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【完結済み】メグルユメ  作者: sugar
6.紅い館
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12.地上に差す光

 何でもない、ただの給仕係だった。


 子爵家のメイドとして働いていた彼女はそれだけで幸せだった。外面の仮面の下にどす黒い腹を覗かせ取引をしている人達や袖の下を通そうとする者達もいたが、彼女には関係なかった。


 つつがなく行われるお茶会は日常であり、この平穏な日々がずっと続けばいいのに、と感じていた。時間が止まればいいのにとさえ。


 瞬きをしただけだった。その一瞬で景色が変わった。目を開けたら赤い世界が広がっていた。バラバラにされた無機質な肉の塊。部屋を彩る温かい液体。


 日常は一変した。嘘でしょ?


 何が起こったのか分からないが、生き残っているのは自分だけ。疑われるのは必然、自分だ。前に落ちている錆びついたナイフを扉から今入って来たものに見られ、その瞳はそのままメイドに移る。仲間を呼び取り押さえにかかる。全力でこちらに走ってくる人がいればビビってしまうのは常である。しかも今回は捕らえられてしまえば何をされるか分からない。


 メイドは必死に逃げた。記憶も覚えもないことで問い詰められるのは酷だ。これは仕組まれた罠だ。迫ってくる男たちの疑いの目は、強迫的な雰囲気を醸し出す。身に覚えがないのに。これは私なのか?私がやったのか?誰か教えて?








 がさりと音を立てて現れたのは、屋敷で殺気に満ちた目でこちらを見ていたメイドだった。


「見つけた」


 ぽつりと呟いた彼女に、何か忘れものでもしたのかと呑気に思ったが、殺気の篭る眼を見る限りきっと違うだろう。少し長めのダガーを手にした彼女は地面が抉れるほど蹴りつけ肉薄する。コストイラが抜刀し対応すると、そのままピンボールのように跳び、他の者へ迫る。アシド、シキ、レイドも弾き返し、四方を対処する。


 メイドは速さが強まっているわけでもなく、ただ、無造作に攻撃をばら撒いていた。しかし、奇妙なのは反撃が出来ていないことだ。刀で受け止め反撃に転じようとした時にはもう射程範囲外に逃げている。槍でもナイフでも大剣でも彼女はヒットアンドアウェイしていく。常に動いているメイドに矢を射ることが出来ず、ランダムに動くメイドを見ることしかできない。


 ダガーで刀を突くとその威力が刀身を貫き、コストイラの右肩から血が噴き出す。アシドは右の脇腹から、シキは左腕から、レイドは左肺下あたりから血を流す。


 メイドの眼は覚悟が決まっていた。あの事件の生き残りがいたならば、あの時と同じ目をしていると意見を出すだろう。殺意に満ちた、恐怖の眼だったと。








 格子の付いた窓から見える空、縞状に途切れた雲、今はそれが彼女の世界のすべてだった。彼女が助けを求めても誰も助けてくれないし、知りうることを全て話してても誰も信じてくれない。しかし、やってないことをやったとは言えない。


 目の前では警邏の男が机の上に置かれた血の付いたナイフを指さして何かを言っている。何を言っているのかは分からない。


 しかし、諦めることは出来ない。眦を切り裂き、メイドは自由を証明するため、机を押し、男の動きを止め机の上のナイフを手に取る。


 取調室の扉が開く。何気なく警邏の男が振り向くと異常事態が起きていることに気付いた。扉を開けたのはメイドの少女。取り調べていた男は赤い液体に沈み、メイドの持っている証拠品からは血が滴っている。


 緊急事態に男が応援を求める。その時にはもう心臓に一突きが完了していた。咲き乱れる鮮血に意識がねじ曲がっていく。腕を振るうたびに足を振るうたびに、敵は血を噴き倒れていく。首を斬り、胸を刺し、骨を折る。血に汚れるナイフの一点に残された刃の鋼が光を乱反射させ、誰もいなくなった。








 メイドの殺意は増していく。


 主を、愛しき恩人である主を傷つけた罪は重い。主から贈られたダガーを握る手に力が入る。相手の動きは分かった。リミッターを外せ。遠慮をする必要はない。急激に戦闘スタイルを変えてくる。シキに猛攻を仕掛ける。威力が後ろに抜けシキの髪の毛が揺れる。メイドの蹴り上げはギリギリ顎を掠り、シキは顔を跳ね上げる。そのままシキは後転し、メイドの顎を蹴り上げる。


 いったん距離が離れていくが、すぐに猛攻が再開される。


 メイドがシキのナイフを弾き飛ばす。くるりと回りアレンの足元に刺さる。








 逃げた街中は雨が降っていた。もう信じることは止めにしよう。頼れるのはこの右手のナイフだけだ。雨に当たり赤が洗い流されていく。これがすべて流れたら私の罪も流れてくれるのだろうか。雨に打たれ頭がぼーっとしている。記憶が曖昧になっている。私は誰?


 誰が味方で誰が敵なのだろうか?傘を差している人達を睨みつける。誰も信じられなくなりメイドは路地裏に消えていく。


 どれくらい歩いていたか分からない。彼女の前に黒ずくめの格好に白いのっぺりとした仮面をつけた人物が立っていた。慎ましやかに膨らんだ胸、ベルトで強調された腰のくびれ、マントに隠されたそれなりのお尻。どこかで見たことのあるシルエットの女性だ。どこかは分からないが。


 ナイフをくるくると回し赤を散らし、がっちりと摑む。


 罪は洗い流れていない。向こうもナイフを構える。


 ゆっくりと腰を低くしていきながら、集中する。左目が赤く光っていく。何かの攻撃の予兆であることを疑い、睨む。気付いていないだけで、こちらの左目も赤く光っている。


 両者が同時に動く。


 ナイフが交差し、勢い良く火花を散らす。仮面の女は後ろへ跳び、メイドは上に跳び上がる。そのまま回転し、再びナイフが交わり顔が近付く。距離を取られる。再び肉薄し、再び交差する。ヒットアンドアウェイを繰り返し、ついに両者のバランスが崩れる。メイドは後ろに倒れ、仮面の女は片手をつく。


 チャンスと感じたメイドはすぐに立ち上がり、仕掛けに行くが仮面の女は不利な体勢で対処する。一回転し連続攻撃を仕掛けようとするが、一撃目を躱される。通り過ぎたメイドは仮面の女の近くの壁に両足をつく。そのまま足を伸ばし、攻撃に転じるがナイフが交差する。そのまま一進一退の攻防が続く。


 ナイフが目の前を横切り、髪の毛数本が宙を舞う。空振ったところを隙として見て、反撃しようとするが、バク転をして仮面の女が遠ざかる。そして、どこに隠し持っていたのか、ダガーを数本指の間に挟み取り出し、投げつける。


 メイドは一瞬目を張ったが、その程度で終わった。メイドはダガーの隙間を縫うように動き、仮面の女の元へ向かう。しかし、仮面の女はナイフで交差させ、弾くように一回転し、そのまま回転蹴りをメイドの右脇腹に叩き込む。たまたま存在していた横道に飛ばされるが、ワンバウンドして体勢を変え着地すると、すぐに走り込む。ナイフの切っ先がナイフの腹を捉える。そのまま仮面の女のナイフを弾き飛ばす。くるくると回り手の届かない遠くの地面に刺さる。


 メイドは無防備になり無抵抗になった仮面の女を斬っていく。何度も。何度も。何度も。憑りつかれたように体を動かし、欲に溺れるがまま切っていく。


 仮面の女が大量の血を噴きだしながら倒れていく。仮面はずるずると外れていき、仮面が完全に外れた女は素肌を外気に晒し、風に撫でられながら仰向けに倒れていく。足元からその姿が消えていく。


 その光景に冷水を被ったように急速に思考が晴れていく。冷静になるにつれ、視界が鮮明になっていく。


 消えていく体。


 消えていくナイフ。


 手の中にあるナイフは落ち、からんと音を鳴らし主張するが、メイドは気付かない。そんなことを考えられない。それほど目の前の光景は衝撃的すぎた。


 消えゆく顔は、自分の顔だった。


 血が足を濡らしていく。罪は切り離され、そして血と共に戻ってきた。


 両の手で顔を覆う。手に力が入る。


「あ、ああ、ああぁああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ――――――――――――――――!!!!」


 一通り叫ぶと無気力と脱力に襲われ、腕をだらんと下げ、両膝をつき項垂れる。右手がナイフに触れる。涙を溜めた眼だけを動かしナイフを見る。何を思ったのか自分でも分からない。ナイフを掴み取ると、両手で持ち、己の首に当てる。


 様々な感情が渦巻く中、自分の手で終わらせようと力を込めた。メイドは膝を折ったまま、仰向けに倒れる。


 死んだ。間違いなく死んだ。


 しかし、どれくらいの時間が経ってのか。メイドが起き上がった。左手で刺したはずの箇所を触る。白くなった傷跡を撫で続けていると、目の前に蝙蝠が集まっていき、人の形をとっていく。月の光に照らされる紅赤色のドレスを着た少女が現れる。左手をメイドに差し出してくる。


「私はあなたが欲しい。亡くす方が惜しかった。自らが決着をつけたのなら、私にその新たな命を捧げてみない?」


 不思議だった。


 いきなり現れ、初対面でよく分からないスカウト。にもかかわらず、不思議とメイドには好印象だった。傍から見れば変質者な少女はメイドにとっては神に等しい存在となった。


 濁り曇った眼の中に一点の光が生まれた。メイドは両手を掲げ、差し出された左手を取る。


 その日、メイドはこれまでの名を捨て、新たにサナエラの名を賜った。








 仕留める瞬間が最も隙が生まれる。ゆえに最後の最後まで諦めずに遂行の気を狙え。そして、逆の立場にならないように油断をしてはいけない。


 アスタットの言葉だ。


 父が聞かせてくれた。


 父は自分の論理に絶対的な自信を持つ人だが、偉人の言葉の内、自分の論理の補強をしてくれるものはよく採用して引用していた。


 シキの脳裏に過ぎるぐらいには何度も聞かされていた。だからこそ、この瞬間に勝機を見出せたのだろう。


 凛として澄みやかな香りが散った。


 サナエラは懐かしささえ感じた。


 昔の、主との出会いの記憶だ。これはいわゆる走馬灯だろうか?


 走馬灯は死の直前、その死を回避するために、似たような事例を思い出し、策を練るための本能だ。確かにこの光景は自分を斬るという過去の光景と重なる。構図もほぼ一緒ではないだろうか。しかし、優位は自分にある。なぜ、私の方が走馬灯を?


 サナエラは気付かない。シキが諦めていないことを。シキが一人ではないことを。シキは無防備ではないことを。その、走馬灯との違いに気付いていたら、何か変わっていたのだろうか。


 ナイフを弾き飛ばすために振られた腕を戻そうとしたところ、トンといやにあっさりとした音を立てて、サナエラの体にナイフが刺さった。


「えっ?」


 ゴボッと口から血が溢れる。シキがナイフを引き抜こうとした時、叢から何かが飛び出してきた。


「待ってほしい」


 執事長のリックだった。肩で息しながら乱入してきた男は大きく息を吐き、そして大きく息を吸う。胸に手を置き、調子を整える。


「止めを刺さないでくださいませんか?お願いします。彼女はただ、主様への忠誠心が、いや信仰心が篤いだけなのです。どうか見逃してほしい」


 リックの言葉を聞き、アレン達は目を合わせる。そして。


「エンドローゼさん」


「は、はい」


 サナエラはゴボリと血を溢しながら話の行方を見守る。エンドローゼがサナエラの隣に膝をつくのを見るとおとなしく目を閉じる。エンドローゼはサナエラを回復魔法で癒していく。傷が塞がっていく。色素の薄い皮膚によって塞がっていく。失った血は元には戻らない。血を失いすぎたサナエラは遂に気を失った。傷が塞がると、エンドローゼは汗を拭い、リックを見る。


「き、き、傷は治りました。あ、あ、あと、後はよろしくお願いします」


 うぷと吐きそうになるのを押しとどめ、リックに告げる。その目を見て、リックはこくりと頷く。リックは眠りにつくサナエラを背負い、軽く会釈し屋敷へ戻っていく。リックの姿が見えなくなるとアレン達は遺物へと入っていく。








 ボーッとしていた。血を多く失いすぎたかもしれない。


 ゆさゆさと揺られているサナエラは落とされないように摑まる力を強めようとするが、力が入らない。


「無理をなさらないでください」


「…………」


「喋らなくて構いません。まったく、よくも迷惑をかけてくれましたね。私は口うるさく言うつもりはありませんが、主様には報告させてもらいます」


 当たり前だ。そして、叱られるのは必然だ。クビになるだろう。主の意見を聞かず求めず勝手に行動してしまったのだから。


「帰りましょう、我らが帰るべき屋敷へ。一緒に叱られましょう。きっと主様が待ち望んでいます」


「は、…く、行き………あ…い」


「…………そうですね」


 リックは一瞬だけ目を張るが、すぐさま柔和な笑顔に変わる。いつも通りのビジネススマイルではない。心底からの笑みだ。一般のメイドには分かるまい。サナエラだから気付くのだろう。それほど2人は長かった。

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