離れにならなくていいってなった時からリリーはずっとこんな調子でご機嫌だ。これが俺と一緒にいれて嬉しいからだと思うと、愛おしい気持ちになるな)」


「いや、いいんだ…気にしないでくれ…」


「?」


 リリーのことでほんわかとなっているが、ユーキはダンバルク家の騎士が目をそらすのが気になった。


「(そう言えばこの人たちの様子変なんだよな…あった時から、なんかものすごく気まずそうな表情をするし、今も何か申し訳なさそうな表情をしているっていうか…)」



「おにいちゃん楽しみだね!」


「…うんそうだな!」


 いくつか疑問は残ったがこの時ユーキは「(まいっか)」と軽く流していた。



 そして、そこからいくつか魔獣の襲撃があったりしたが、騎士の人とユーキとリリーが協力して(ほぼ腕力がとんでもないリリーの独壇場だったが)、1日かけて目的地にたどり着くことが出来た。


 しかし、その場所でユーキは呆然としていた。


「…なに、ここ?」


 ついたのはボロボロの廃村だった。村の壁はかろうじて存在しているが、数年手入れされた形跡がなく、畑も家も打ち捨てられていた。


「おおー!おにいちゃーん私ちょっと見てきていい!?」


 そう言うと、リリーは呆然としているユーキを余所に楽しそうに走っていった。ユーキはリリーを止めることなく、クルリとうしろを振り向くと、荷馬車の方にいる騎士たちのところに向かった。


「…すいません、本当にここが開拓地の村なんですか?」


 いそいそと馬車から荷物を降ろす騎士にユーキが聞いた。


「…ああ、そうだよ…」


「でも…ここ誰も住んでなくないですか?もう何年か前に放棄されていますよね?」


「…」


「しかもここ、大森林の結構深いところですよね?こんな危険地帯に俺たち2人だけ放り出すって、本当に公爵家はここを開拓する気があるんですか?」


「…」


「こっち見て話してくださいよ。全然目合わせないじゃん」


「…」


「遠く見たって誤魔化せるかあ!こっち見て話せえ!」


「そ、それがね…」


 ユーキが詰問すると、騎士の人がしどろもどろに、本当に申し訳なさそうに口を開いた。


「…実は…公爵家としては、君たちが生きているのには都合が悪かったみたいでね…」


「え?」


「…ほら、侯爵が秘密裏に逮捕されて投獄されたのは聞いてるだろう?表向きは引退した侯爵が、実は犯罪を犯して逮捕されたなんて知られたらまずいし、それで実情を詳しく知っている君たちが、そのまま市井に話すんじゃないかと疑われてね…だからヴィンセント様が君たちをこの開拓地に送って、物理的に話を広めないようにしたんだよ」


「…へー…」



「(てことは…この話って要は…)」



「…島流しじゃねぇか!!」



 ユーキは思わず大声で叫んだ。


「(あのクソメガネ…話を広めないようにここで距離的に俗世と切り離して、そして俺たちがここで野垂れ死ねば万事解決か!)」


「うっそだろ!うっそだろ!うっっそだろ!!なに話を広げないようにするために物理的な手段使ってるんだよあのクソメガネ!メガネかけてるんなら口外しないように契約書を書かせるとかもうちょい賢いやり方思いつけよ!なんだこの脳筋フルパワーゴリラ戦法は!アイツ実はイケメンの皮かぶったゴリラじゃねぇかあああ!!」


 ユーキは地面をバンバンと叩きながら叫んだ。そして不憫に思ったのか騎士が優しく肩をたたいた。


「ま、まあまあ。でも開拓民として税金が免除になるのは本当だし、生活中に手に入れた財産もそのまま君たちのものになるから…まあ…頑張って!」


「頑張れるか!」


 ユーキが涙目で騎士の手を振り払った。


「…まさか口封じのために島流しに合うなんて…憧れのスローライフがまさかこんな形になるとは…」


 よよよ、と言う感じでユーキががっくりと肩を落とす。それを見ていた、騎士たちはさすがにすまなそうな顔をしてユーキから顔をそらしていた。すると、ユーキがぽそりと、「…もういっそ逃げちまうか?」と呟くと、騎士たちが一斉に止めに入った。


「おいおい…まさか逃げる気か?」


「…そうですよ。とてもじゃないけど、こんな危険地帯に2人でなんか居れませんよ」


「それは…やめた方がいいぞ?」


「ど、どうしてです?」


「もしかして、契約書見てないのか?」


 そう言われて、ユーキは昨日、ヴィンセントからもらった契約書を思い出した。


「…たしか、開拓民になることを了承することとか、税金が免除されることや、手に入れたものや直したものを財産として認められる、とか、勝手に開拓地から離れちゃいけないとかの内容だったかと…でも名前を書いたらすぐに回収されたような…」


 ユーキがそう言うと、騎士たちは「あちゃー」という顔をした。


「まさかとは思うが…あの契約書の中にはいつからいつまでやるっていう期間がちゃんと書かれていたか?」


「え?」


 騎士たちから言われてユーキの顔から体温が抜けていく感覚がした。


「つまり、公爵家側が了解を出さない限り、君たちはここから離れることが出来ないんだよ」


「つ、つまり?」



「最悪、半永久的にここから離れられないかも…」



「は、はーっ!?」



「あと、さっき君が言ってた、勝手に開拓地から離れちゃいけないっていうのも、もし逃げたりしたら刑罰を科すって意味だと思う」



「はーー!!??」



 ユーキは背中からバターンと言う音が出そうなぐらい、勢いよく倒れた。皮肉にも空はとても青い。


「(だまされたー!前世で親父から、『よく読んでいない書類にはハンコを押すな』って言われてその時は『何言ってんだこの老害が!』って思ってたのにー!)」


 ユーキは思わず腰を反らしてブリッジの状態になりながら心の中で叫んだ。


 そのユーキの行動に、騎士たちは心配半分、不信感半分で見ていたが、ユーキにとってはこの際もうどうでもよかった。


「ま、まぁでも、この護衛で君たち2人を見ていたけど、私は君たちは案外うまくやっていけるんじゃないかなと思っているよ?」


 不審に思いながらも、騎士の1人がユーキを励ますように口を開いた。


「…やめてくださいよ。慰めにもなりませんよ」

 ユーキは地面に転がったまま、騎士の方に目だけをチラリと見ただけで不貞腐れたように言った。しかし、騎士の方は「いや、そんなことないよ」と言って、止まらなかった。


「ほら、妹さんはあの通り強かっただろ?人魔族自体が俺たち人族よりも腕力があるのは本当だけどそれを差し引いても、あれは天性の才能だよ。でも惜しいかな、人格は不相応に小さな子供だ。だから君が彼女をサポートして助け合えばきっとうまくやり遂げれると、勝手ながら私は思ってるよ!」


 そうなぜか自信満々に話す騎士の言葉にユーキは(本当かよ)と心の中で悪態をついた。


「(確かにリリーの強さは本物だろうが、実際は中身は全然小さな子供だ。俺がサポートをするにも限界がある。なにより、リリーに危険な役目を負わせるなんてとても…)」


 そう思っていると、廃村の奥からリリーの大きな声がした。


「ユーキおにいちゃーん!おーい!」


 リリーの声が段々と大きくなる。どうやら近づいてきているようだなというのがユーキにはわかった。


「…リリーのこと忘れてた…どうしたのー?何か見つけたー?…って!?」


 そう言って、ユーキは上体を起こして声がする方を見た。そして、リリーを、いや、リリーが担いでいるものを見て、ユーキや騎士たちはぎょっとした表情になった。


「みてー!そこでつかまえた!」


「いや、捕まえたってお前…」


 リリーが担いでいたのは猪の魔獣であるワイルドボアだった。


 冒険者ギルドではCランクに設定されている非常に体力のある魔物で、討伐するには大体3人以上のパーティーか、単独でもベテランレベルでないと討伐できない魔獣だ。


「これ…リリーが倒せたの?」


 恐る恐る冷や汗をかきながらユーキが聞くと、リリーは満面の笑みで頷いた。


「なんかねー?むこうがわで、何かいるなーっておもって見にいったら、この子がうー!っていいながら向かってきたから、チョップしたの!」


「チョップ!?チョップしたらこうなったの!?」


「うん!そしたらふらふらーってなって倒れて、面白かったからもってきた!」


「…そっかー持ってきたか―。リリーは強くて優しいなー」


 色々思うことがあったが、とりあえずユーキは褒めることにした。遠い目を見ながら。

 呆然としながらユーキがリリーの頭をなでていると、後ろの方で騎士が笑顔でユーキの肩をたたいた。


「な?君は不服かもしれないけど、実際、この子が魔物退治、君がそれ以外のサポートをした方が生存率は上がるよ」


「…でもリリーは子供だし…」


「強い組織や集団って言うのは何も全員が戦闘面で優秀な必要はないんだ。それぞれが得意分野に分けて協力しあえるのが強い集団なんだよ」


 そう言って騎士がユーキに笑いかけると、背中をバンと叩いた。

「ほら、教えてやるからワイルドボアを解体して肉にしちまおう。頑張れよ。お兄ちゃん」





 その後、ユーキとリリーは騎士たちと別れを告げると、廃村の中で自分たちが住む家を決めると、そこを我が家とすることにした。

 


 そして10日目。冒頭に至る。



 長々と書いたが、端的に言うと、ユーキはこの人魔族の少女、リリーとこの開拓村に島流しに(陸上なのに島流しとは少々ややこしいが)なってしまったのだ。

 

 ちなみに、余談だが、ユーキは自身のことを異世界転移したにもかかわらず、お約束のチート能力のないポンコツ野郎だと自分のことを評価しているが、実はそれは間違っていて、ユーキはしっかりチート能力を持っていた。


 ユーキが持っていた能力、それは「鼓舞激励」。

この能力を持っている者が仲間と認めた相手の潜在能力を限りなく引き出す能力で、これによって、ユーキが家族や仲間と認めた者の能力は無条件で全能力が3倍となる。

 

 つまり、味方に対してのみ効く、とんでもなく強力な上昇効果なのだ。



 これはユーキが同じ相手と何回もパーティーを組んでいつも一緒に行動していれば、自然と判明したかもしれない能力なのだが、ユーキ自身ほとんど一人でしか活動したことがなかったためついぞ今でも判明することがなかったのだ。


 しかし、今回に至っては義理とはいえ、妹として認められたリリーにその能力の対象が向き、素の能力が元から高い人魔族ということもあり、いまやリリーは歴戦の戦士とも引けを取らない能力を持っている状態だ。

 

 再び、長々と話したがこのお話は、普通の人も寄り付かない強暴な魔物がたくさんいる眠りの大森林で自身さえも知らない能力によって仲間を助ける口が悪いが根はお人好しな兄と、その兄の能力によってけた外れに強くなった見た目がグラマー、心が幼女の妹による、血は繋がっていないが成り行きで兄妹となった2人による、スローライフとは程遠い環境で逞しくサバイバルをしていくお話だ。


「クッソー!リリー!ここで絶対スローライフしてやるぞ!」

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