第十二章 火は、消えることなく 6
「哲先生から『内容確認してほしい』と送ってこられた訴状がこれ。長かったな、ここまで。でも、裁判はまだ始まってもなくて、長ければ一年半くらいかかるみたい。向こうがごねたら大森さんや美濃さんにも会うことになるらしい。大森さんはもう信頼できないかなあ、あたしは。美濃……あの男は一体どんな顔をしてやって来るんだろう。想像もつかない。裁判では美濃さんが創業者の息子であること、それも大きなポイントになるって。創業者の息子のミスだから、それをかばうような不法行為をしたんだ、って」
訴状。
仙台地方裁判所民事部御中。原告訴訟代理人弁護士、野島祐子。同弁護士、野島哲。原告、青山ひかる。
被告、ハルモニア株式会社。代表者代表取締役、鷺沼幸太郎。
損害賠償請求事件。訴訟物の価額、金三三〇万円。ちょう用印紙額、金二万二〇〇〇円。
訴求の趣旨。
一 被告会社は、被告会社ホームページ上に表示する方法で、別紙謝罪文を掲載せよ。
二 被告会社は、原告に対し金三三〇万円及びこれに対する、本訴状送達の日から支払済まで、年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は被告会社の負担とする。
四 二につき仮執行宣言。
との判決を求める。
請求の原因。
原告は、訴外株式会社ウェディングワールドから被告会社ハルモニア仙台に出向し、ウェディングプランナーとして被告会社の被雇用者にあり、本件結婚式に関しては新規班(受付)を担当したものである。被告会社は日本郵政が保有する全国十二カ所に存在する施設においてホテル経営等を主たる業務とする会社である。また、本件当時、婚礼マネージャーとして訴外大森秀夫、本件結婚式打ち合わせ班(実行担当者)として訴外美濃昭彦を雇用し、業務に就労させていたものである。
以下、トラブルの内容が並ぶ。ひかるは重要と思われる部分を要約しながら読み進んでいった。
A夫妻が「式では新婦の旧姓を呼ばないこと」と申し出ていたにもかかわらず、式場側において新婦を旧姓で呼んだこと。
A夫妻が事前打ち合わせにおいて「祝電は読み上げないこと」と申し出ていたにもかかわらず、読み上げたこと。
招待客への配膳の順番やそのランクが事前打ち合わせと違う等の不手際が重なっていたこと。
式場の飾り付け、新婦が式で着用する手袋についても、事前の打ち合わせとは異なる手抜き対応がなされたこと。
招待状のデザインの件。A夫妻が「希望した招待状のデザインの発注期限が切れていた」と不満を覚えたことについて。
この件について、ハルモニア側の説明は「青山が、三月末までの挙式にしか使えないデザインを、三月末までに発注すれば大丈夫と勘違いしていた。その後に担当を引き継いだ美濃が上記誤解に気付き、前任者である青山のミスをフォローした」というものだった。訴外美濃も「自分がすぐに気付かなくて申し訳なかった」と事実とは異なる説明を……(略)。
大会場「エリシオン」から小会場「ミノア」への会場変更について。
美濃からA夫婦に伝えられたのは「会場変更まで青山が担当し、その後美濃に交代した」「本来は青山が対応すべきところ、青山がいないため美濃が緊急対応した」と受け取られる内容であった。しかし当該時は、すでに美濃に完全に引き継がれていた。美濃はこの部分で完全な虚偽説明を行なっている。同席した大森も、その事実関係を承知していながら、誤った説明内容を訂正することがなく……(略)。
それらの説明を受け、本件トラブルの責任の多くが原告に起因すると誤信したA夫妻が「青山さんに会わせてほしい」旨の発言をした際にも美濃は「(それはかなわないが)自分も(A夫妻と)一緒に原告を叱りたい」と責任の多くが原告に起因するとの誤信を強く後押した。なお、新規班と打ち合わせ班といった業務の分担については顧客に伝えないよう指示されていた。新規班(受付担当)である原告とA夫妻関わり方は、美濃が打ち合わせ日にもかかわらず予定を取り漏らした際に緊急で招待状デザインの相談に乗ったこと(美濃に対しては期日確認などのメモを残している)など、あくまで美濃の怠慢に対する急場のフォローであり……(略)。
訴外大森及び訴外美濃による虚偽の説明に起因したネット上の「炎上」が原告にもたらした被害。
A夫妻は上記の説明を真に受けて、その認識のままテレビや雑誌の取材に応じるなどしたことから、本件の責任は全て原告であり、そのことについて直接謝罪の場にも出てこないかのごとき誤った情報がマスコミ等によって拡散された。
さらにA夫妻の友人が、ツイッター(アカウント名「なすび@nasubi291」)において、A夫妻の説明のみを前提として原告を「A山」と限りなく原告個人の特定に近づける形で情報提供を行い、やがて原告の実名、住所、年齢等がインターネット上において限りなく拡散した。
本件はテレビ、週刊誌、インターネット等により、もはや取り返しのつかない範囲で名誉・信用及びプライバシーが毀損されたものである。本件訴訟をもってしても原告の信用性についての疑義を完全に払拭することが難しいことからすれば、本件はいわゆるデジタルタトゥー(digital tatoo 一旦ネット上で公開された書き込みや個人情報などが拡散してしまうと、完全に削除することが不可能であること)として原告の将来に具体的な損害を生じさせているものである。
その損害の評価としては、接客業等の選択に著しい不利益だけでなく雇用機会の喪失が考えられる。したがってデジタルタトゥーは、醜状痕ともいうべき後遺症的損害をもたらす「外貌に相当程度の醜状を残すもの」(後遺症等級九級)と同等の損害の評価がなされるべきである。
原告は個人情報のほか「最悪」「クソ」「首つり自殺してほしい」等々の書き込みもなされ、警察が原告及び原告家族の身を案じパトロールを行う等の事態となった。しかし被告会社は「引っ越すほどでもないだろう」「ネット対応は自分でしろ」と、本件トラブルに起因する被害から被告を守ろうとする姿勢を全く取らなかった。原告や家族はテレビや週刊誌等を見聞きした友人・知人、親族その他多くの人から説明を求められるなど心身ともに疲弊し、さらに被告会社には「青山を出せ」等の嫌がらせや苦情の電話が寄せられるなど、本人のみならず家族への影響も多大であった。原告は「不安障害」の、原告母は「パニック障害」の診断を受けた。このように家族をも巻き込むほどの被害となったことについて、被告会社に怒りを持つものである。
原告の上記被害について、被告会社の責任(雇用契約上の債務不履行及び共同不法行為)。
被告会社の被雇用者による不法行為。
美濃において、数々の怠慢によって本件トラブルを引き起こした。大森及び美濃において、あたかも原告に原因があるようにA夫妻に虚偽の説明を行なった。
被雇用者と拡散者との間における共同不法行為の成立、及び被告会社の使用者責任の成立。
大森と美濃らの、虚偽の情報を拡散させた者への誤った情報提供を行なった行為は……(略)、共同不法行為を構成する。そしてこれらは被告会社の業務に属する行為として行われたことは疑いようがない。よって被告会社は大森及び美濃の行為について民法七一五条に基づき使用者責任を負うものである。
雇用契約上の債務不履行。
被告会社は虚偽の弁明及びそれに基づく炎上に対し、原告の被害を速やかに解消しまたは被害拡大を回避すべき義務があった。
炎上が本格化する以前に原告が仙台中央署に相談に行ったところ、刑事二課の玉村氏ほか数名の警察官が被告会社を訪れ「(民事事件であるため警察は動けるものではないが)従業員を守るためマスコミへの会見等を開いた方がよいのではないか」とアドバイスがなされた。しかし被告会社では「原告の名誉を回復するに必要なホームページへの掲載や会見等を一切行わない」との決定が行われ、ネットの書き込みなどの削除については原告個人が行うよう指示した。原告の名誉回復、被害拡大の防止等に向けての作為義務があったにもかかわらず、このように漫然と七月末に至るまで放置したことから、テレビや週刊誌、Yahooニュースに載る等により被害を拡大させるに至った。
名誉毀損に対する謝罪広告の必要性。
本件被告の共同不法行為が悪質で違法性が強いこと。
本件は美濃とその上司である大森が、事実関係を詳細に把握する立場であったにもかかわらず、美濃の責任回避を目的として虚偽の説明を積極的に行なったもので、原告への権利侵害に対する故意は明白であり……(略)。
被告が被った損害。
インターネット上に拡散された情報は半永久的に残存するものであるところ、風化を期待するとしても、その期間もそれまでの被害も予想すらつかない。しかしながら交通事故における醜状痕としての評価も可能なものである。
よって本件で原告が被った損害は、慰謝料に換算して少なくとも三〇〇万円を下るものではない。
また原告は、被告会社の責任を前提とした、名誉回復及び損害賠償の実現に向けて、本件提訴による手段を選択せざるを得ず、そのための弁護士費用の負担を余儀なくされた。よって、本件不法行為と因果関係のある損害として、被告会社には、少なくとも本件被害賠償請求額の一〇%相当額である三〇万円を原告に対して負担すべきである。加えて別紙のとおり、ホームページに謝罪広告の掲載を求める。
別紙、謝罪広告
当社は、当社元従業員青山ひかる氏とそのご家族に対して、下記のとおり謝罪いたします。
当社で、令和○年六月二二日に行われた一組の結婚式において、その段取りと挙式において当社の側に数々の不手際があり、当該挙式のご夫妻及び参列者の皆さまに不快な思いをさせる事態が生じました。
その後、当社職員が当該夫妻及び参列者に対する説明と謝罪に赴いた際、契約時の受付担当に過ぎなかった当時の当社職員青山ひかる氏が、あたかも段取りと挙式当日の不手際において、その原因となる行為を行なったかのごとく誤信させる説明を行い、またその過ちを速やかに訂正する等の対応を行わなかったことから、青山ひかる氏の名誉を毀損し、またプライバシーを侵害する内容のインターネット上の書き込みが拡散し、いわゆる「炎上」する事態を招きました。
当社職員の誤った説明と当社の対応の遅れにより、青山ひかる氏とそのご家族に対し、多大な迷惑をおかけしたことを謝罪いたします。




