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夏の日ー遠い思ひで  作者: 江戸熊五郎
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純太と直子の出会い


「あの、おばあちやん」

「あら、何かしら」

「こんな事聞いていいのか、わからないですけれど‥」


優子はじつと座りながらも、私を真つ直ぐに見つめてゐた。その気配に何かただならぬものを感じて、私は座り直した。


「何かしらね。何でも遠慮なく聞いていいのよ」

「あの、前にばあば‥お祖母さんのご実家にお邪魔した事がありましたよね。あの、云ひ難いですけれど、じいじの家より凄くお金持ちで、家も凄く立派で、始めた行つた時から凄いなあ、と思つてゐたんです」


成る程、そんな事を気に掛ける年頃になつてきた、といふことなのね。子供の成長といふのはあつという間の事ね、と改めて思ふ。


「つまり、何故そんなところの人間がこんなところにお嫁さんに来たのか、つて事ね?」


優子はコクリと頷いた。私はまだ卓袱台にあつた麦茶の瓶を取ると、そばにあつた優子と自分の湯飲みにお茶を注いだ。


「さうね、あれは丁度今の貴女位の年だつた。この島にゐる叔父と叔母のところに避暑と療養を兼ねて遊びに来たの。其れが全ての始まりだつたわ‥」


目を閉じるとあの頃、もう五十年も前の事がつい昨日の様に思ひ出される。あの時の空も海も、今と変わらぬ抜ける樣な青さだつた‥



僕の名前は河合純太。


昭和四十六年の今、小学校五年生の男子だ。生まれも育ちもこの青ヶ島、生粋の島つ子だ。自慢じやないけれど、島の事ならなんでも聞いて欲しい。もう大概の事は承知してゐる。其れは、まあ、親父やじいじにはまだ敵はないけれど!


さう言へば、今日はなんでも東京から僕と同い年の女の子が遊びにくるとか、隣の織田のおじさんおばさんが言つてゐたつけ。夏休みと言つたつてこつちは家業の芋焼酎の仕込みの手伝いもあるし、畑仕事だつてある。宿題なんか詰まらないものは、夏休みになつたばかりの裡に片付けないと、親父にこつぴどく叱られるのが相場だ。夏休みになつてからまだ一週間も経たないけれど、工作の課題以外は全部えいやあでやつつけて仕舞つた。そんな忙しい身なのだけれど、織田のおじさんおばさんは、島の事を案内してやつて欲しいだなんて。


まあ、織田のおじさんおばさんから親父に話が行つたらしく、家の手伝いが多少は猶予されたんだから、まあ良しとしないといけないかな。


そんな理由で港まで迎へに来た、といふ訳。其れにしても女子といつても何だかなあ。島の学校では、年上の織田の姉さんとかかずつと下のチビ共しか居ないし。まあ、分からないけれど、同じ人間だ、そんなに心配するこたないか!

そんな事を思ひながら、船の到着を待つてゐた。待合室ではラジオが流れてゐる。


「本日の天気‥」


ああ、この辺りの天気は最近はまあ落ち着いたものだよ。ぐつと高気圧に覆はれて、日差しも強いし、夏も夏、真夏の天気!なんて言ひながらも、霧で欠航する事も結構ある。


「をを、来たぞ!」


待ち合いの誰かが、外を指さしながら、そんな事を云ふ。まあ、確かに船は楽しみだよな。郵便、新聞、雑誌、其れにその他諸々生活に必要なものが到着するんだ。待ちわびる大人だつて少なくないだらう。

そんなこんなする裡に、ロープが船上から投げられたり、舳先の方では錨を降ろしたりして船は岸壁に横付けされ、と忙しなく着岸の作業が続く。タラップが降ろされると、愈々中から乗客が降りてくる運びだ。


さて、さて‥


何時もより沢山の大人達が居りてくるのは、夏の避暑シーズンだからか。まあ人の流れも落ち着いたかな、といふところで、何やら頼りのない感じの、白い帽子にワンピース?を着た女の子が一人、重そうに鞄を両手で前に提げてタラップを降りようとしてゐた。見るからに頼りないといふか、おつかないといふか。見かねたのか、船員さんが女の子に声を掛けると、その子は深々と頭を下げて、鞄を船員さんに預けるのが見へた。


船員さんは軽々と鞄を持ち、慣れた様子で岸壁まで降りてきた。


その船員さんと何故か僕は視線があつた。その船員さんは真つ直ぐ僕の方に来たかと思ふと、ドスンとその鞄を僕の前に置いた。


「坊主、お迎へだろ?後は頼んだぜ」


片目をパチンとウインクすると、その船員さんは足早に上の方へ消へて仕舞つた。

岸壁といふ程の大きさではないけれど、とにかく荷揚げやらなんやらもほぼ終わりに近づきつつあるそのタイミングで、その女の子はようやく岸壁に降り立つた。


暫くその子はキョロキョロと周囲を見回してゐたが、鞄を足下にした僕を見つけると、トコトコと真つ直ぐ此方に向かつてきた。


「あの‥」


僕は暫くその子の事を見つめてゐた。今迄に見たことのない生き物だぞ、これは。と僕の心は告げてゐた。それに何だつて僕の心臓は急にバクバクし始めたんだ?全く意味不明の状態の自分の体に僕は呆然としてゐた。


「織田のおじさんおばさんから連絡がありました。あなたが河合純太さんですね?」


真つ白なワンピース、大きな麦わら帽子。それに真つ白に透き通る様な肌。大きな茶色の瞳をした両目。島の子供達は大概日焼けしてゐるもんだけれど、何だつてこの子はこんなに頼りないといふか、女の子女の子してゐるんだ?


「あ、あ、確かに純太です。こ、今日は」

「初めまして。私は織田直子と云ひます。暫く親戚の叔父叔母の家に厄介になりに来ました。その間どうか宜しく」


その女の子はスッと手を差し伸べてきた。何の事かサッパリ理解出来ず突つ立つてゐると、僕の両手を取つて、かう言つた。


「宜しくお願ひします。私の事は直子つて呼んで下さいね」


その両手は今まで一度も経験のした事がない、細い細い手だつた。何かしら電気のようなものが、つま先から頭の先まで走るのを感じて、僕はハッキリ目が覚めた。


「う、うん。分かつた。な、直子さん。僕に任せて下さい」


其処から先、織田のおじさんおばさんの家に着くまで何を話したのか、何を考へたのかは、サッパリ覚へてゐない。ただ、鞄の重さから来る手に感じる現実の重量と、側にゐる女の子が何か現実のものに思へなかつた事以外は。


「おや、着いたのかい。よく来たね。さあさ、お上がり」


織田の家に着くと、おばさんが女の子‥直子といふ名前の女の子を迎へに出てきた。


「おば様、ご無沙汰してゐます。この度はお世話になります。宜しくお願ひします」


彼女は丁寧に織田のおばさんに挨拶をしたかと思ふと、大きな麦わら帽子を取つて、玄関の中に歩を進めた。僕はといふと相変はらず外に突つ立つてゐた。


「おう!純太。そんな暑いところに立つてないで中に入れ。お迎へご苦労だったな!」と居間の方から縁側に出て、玄関先にゐる僕に声を掛けてきたのは、織田のおじさんだ。


「分かつた。今行くよ」


両手で抱へた鞄をえいと玄関の中に入れ、最後に土間から上に持ち上げた。何だつてあんな細い身体なのにこんな大きな荷物なんだ?といふ疑問が湧いたが、暫く厄介になるといふその間、なんやかんや必要となるものなが物が入つてゐるのだらう。女の子の事はよく分からないから、適当なところで思案を止めて、中に入つた。


「直子ちやん。遠いところをよく来たわね。何も遠慮することはないからね。夏休みの間、元気よく過ごすことだけを考へるのよ。其れが今年の夏休みの宿題だわ」


織田のおばさんは、彼女にそんな事を話しかけてゐる。


「織田のおじさん、何だつてあの子はこんな島に来たのさ?取り敢へずは、荷物持ちはしたけど。どつか具合でも悪いの?」


僕はヒソヒソとおばさんと女の子に聞こへないように尋ねた。


「ああ、まあさうさね、そんな感じだな。まあ、あんまり気にすることはないさ。簡単に言へば、避暑と島での療養といつたところだな。見れば分かるだらう?細い身体なのに、気持ちはしつかりしてゐるところはなかなか大したもんだ。頼むぜ、純太。お前は直子と同い年だからナ。何だつて話を聞いてやつてくれ。私からのお願ひだ」


僕の家の畜産の仕事以外でも随分と織田のおじさんおばさんには世話にもなつてゐるし、元々この二人は僕も嫌いな訳じやない。頼まれたら、断る理由なんてない。


「うん、まあ、何とかやつてみるけどさ」


僕はただそんな風にして頷いてみせた。この先どんな運命が待ち受けてゐるかも知ることもなしに。

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