1.その男、元勇者?
――今から五年前。
人々は魔王の脅威にさらされていた。
【プロローグ 『勇者物語』(ルー&トー社刊)より】
雷鳴とどろく、雨雲の下で。
その城は、荒れ果てた大地の上に、人々をあざ笑うかのように、悠然と四人の勇者の前に立ちはだかかっていました。
いったいいつから、こんなおぞましいものが、存在したのでしょう。
長きの間、魔王軍と戦ってきた四人の勇者も、この光景には思わず生唾を飲みました。
「……信じらんねえぜ。未踏破ダンジョンの最深部に、こんなもんが立ってたなんてよ」
槌の勇者、トールが顔をいからせます。
「また、テメェの予想通りだな。エクセリオ?」
「いや、俺も夢を見ているようだよ、トール」
剣の勇者、エクセリオは、そう言いつつも、どこか楽しそうな笑みを浮かべていました。
「ただ、いくつものありとあらゆる可能性を、集められた証拠から検討して、一つ一つつぶして行って。最後に残ったものがどんなに突拍子もない説だろうと、それが真実なんだ。
地道に情報を集めてくれた、カゲコのおかげだよ」
エクセリオはそう言いながら、忍び装束に身を包んだ、報せの勇者、カゲコを見やりました。
「……ほめるの、やめる。エクセリオ」
カゲコは、くい、と、口元の布を引きあげます。
「情報、少なかった。エクセリオ、賢い。ここ、ダンジョンの深部。城ある、なんて、思う、ない」
「まったくだぜ」
トールも、カゲコに同意するように頷きます。
唯一、術の勇者、ナオミだけは肩をすくめてみせていました。
「……君は本当に図太いな。ナオミ。ダンジョンの中に魔王の拠点となる城があることは、前世では割とあるあるなのかい?」
「まさか。お話の中だけよ? こんなのがリアルで、私の前に現れるなんてね」
ナオミはゆるゆると首を振りながら言うと、眉をしかめながら、魔王城を見やりました。
「でも、エクセリオ、どうするのこの状況? 魔王軍が地上に出て、人間の街に侵攻するのに、あと二時間もかからないわ。街の防衛を騎士団に任せて、ダンジョン最深部に突貫するなんて、一体どういう了見なのかしら?」
「おやおや。ナオミにしては、カンが悪いんじゃないか?」
エクセリオはいつものにこやかな笑みを浮かべます。
「魔王軍が人間界に進行するまでの時間で、魔王を倒すのさ。いわゆる奇襲という奴だ」
エクセリオがそう言うと、他の勇者たちはため息をつきました。
「まーた簡単に言ってくれるぜ、この男は」
トールが呆れて頭を掻きます。
「エクセリオ、頭がいいけど、馬鹿……でも、そこがいいとこ」
カゲコはそう言うと、ほおむりをまた、クイと引きあげました。
「そうね。私たち、このハチャメチャな男と一緒に何年も旅を続けてきたのよ。最後まで乗ってやるわ」
ナオミがあきらめたように両手を上げました。
「で、一体どうやってあの城を攻略するつもり? 敵は魔王軍の大部分を、人間界に派兵したとはいえ、城には最強格の戦力……四天王と、そしてもちろん、魔王も残っているわ」
「最短で、攻略すると言っただろう?」
エクセリオはそう言うと、魔王城に、まっすぐな視線を向けます。
「一人一つづつ対処しよう。俺は魔王と、魔王軍四天王第一位のストレングスを倒す。他の四天王は、君たち三人で対処するのでどうかな?」
「無茶! 無茶! 何を言い出す、この脳筋」
カゲコが眉を顰めました。ですが、その瞳は、どこか楽し気に光っていました。
「ああ。俺もそう思うぜ。カゲコ」
トールも頷きました。しかし、すぐに、でもなぁ、と言って顔を上げます。
「どう考えても無茶だと思えても、この馬鹿が行けるって言ったら、行ける気がすんだよ」
「まったく、非論理的だね。トール」
ナオミはかけた眼鏡をクイと上げました。
「でも、私も同じ意見よ。恥ずべきことに、私は何の根拠もないのに、このイカレ規格外男が正しいって気がしてしまうし、今私たちができることは、それだけよ」
仲間たちから散々に言われたエクセリオでしたが、彼は愉快そうに笑います。
「おいおい、ずいぶんとひどいいい草だな」
「そうかしら? 少なくとも、私たちの気持ちは一つになったわ……君の頭がおかしいっていう点でね」
「がはは! 違いねぇぜ……あれ、カゲコは?」
トールがあたりを見回しますが、先ほどまでいたカゲコの姿がありません。と、その時でした。突如、行く手にある魔王城の脇で、爆発音が響いたのです。目を丸くする一同の前で、城の一部が、ガラガラと崩れ堕ちました。
エクセリオが困ったように頭を掻きました。
「おいおい。カゲコがもう突撃したのか。こういう時はみんなで突撃するもんじゃないのか?」
「なに言ってんの。ばらばらに行くって言ったのはエクセリオでしょ?」
ナオミの声は、エクセリオの頭上から降ってきました。エクセリオが見やると、彼女は既に魔力で宙を舞いながら、術式を展開していました。燦然と輝く光の束が彼女の背後でより集められています。
「私も好きに行かせてもらうわ……『満ち満ちて、穿つ空。術式八十一番亜流;永光槍』!」
ナオミが腕を振り下ろした瞬間、光の束は一本の槍となり、魔王城の城門に突き刺さりました。辺りが一瞬、晴天になったかのような閃光に満ちました。光がおさまったときには、ぽっかりと穴をあけ、火でくすぶっている、魔王城の城門が姿を現しました。
「ぬぉぉ! 負けてらんねぇぜ!!」
トールがうなり声を上げます。彼は百人力の大玄能を振りかぶりますと、力任せに地面にたたきつけました。
「『ザ・フィスツ・オブ・ゴッドズ』!!」
その瞬間、まるで、雷のような音が空気を揺らしました。大玄能を叩きつけられた地面は、蟒蛇が口を開いたかのように、ぱっかりと開きました。地割れ、いえ、断層といったほうがよろしいでしょう。
その衝撃には魔王城も耐え切れず、地割れに巻き込まれるように、土台からぐらりと傾きました。
「っしゃ! 行くぜ!!」
トールはそう言うと、すさまじい速度で、魔王城に駆けて行きました。ビュン、と音を立てて、ナオミも空から魔王城へ飛んでいきます。
「……まったく、得難い連中だ」
エクセリオはあきれることもなく、さわやかな笑顔を浮かべます。
「俺も行くか。とっとと終わらせてしまおう」
こうして、四人の勇者の最後の戦いが幕を開けました。魔王城には、なおも暗雲が垂れ込めています。しかしながら、広大な荒れ地に、まるで、四人の勇者をたたえるかのように、勇壮な音楽が鳴り響き始めました。
第一章【自称勇者は新顔】
「……やがて、トール、は、疾風の、四天王、フーバーと。カゲコ、は、鉄壁、の、四天王、バーロックと。ナオミ、は、回復、の四天王、キュアリエと。そして、エクセリオは、力の、四天王、ストレングスと、魔王、エンドラゴと、ぶつかった、のです……っと……」
エリカは、ふぅ、と、そこで息をつくと、ペンを置いて、手をグーパーした。机の上には、一冊の分厚い本と、数枚の紙が散らばっている。
エリカが座ったまま伸びをしていると、隣の仕事場から、デランがティーカップ片手にふらりとやって来た。
「おや、エリカ。随分とたくさん書いたんですね」
「デランさん! どうもっす」
エリカは照れたように頭を掻いた。
「まだまだ全然っすよ。今やっと、ちょうど、魔王との最後の戦いってところまでしか、書き写し出来なくって……」
「ええ! それじゃ三十ページも書いているじゃないですか。この一時間の間に」
デランは目を丸くして、机に近づくと、散らばっている紙を拾い上げた。
「うん。字も前よりも随分と綺麗になってる。すごい成長ですよ、エリカ」
「……うっす……」
エリカは顔を赤くして俯いた。
「でも、あたしみたいな、スラムの出の女は、どんなに勉強しても足んないっすよ。こんぐらい当然っす」
「いやいや、勉強を始めるのに時期なんて関係ないのですよ。大切なのは集中力。」
デランが手放しに誉めるので、エリカはとうとう、耳まで真っ赤になってしまった。褒められるのは嫌いではないのだが、どうもなれない。こそばゆいような気持ちから逃れるように、エリカは話題を変えることにした。
「ところで、デランさん。今手に持ってるのって、手紙っすか?」
「ああ、そうですよ」
デランは右手に持った便箋を、エリカに見せながら答える。
「とある人物の採用通知書……えっとまぁ、つまり、私たちに新しい仲間が増えるということですね」
「……え……!」
エリカが目を丸くした。
「嘘だぁ! 確かにここ、一応軍の部署っすけど……辺境にあるし建物はしょぼいし、周りの評判といえば給料少ないだの、やりがい功績大してないだの、変人しかいないだので散々叩かれてるじゃないっすか」
「まぁ、うん。確かに他の部署からの文句は多いけど……僕の前でその評判を並べなくてもいいですよね?」
「え? あたし、デランさんに悪いこと言いました? この部署は結構評判悪いっすけど、デランさんはいつだって最高っすよ!」
「だから、まぁ、うん、僕がここの部署のリーダーだから……うん、なんか、もういいや」
デランはあきらめたように、頭をポリポリ掻くと、きょとんとした顔のエリカに手紙を渡した。
「とにかく、私たちの部署に新しい仲間が加わるんです。この手紙は、その男に当てた、私からのちょっとしたメッセージが書かれいるんですよ。
もしよかったら、君がこれをその男に届けてくれませんか?」
「いいっすよ、任せてくださいっす!」
エリカは威勢よく返事をすると、デランから手紙を受け取る。手紙の表面には、どこかの住所と、名前が書かれていた。
「旧エグゼ市街、ロンチ村……シャープ=デクレシェンド、勇者様……えっ!!」
エリカは目を丸くした。
「ゆ、勇者、ですって!?」
「ああ、僕も驚きましたよ」
デランはにこやかに笑った。
「どうやら、僕たちの新しい仲間は、五年前の魔王侵攻の時、勇者の一人として、かの有名な、エクセリオやナオミと共に旅をしたことがあるというんですよ。にわかには信じられませんがね」
「う、うわぁ!」
ナオミは目を輝かせた。
「私、なんだかワクワクしてきたっす! こうしちゃいられない、ダッシュで行ってくるっす。じゃ!!」
「はいはい。気を付けてね」
デランの心配する声をよそに、エリカはもうすでに、建物から飛び出して外に駆けだしていた。彼女の背中に手を振るように、建物の壁に吊り下げられた、『ダンジョン事故調査委員会』の看板が、ゆらゆらと揺れていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……あ、あれかな?」
エリカは、肩で息をしながら、丘の上に立つ、小さな家を見つめていた。元勇者の住まいにしては、ずいぶんと辺鄙なところだ。 走って走って、もう一時間も経っただろうか。
「疲れた、だが、やっとたどり着いたぞ」
エリカは息を整えると、丘を登り始めた。
空は晴天、風はさわやか。気持ちのいい土地だが、あたりには丘の上にある小さな家以外何もない。
まるで、ダンジョンの最深部の、荒れ果てた土地にそそり立つ、魔王城みたいだ。
「『信じらんねえぜ。まさかテメェの予想通りとはな、エクセリオ?』」
エリカはわざと、足を引きずるようにして丘を登りながら、勇者物語のセリフをつぶやいて見せた。
その瞬間、丘の上から、風がびゅうと吹いた。向かい風だ。大したことのないただの風だが、丘の上の建物が、自分を拒絶するために、悪あがきを見せているようにも感じなくもない。
どこからか、雷鳴のような太鼓の音が鳴り響き始めた。
『~名の知れぬ、神すら知りえぬ、魔のダンジョン。光も届かぬ最奥で、どうして城が経っていると、だれが予想できようか。雷鳴とどろく曇天の下、魔王の城は悠々と建ち、四人の勇者をあざ笑う~。勇者の足は傷ついて、今にも足は止まりそう……』
「くっ、でもまだだ……」
エリカは、丘をゆっくりとゆっくりと登りながら、喉の奥でつぶやいた。
「私には、大事な使命があるんだ。この手紙をあの城に届けるまで、あきらめないぞ。デランさんが待っている……!」
『そう、少女勇者はやめないーい(やめない)足が傷つこうとも止まらなーい(とまらない)あの人との約束を守―るた、め、に! 少女は魔王にたーちむーかう!!』
「よっしゃ! 行くぜ!!」
エリカは一言吠えて、走り始めた。一気に丘を駆け上る。そして、そそり立つ魔王城、もとい家にたどり着くと、門を思い切り蹴飛ばした。
バギャァン!!
腐りかけの木製の門扉が、粉々になって飛んでいく。
「ひっ……」
エリカは真っ青になった。
「しまった、まさか壊れるなんて……いや、そうじゃなくて」
辺り一面に散らばった木片の前で、エリカは思わず頭を抱えた。
「あたしゃは一体何を……」
「『ほんとにねぇ~。びっくりだよぉ~』」
ポロロン、と、竪琴を引く音と共に、誰かの歌声が聞こえた。エリカがハッとして顔を上げる。
壊れた門の向こう側で、一人の男の人が立っていた。手に抱える竪琴を、器用に指を動かして、風に音を乗せるようにポロンポロンと弾いている。
「『綺麗な声の子だと思って~君のつぶやきに合わせて~英雄譚を弾き語りして見せたけど~俺の竪琴は一級品~聞く者の心動かす天の詩……』」
男は、竪琴を引くのをやめて、普通にしゃべりだした。
「ごめんね。まさか、君が妄想に夢中になって、俺の家の扉を蹴飛ばしてしまうほどとは思わなかったんだ。足、怪我していないかい?」
エリカは顔を耳まで真っ赤にした。そして、ものすごい勢いで、頭を下げる。
「サーセン、サーセン、ごめんなさぁい!!!」
「……はいこれ、水だよ」
エリカを家の中に招き入れたあと、竪琴の男は、小さな応接間の机の上に、コップを二つ置いた。
「どうもっす……あ、あの!」
エリカはコップに手を伸ばす前に、竪琴の男に尋ねる。
「あなたが、シャープ=デクレシェンドさんですか?」
「ああ、そうともさ」
竪琴の男、シャープは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「あんなことして、ほんっとサーセン。あたし、実はお使いで、シャープさんに手紙を届けに来たんです……」
「おや、手紙。どれどれ?」
シャープは、エリカの差し出した手紙を受け取って、差出人をちらと見た後、便箋を開け始めた。
「……ええと、『ダンジョン事故調査委員会』って書いてあるけど……」
「そうっす」
エリカは誇らしげにうなずいた。
「シャープさん、これからあたしたちと一緒に働くんですよ」
「えっ、働く、俺が? うわ、そういう感じの手紙か……」
シャープは、便箋を開ける手をぴたりと止めて、目を丸くした。そして、そのまま便箋をエリカにつき返した。
「よし、じゃあ、この便箋、返すね。君はこれをもって、元のご主人に返してきなさい」
「……はい?」
エリカは首を傾げた。
「え、えっと……いらないん、ですか? 働くための大事な書類が入っているんだと思うんですが……」
「ああー。なるほど、君、意外とまじめな子か」
シャープは顎に手を当て、なにかを考えるそぶりを見せた。そして、まじめ腐った顔を作ると、エリカに深刻そうな声音で語り始めた。
「そうだねぇ……実は俺、今とても重要な任務を抱えているんだ」
「……重要な、任務……はっ!」
エリカには思い当たることがあった。
「まさか、勇者関連の……!」
「そ、そう、それそれ!」
シャープは、右手で握り拳を作りながら、エリカの言葉を勢いよく肯定した。
「そうなんだ。魔王が滅んだとはいえ、俺にはまだ重要な任務が残っているんだ。確かに君たちの仕事は魅力的だし、素晴らしいと思う。でも、世界を救うため、俺はいま手が離せない……」
「そう、なんですか……」
エリカは、心底残念そうに俯いた。
「残念です。私たちの部署、いつも嫌われることが多くて、なかなか新しい人が来なくて……でも、世界のためなら、仕方がないですよね」
エリカは寂しい気な笑顔をシャープに向けた。純粋なエリカの様子を見て、シャープはひきつったような笑みを浮かべる。
「ああ、いや、その、遠路はるばる、ごめんね? そうだね。何も言わずに断るのは失礼だから、一応、私から直々のお断わりの手紙を出しておこうか」
少し待っててね。
シャープはそう言うと、隣の部屋に行ってしまった。
応接間に一人、取り残されたエリカは、少しの間だけ座っていたが、やがて椅子から立ち上がると、部屋の探索を始めた。
随分と簡素だが、とても清潔で綺麗な部屋。勇者の家というには、少しつまらない感じもした。というか、シャープは一体何の勇者だったのだろう? 五年前、魔王討伐を行った勇者は四人で、その中にシャープ=デクレシェンドの名前はなかったと思うが……お話に出てくる勇者の名前は、偽名なのだろうか?
エリカは、シャープの姿を思い浮かべた。細身で長身。鼻は高くて、色白で、端正な顔立ち。銀色の長髪を一本のほつれもなく後ろで縛っている。着ている服はシンプルだけども、さらっと上品に着こなしている……。
勇猛果敢で男らしいと伝えられる、槌の勇者、トールじゃなさそうだ。では、剣の勇者、エクセリオだろうかといわれると、違う気がする。というか、シャープはダンジョンで戦う勇者という感じがしない。社交界で花を咲かせる演奏家のような感じの男だ。
部屋の中を歩き回りながら、エリカはそんなことを思っていた。
その時だった。
パサン、と何かが床に落ちる音がした。
「いっけない」
歩き回った拍子に、なにかが床に落ちてしまったようだ。だが、もうこれ以上、この家のものを壊すわけにはいかない。エリカは、慌てて床に目をやった。
床に落ちていたのは、一冊の薄っぺらい本だった。紙が白く、まだ新しい本のようだ。慌ててエリカはその本を拾い上げた。幸運なことに、ページが折れたりはしていないようだ。
エリカはほっと、息をつく。そして、何とはなしに、その本のタイトルに目をやった。
シンプルな筆跡で書かれた題名だが、字を習い始めたばかりのエリカには、まだよくわからない字が混じっている。でも、これもきっと勉強になる。そう思ったエリカは、ゆっくりと、読める範囲で題名を読み始めた……
「ええと……『エク』……『カゲ』……『TS』?……『魔王の力』……。
これ、勇者の物語が書かれてる本だ!」
エリカは目を輝かせた。
元勇者といわれる男の家に置かれた勇者の本だ。物語のオリジナル、いや、もしかしたら、物語には載っていない、勇者本人たちだけが知っているような、ことが書かれているかもしれない。
シャープはまだ、手紙を書いているようで、帰ってくる気配はない。
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、読んじゃおう……ちょっとだけ……」
エリカはそう言いながら、静かにページを開いて、ゆっくりとその本を読み始めた……。
【エク×カゲ! ~魔王の力で女の子になっちゃった! エクセリオをやさしく包むカゲコの魔手~】
「とうとう追い詰めたぞ! 魔王!!」
魔王の広場に、エクセリオのりりしい声が響いた。
「く、クソ……エクセリオ……貴様、一体どれほどの力を……」
魔王はよろよろと、それでも最後の力を振り絞って立ち上がる。
「もうあきらめろ。強い力で押さえつけられる世の中に、未来などない。お前の野望は、最初から破綻しているんだ!」
「貴様のようなガキに何が分かる!!! ……クソっ……こんな奴に、道理も知らぬこんなガキに……屈辱だ。屈辱の極みだ……こうなったら……!」
魔王がすさまじい形相で、エクセリオを睨みつけた。
そして次の瞬間。魔王の広場全体が大きな光に包まれた。
「! なんだっ、これは!!」
エクセリオの顔に、はじめて焦りの表情が浮かんだ。
「負の力じゃない……魔物が持つ魔力とは違う。かといって俺たちの使う魔法とも違う。この力は、この圧倒的な力は、一体!!」
「くはははは!!!」
魔王が高らかに笑い声をあげた。
「屈辱ついでだ。我のプライドをすべて捨ててでも貴様をぶっ倒してやる。
初めてか? この力は世界の理に作用する、いわば神の力だ!!」
「なん……だと……」
エクセリオが顔を蒼くします。
「世界が壊れるぞ、魔王!! 世界を統治する目的すら捨てようというのか!」
「フハハハハハ、見くびるな小童! 魔力の九割を消費したが、私の勝ちだ!」
その瞬間、光はいっそう強くなり、エクセリオは思わず目をつぶった。
やがて、光がおさまり始めた。エクセリオはゆっくりと瞳をあけた。
……一瞥しただけでは、特に世界に変わりはなかった。妙な違和感はあるものの、世界の理に手を加えたにしては、大きく変化はなかったのだ。
「ハハッ、なんてことない……」
勝ち誇って、そう言いかけた瞬間。エクセリオは思わず自分の喉に手を当てた。
いつもより、自分の声が高いのだ。
ハッとしてエクセリオは自分の体に目を向けた。胸に違和感。鎧を緩めて改める。
「んっ……なんだ、これぇ」
それが豊満な女性の乳房だと気づいて、エクセリオは、ハスキーな声音を震わせた。
「どうやらうまくいったようだな。エクセリオ……お前を女にしてやったぞ!」
勝ち誇る魔王。エクセリオは股間に手を当てた。予感した通り、あるべきものがなくなっている。彼の握る剣に映る自分の姿は、一人の少女の姿になっていた。
「これが……俺?」
「俺? じゃないだろ、エクセリオちゃん」
魔王はにやにやと笑った。
「ふざけるなよ、魔王!!」
怒りを募らせたエクセリオは首を振って、剣を構えなおした。
「俺たち勇者パーティーは、女も男も関係ない! 皆、お前を倒すためにここに来ているんだ。こんなんで倒されると思ったら大間違いだぞ!!」
エクセリオは、魔王に飛び掛かる。
「ふぅん!!」
魔王が腕を振りかざし、剣を受け止める。と、その瞬間。
バチン!
エクセリオの握る剣が、はじけ飛んだ。
「なっ……嘘……」
エクセリオは思わず、魔王の前で足を止める。
「グへへへへ……」
魔王が下種な笑みを浮かべた。
「男女の体のつくりは随分と違うだろう? お前は今、急激に変化した後の、女の身体をうまく操れない。もちろん、魔法もだ。無理に魔力を行使しようとすると、暴走してはじけ飛ぶかもしれんぞ、あの剣のように……」
魔王は、エクセリオの左腕をグイとつかむと、彼の、いや、彼女の身体を宙吊りにした。
「な、なにをする、離せ!!」
「ふへへへ。貴様の持つ魔力なら、自分で振りほどけるであろう?」
「くっ……」
エクセリオは、唇を噛んだ。だが、今魔力を使えば、暴走してしまうかもしれない。魔王はせせら笑うと、唐突に、エクセリオの頬を、べろりと舐めた。
「ふぇっ……」
「いい表情だなぁ。仕方がない。俺がお前に、女の身体がどういうものなのかを、教えてやるよ。
そうだなぁ、まずその苦しそうな鎧から外してやろうか……」
魔王はエクセリオの鎧を片腕ではぎ取った。二つのふくらみが、ほろりと姿を現す。
「お、お前、何をする気だ……!」
「わかってるだろぉ、お前も男ならなぁ。ああ、そうか、今は女か。
さて、勇者の柔肌とやらを見せてもらおうかな……」
魔王の手が、エクセリオの服の下に伸びる。
と、その時だった。
「魔王、趣味が悪い」
魔王の耳元に、静かな声が聞こえた。
「なに!」
魔王が思わず振り返ろうとしたその瞬間、彼の眉間に、鋭く冷たい感触が走った。魔王の顔面が蒼白になる。
魔王の肩の上に、一人の少女がしゃがんで、魔王の眉間にクナイを突き付けていたのだ。
「なんだ、貴様……!」
「第十一代、報せの勇者、カゲコ……女の身体で遊ぶ、なら、私と、戦う、よろし」
魔王の耳に言葉が届いたのはそれまでだった。
まるで跳躍する猫のようにカゲコが宙に飛ぶと、無数のクナイを魔王に向けてはなったのだ。魔王は反射的に、防御魔法を展開。だが、クナイは、こともなく、その邪悪な光のシールドをすり抜けた。
次の瞬間には、魔王の体に、全てのクナイが突き刺さっていた。魔王は驚愕の表情を浮かべながら、広場の地面にあおむけに倒れた。
「きゃっ!」
エクセリオは唐突に、魔王の左手から放され、一瞬宙を舞う。危うく地面にぶつかりそうになったその時、彼女の身体は、ふわりと抱きかかえられた。
「大丈夫、エクセリオ?」
エクセリオが恐る恐る目を開けると、そこには柔らかなカゲコの笑顔があった。
「だ、大丈夫、だ」
エクセリオは、自分がカゲコにお姫様抱っこされているのに気が付いて、顔を赤らめる。
「怖かったね。でも、もう大丈夫。だよ。勝ったから」
カゲコは、エクセリオの気持ちを知って知らずか、子供をあやすように、トン、と自分のおでこをエクセリオのおでこに当ててみせた。
「……く、くそぉっ、くそくそくそくそぉぉぉぉぉぉ!!!」
突然、カゲコの背中で地鳴りのような声が上がった。魔王が怒号を上げたのだ。
魔王は身体中に突き刺さったクナイも抜かずに、ゆらりと立ち上がる。エクセリオは思わず息を飲んだ。他の魔物ならいざ知らず、魔王にクナイを何本も突き刺したところで、死ぬわけがないのだ。
「こんんのクソアマがぁ……二人まとめて犯しぬいてやるぁ!!!」
魔王の怒号は、広間中に響き渡り、壁や地面が揺れて、柱のかけらがころころと地面に転がった。
だが、カゲコは物怖じしなかった。
「下品。下種。下賤。聞くに堪えない。もうずっと動かない。がいい。」
カゲコは右手を宙に上げ、一言、詠唱をした。
「波動魔法『共鳴騒濁流』」
そして、宙に上げた右手の指を鳴らす。
パチン。
その音は、魔王の広場中に鋭く響いた。空気を振動させた。そして、その波動は魔王の体に突き刺さったクナイに届く。
その刹那、クナイが高速振動を始めた。
「ぐああああああ、ああ!!」
魔王が断末魔を上げる。
「一体、何を!」
エクセリオが目を見開く。カゲコは静かに答えた。
「魔法。だよ。クナイ、の、刺さったところにから、波動術式が、展開して、相手は粉々になってはじけ飛ぶ……全部、エクセリオが教えてくれた、魔法を、応用した、んだよ?」
カゲコが説明を終えた時、もう、魔王は最期の断末魔を終えていた。
数瞬の静寂。
次の瞬間、魔王の身体はまるで手榴弾のようにはじけ飛んだ。
魔王の広場の床は、赤い点描に彩られた。
エクセリオは、ホッと、息をついた。いつの間にか、カゲコの胸に、自分が頭を持たれさせているのに気が付いて、彼女はまた、顔を赤らめる。
「怖かったの? エクセリオ」
カゲコが温かい笑みで、そう問いかける。エクセリオは否定しようとしたが、やめた。彼はストンと頷いた。今は、今だけは、カゲコの腕の中で甘えてもいい気がした。
カゲコの瞳が揺れた。
「エクセリオ……どうしてそんな顔をするの?」
「え……」
エクセリオがきょとんと首を傾げたその瞬間、カゲコは、エクセリオにキスをした。エクセリオの顔に、驚愕と、続けて羞恥の表情が走る。
「カゲコ……急に何を……」
「エクセリオが悪いんだよ」
カゲコはいたずらっぽい笑みを浮かべると、エクセリオの首筋に、指を這わせた。
「ねぇ。エクセリオ。私、あなたがどんなになっても、あなたのことが好き。
魔王にいたずらされたの、私が上書きしちゃうね」
「ちょっと、待ってよ!」
エクセリオが慌てて、カゲコを押しとめる。
「俺……何が何だか……」
「もう、仕方ない、なぁ。『共鳴総濁流』それ!」
カゲコがチョン、と、エクセリオの胸に指を触れた。
バリン! という音と共に、エクセリオの服がはじけ飛ぶ。
「ば、ばか!」
エクセリオは、あらわになった白い肢体を必死に腕で隠そうと捩る。
「これじゃ外に出られない……」
「出なきゃいい。それまで、私と一緒に幸せ、しよ?」
カゲコはそう言って、エクセリオの首筋に唇を這わせた。
エクセリオは少しだけ体を震わせたが、抵抗をしなかった。ただ、カゲコの奏でる感触に、ゆっくりと身をゆだね……。
「な……な……なぁ……」
エリカは、顔を真っ赤にしながら、その薄い本を読んでいた。
「な、ナニコレ……何これぇ……」
その時、部屋の奥から、ガタッ、という音がした。
エリカは赤い顔のまま、音のしたほうに顔を向ける。
真っ青な顔になったシャープが、ドアのところで立ち尽くしていた。
「ああ……君、もしかして、字……読める子……?」
恐る恐る聞くシャープに、エリカはゆっくりと頷く。
「なんなんっすか……なんなんっすっかこの本……エクセリオ様が女の子になって……カゲコと、お、おにゃのこ同士で、すっぽんぽんで、ちゅ、き、きしゅ、キスしてて……」
「……百合二次創作です。勇者物の」
シャープは気まずそうに、だが、正直に答えた。
読んでいただきありがとうございました。
御見苦しい点ございましたら申し訳ありません。
次回、更新 8/15 16:00 を予定しています。