23.切歯扼腕
悔しかった。
魔王グレイソレアに負けたが、それでも実力を認められた。そのため、魔大陸へと通された。
それがいけなかった。調子に乗ってしまったのだ。
魔大陸の厳しい環境に、一番最初にやられたのは回復術士だった。食が体に合わず、さらに大量の魔素に体がやられてしまったのだ。
回復術士の体力の回復を待ちながら、様子を窺っていると、竜種が現れた。竜種の中でも特に好戦的だと言われているグレートドラゴンだった。
「くそ! もう駄目だ。逃げるぞ! もう魔大陸にはいられない」
仲間の言う事に他のメンバー全員が賛同する。
すでに魔力切れを起こして酔ってしまっている魔術師が、回復術士に肩を貸し、走り出す。戦士が弓術士の前に立ち、ともに時間稼ぎをしようとする。
しかし、弓術士は戦士の胸を押した。
「ここは私が殿をする。お前はあの二人の護衛をしろ。特に魔術師の彼女は王族だ。しかも、無茶をよくする。送り返してやらなくちゃいけない」
「……絶対に追いつけよ」
その後、3人の仲間がどうなったのか分からない。そこで私は死んでしまったのだ。
だからこそ、その少女が来た時、分かってしまった。
嗚呼、何と私は無力なんだ。
自分が出来ることは数少ない。その中でも最善の選択肢を取る。
弓術士のヌネが岩陰に隠れながら、28㎞離れた場所で弓を引いた。長さにしてみれば、東京駅から大宮駅までくらいの距離がある。
放たれた矢が真上に三秒間進むと、一回転して少女に向かって直進する。
「ム」
シキがナイフを抜き、矢を切り落とした。
「何だ?」
「きゅ、急にやってきましたね」
レイドとアレンが辺りを見渡すが、弓術士を見つけることができない。
「分かるか?」
「イケる」
「よし、シキ、ゴー!」
アストロがシキの背を叩くと、シキはすぐにトップスピードで走り出した。急いでシキを追いかけようとするが、足手纏いを連れて行かなければならず、少し遅れて走り出す。
ヌネは固定砲台ではない。今の一本を撃った段階で走り出している。
『くそ! 何だあの速さ、人間じゃねぇだろ! 今の勇者って言うのは私じゃ想像できない域に到達しているの!? いや、先代のゴートとどっこいどっこいか』
ヌネは走りながら矢筒から矢を三本取り出し、高速で射出する。矢は縦横無尽に飛び回り、シキを狙う。
シキは当然のようにナイフを振るい、矢を落とした。
『は? 死角がねぇのか、アイツ。勇者が人外すぎる』
ヌネとシキが追いかけっこする。まるで中学受験算数の旅人算の兄弟のよう。とはいえ、ヌネが分速100mで走っているとするならば、シキは分速100㎞で走っているようなものだ。
ヌネは矢を何回も射出しているが、シキの足止めは合計しても一秒にも満たない。
ヌネは異常なまでに鬱蒼としている森の中に逃げ込む。
「ム」
シキが森の入口で立ち止まる。少しの躊躇を覚悟で塗りつぶし、森へと入っていく。
『チ。矢が残り5本か。関係ねぇ。大盤振る舞いだ』
ヌネは残りの五本の矢もすべて撃った。
シキは平然と森の中を駆けながら、4本の矢を叩き落とした。
5本目の矢は、木の上の方にあった謎の実の付け根に当たる。このままいけばシキの頭にぶつかるだろう。
シキは小石を飛ばし、謎の木の実に当てる。
謎の木の実が割れ、ブワリと中の種が舞った。花粉のように小さく細かい種子だ。
シキは風を出し、種子を飛ばした。
『能力向上系の魔術か? それならあの速度も納得……いや、それでも速すぎるだろ』
ヌネは狩人としてよくない焦り方をしながら、狩人の時以上の冷静さも同居させている。
ヌネは自身の魔力を細長く加工し、弓に番えた。以前、アストロとアレンの二人の共同作業で行った技を、ヌネは一人で行う。それだけなら魔力弓術士が行う最低ラインなのだが、<魔弓>の名を持つヌネはそんなものでは済まない。
<魔弓>が放った魔力の矢はくねくね曲がりながら木々の間を縫う。
シキがその魔力の矢を斬ろうとする。その直前、ナイフが触れようとした途端、矢が割れた。そのまま二本となった魔力の矢がシキに向かう。
シキは咄嗟に身を屈めた。矢よりも低くなったシキは一気に地を蹴り前へ出ると、操糸術を使い、糸を木に巻き付け、空中に舞った。
糸を剥がし、シキはクルクル回りながら木の幹に止まった。
『は? あの勇者、木に止まってんの? 蟲かよ』
苛立たしげに文句を言いながら、魔力の矢を番えた。
そこで気付く。この森に、勇者の仲間と異形が入った。
ヌネは真上に弓を向け、魔力の矢を放った。
たっぷりと五秒かけて、魔力の矢が真上へ飛び、花火のように弾け、魔数に分かれた魔力の矢が雨のように降り注ぐ。
「何だ!?」
アシドが目を抜いて驚愕する。今までにそのような規模の矢の攻撃を見たことがないのだ。
アレンも同じ技を使えるが、ここまでの規模も威力もない。
<魔弓>の名に恥じぬ無差別攻撃が降り注ぐ。
近接三人は、後衛三人を護るように立ち、各々の武器で撃墜させていく。着弾した矢のせいで、土埃が舞い上がった。
『あん中縫ってくるとか、化け物だろ!』
シキは降り注ぐ魔力の矢の中、ヌネの元に辿り着いた。もう目視されてしまったため、逃げようが限られてくる。
試しに煙幕を使った瞬間、その煙幕を割ってシキの手が伸びてきた。咄嗟に弓を間に挟んだが、恐怖に変わりはない。
『くそ!』
ヌネがシキを蹴飛ばそうとした時、みしり、ばき、と弓から聞こえてはいけない音が鳴った。
握力まで化け物か、などと考えながら、シキの腹に足裏を添えた。
『吹っ飛べ!』
ヌネがぐっと力を込めた時、サクッといやに軽い音を立てて、左目に矢の穂先が刺さった。
その目を、ヌネは生涯忘れることができないだろう。その、人のものか疑うほど無機質で、人のものか疑うほど生気に満ち溢れた狩人の目を。
目の奥が砕け、貫かれ、脳までぐちゃぐちゃに掻き混ぜられるのを感じながら、ヌネは口を開く。
『くそ……。これが今代かよ』
悔しい。今代の勇者の強さが。
こんな強さが私にもあれば、仲間を護り切ることができただろう。
嗚呼、今代の勇者に祝福を。
「……何をしているんだ?」
『見へ分きゃりゃんにょきゃ?』
「……矢に刺されることに関して理解はないぞ? ブラヅマス二世の『串刺し婦人』、もしくはプュリッツファンネルの『美しき少女像』の真似か?」
『んぐ! たわけ! んなわけあるかいな』
腕を組んで仁王立ちするコウガイが、心底不思議そうに女へ問いかける。問いを貰ったポラリスは喋りを封じていた矢を噛み千切り、コウガイを睨んだ。
『流石、我が抱かれ、孕み、子を産んでもよいと思った二人のうちの一人よ。相変わらず我を喜ばせるのが上手い』
「オレはオレよりも強い奴にしか興奮しないぞ」
『フム。媚薬なり精力剤なり興奮薬なりなんでも使ってやろう』
ポラリスは話しながら腕を引き抜き、矢を砕いている。ポラリスは矢を砕けるし、避けられるし、決して弱くはない。だというのに、なぜ当たったのだろうか。やはりMだからか?
真正面からまともに受け、それでもなお無傷であるコウガイは、心底分からないと、首を傾げた。




