19.凍れる時
勇者一行は無事に対岸へと辿り着いた。
この湖の対岸が見えなかったのは、広大すぎることが原因かと思っていた。もちろんそれも原因の一つなのだろうが、どうやら他にも原因があったらしい。
対岸は視界不明瞭な程吹雪いていた。
その白が対岸を隠していたのだ。
「サ、寒いぞ」
フウは寒さに慣れていないようで、身を震わせながらシキに抱き着いている。シキは鬱陶しそうにフウを剥がそうとしている。
コストイラは寒さでテンションがガタ落ちだ。まだ陸に上がって五分も経っていないにもかかわらず、もう帰りたがっている。
「おう、もう行こうぜ。とっとと抜けたい」
落ち込みすぎているコストイラに、アストロが笑いそうになる。
ドスンという音が聞こえた。コストイラは敵をまだ見ていないが、盛大に舌打ちをした。完全に苛立っている。
吹雪の中、立っていたのは氷の羚羊だ。鬣が氷でできており、口の端から白い息が漏れている。
「悪いな。オレは今、チョー苛立っているんだよ、この寒さのせいでな!」
コストイラが一気に跳躍し、灰色の首を狙い刀を振るう。炎は纏わない。雪が融けて雪崩になってはたまらないからだ。
『ビュロロロロロロロロ!!』
フリーズガゼルが鳴きながら氷の槍を作り攻撃してくる。フリーズガゼルは防御などしない。攻撃に対して、さらなる強い攻撃で押し返すのがこの羚羊のスタイルだ。
コストイラは空中で刀を振り、氷の槍を打ち落とす。そのまま氷の槍の勢いを利用して一回転して、今度こそ氷結の羚羊の首を狙う。
フリーズガゼルがさらに氷の槍を生み出すが、それよりも早く首に辿り着いた。
戦闘が開始して一分も経たずして終了した。
「え、赤髪、早い」
「我慢の限界なんだよ」
「え、赤髪、早い」
もう寒すぎて震えの止まらないコストイラにフウが突っ込んでいる。そんなフウもまだシキにくっついたままだ。何かもうシキは諦めている。
「コストイラが早いのは確かだけど、私達もそんなに長く耐えられるわけじゃないわ。早く抜けましょう」
アストロの意見に無言で賛同し、全員が歩き出す。
吹雪が激しくなる中、仲間が一人増えた勇者一行が進行する。
しばらく歩いていると、目の前の岩に腰かけている人が見えた。
「先人か」
「いるものなのね。まぁ、いてもおかしくないわよね。ここに辿り着く道はいっぱいあるわけだしね」
「一応挨拶するか?」
「軽く会釈くらいはしておきましょう」
勇者一行がゆっくりと人影に近づくように歩く。
「え?」
誰が出したのか分からないが、その光景は目を見張るものだった。
「つら、ら?」
「ま、まさか」
吹雪で見えにくくなっていたため気付けなかったが、その顔、体、装備には氷柱が垂れていた。
エンドローゼが急いで近づき、遠慮なしに女に触れた。脈がない。それどころか、冷たすぎて指の皮がくっついてしまいそうだ。
「……そうか、寒さに負けちまったのか」
コストイラが、明日は我が身だと思いながら呟いた。レイドは両手を合わせて、仏を鎮めている。
コストイラが首を傾げる。
「あれ? 何か、どっかで見たことありそうな顔してんな」
コストイラが女の顔を覗き込む。思い出そうと頭の引き出しを探し回っているが、全然思い出せそうにない。
コストイラはわりと雰囲気で人を覚えるため、顔の特徴が覚えられないのだ。
「ロケットをつけてる」
「じゃあ、この女の身内に届けてやるか」
コストイラがロケットを外し、自身の目線の高さにまで上げる。
「なぁ」
「どうしたの? 何か分かったの?」
「今、寒いだろ?」
「えぇ、そうね」
コストイラがロケットを摘まんで持っていた指を解放した。しかし、ロケットは重力に従わない。
「冷たすぎて皮膚がくっついちまったんだけど」
「不用心に触れるからでしょ」
即答で突っ込まれてしまった。
コストイラは静かにぺりぺりと皮膚を剥がす。何とか傷を最小限に抑え、ロケットを開けてみた。
そこで、コストイラは目を見開いた。目玉に直接雪が当たり、すぐに閉じた。
「どうした?」
「何か分かったの?」
「あぁ、ただ身内に届けるのは難しそうだ」
コストイラはロケットに入っていた小型の似顔絵をアストロ達に見せた。
「あ」
「これって、まさか」
「あぁ。ペデストリだ。この女は行方不明となっていたペデストリの姉だ」
コストイラは静かにロケットを女にかけ直した。
「こいつはこの女のものだ。持っていくんじゃなくて、遺しておくべきだ」
「そうだな」
勇者一行+αはペデストリの姉に祈りを捧げ、その場を後にした。
吹雪が荒れる中、歩を進める。
雪が視界を塞ぐ世界は、進む者の感覚を狂わせていく。それは勇者達であっても例外ではない。
「マジで、ここ何処だ?」
「全然この吹雪を抜けられる気がしないわね」
コストイラのテンションがガタ落ちどころではない。もう歴史的な大不況のような下降の仕方だ。
アストロもレイドも全員が緩やかに下降している。
「なぜ、火、使わない?」
フウが子供のように頬を膨らませ、コストイラとアストロに文句を言う。
コストイラは下がりすぎたテンションのせいで、取り合ってすらくれない。
アストロはコストイラと違い、きちんと顔を見て説明してくれる。
「火を使うと、雪が融けて滑りやすくなっちゃうのよ。ただ足が滑って転ぶだけじゃなくて、雪崩の原因になってしまうのよ。だから使わないの。それに魔力効率が良くないし」
「ふぅん。雪崩ってなんだ?」
フウは雪崩を知らないらしく、シキの頬をペチペチし始めた。
「雪崩は災害。逃れるのはほぼ不可能」
シキはフウの後頭部を殴りながら説明した。肝腎な雪山で起こる、障害物がないところで起きやすい、などを話していないのはいいのだろうか。
「アタシ、足速い。逃げ切れる」
「じゃあ、誰か抱えて逃げて」
「……シキなら」
「私、アシドは駄目」
「ムムム」
フウは悩んでしまった。なぜ二人が駄目なのかは考えればわかる。足が速いからだろう。では、誰を抱えて走る?
「……軽そうな、そこの少女」
選ばれたのはエンドローゼでした。
「その雪崩の話はいいんだけどよ、あれ」
「ン? 何?」
「見たことあんだけど」
コストイラの指差すそれを目撃した途端、アストロ達は固まった。
それは寒さに負け、氷柱の張った女だった。




