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第十二章 火は、消えることなく 4

「ご確認ですが、青山さんもしくは代理人のお立場として、今日の段階では何のご提示もないということですね、言える言えないはさて置き。ホームページで何かを言ってくれ、賠償してくれ、などいくつか考えられるわけですが、現時点でのご提案はないと考えてよろしいですね?」

「あるもないも、こちらとしては、一月の早い段階で面談を、と求められたので、まずはお会いしましょうと考えた次第です。この場でそちらから交渉があるのか、決裂して訴訟に進むのかはまだ分かりませんでした。あくまでそちらのご希望に沿っただけです」

「ハルモニアとしては、そちらの要望をお聞かせいただいた上で、社としてそれが受け入れられるのか受け入れらないのか相談したいところなのですが、その手順が今日の段階で踏めるのかどうかを確認させていただきました」

「その手順を経ずにいきなり訴訟のお知らせを受けたものですから。こちらとしては火に油を注がないように、と思っているのに」

 白井は不満を隠さなかった。

 しかしどうやら青山サイドの意志は固い。そこで前置きとしてハルモニア側の主張を再び付け加え、別の角度から切り込んできた。

「念の為ですが、当初から名誉回復に関する責任はこちらにないと考えており、訴訟となっても特に何か講じる予定は全くないことを申し上げておきます。さて、次は雇用関係についてです。昨年末に一月六日から出社してくださいとお伝えしてありますが、それは難しい状況でしょうか」

 今日初めて、ひかるの出番がやってきた。全員の視線が彼女に集まった。

「正直言って、ハルモニアなんかに行きたくないです。建物も従業員も、見るのもいやです」

「来たくないというのは、体調が良くないということですか? 理由もなしに休み続けると、懲戒ということになりますが」

「いろいろ思い出してしまうんです。お客さんにもいろんなことを言われたし、もちろん上司の人たちにも」

「なるほど。しかしそうは言っても七月からは特別休暇ということで給与はお支払いさせていただいてますが、どこかでけじめはつけないといけない」

 ここで芋坂が再び大きな声で話し始めた。

「もちろん無理にお越しいただくわけにはいかない。しかしそれでは欠勤ということになりますよね。するとどんなに遅くても契約満了の三月、場合によっては一月末で合意の上退職していただく道もね、あるのかなと」

 白井が続く。

「十月の時点で特別休暇の内容を再確認しましたね。その際、仮に十月の時点で退職ということでも十二月まで給与をお支払いさせていただく、ということでご提案させていただいています。しかし退職の意思がないのでしたら、一月六日からまた出勤していただきたい」

「ご提案は分かりますが、こちらがその中で選ばないといけないというわけでもないでしょう。それどころでもない、という事態だったわけですし」

 素っ気なく返す祐子、なおも探りを入れる芋坂。

「もちろんそこはご相談いただいて。しかし基本的には、特別休暇は十二月終わっているわけですから、雇用関係の原則から考えると一月から出勤していただくというのが筋、というか。それでも出社されないのは、病気である、などの事情がない限り無断欠勤状態ですよね。するとお給料は払えないですよ、ということになるのです」

「出社せよ、でなければそちらの意思で退職を」。それがハルモニアの筋書きだった。たとえ訴訟になっても、いや、ならなくても報道されるにあたって「懲戒から退職に追い込まれた社員」と「現在、雇用している社員」では周囲に与える印象も違う。

「一般的にはですよ、このままでは懲戒処分が下るということになりますが」

 芋坂からの探りに対し、祐子は終始そっけない表情で答える。

「その点も含め、ハルモニアさんが本件、そして青山さんの境遇をどうお考えなのかお聞きしているのです。他の支社、もしくは偽名での勤務もご提案いただきましたが、どれも非現実的。しかしこちらは収入を失っていくわけです。その負荷が青山さんにのみ課せられている。欠勤についてはどこからが懲戒処分対象、というのはそちらでお決めいただくことで、本件には関係ありません。雇用関係をどうしたいか決めろ、というのであれば、一月末あたりまでには結論をお出ししますが」

「一月末まで待つ、ということを了承したわけではありませんので」

「交渉では引かない」「あくまで好意だ」というスタンスを崩したくないのか、白井は必ず一つ、憮然とした表情で切り返してくる。終始朗らかにしている芋坂は、やはり格が違うようだ。

「一月末でご回答いただければ、体調面などを含め検討いたします。ただ大前提として、どんなに遅くても三月末の契約満了時で契約関係を終わらせていただきたいと思っておりますのでご理解ください。もちろん、今月末で、ということでも結構ですがね」


「哲先生が言うには、給与の支払い停止でこちらの本気度を測りたかったんだろう、と。白井ちゃんは訴訟は避けられないとガッチガチに守ってるけど、芋坂さんは『上から目線』でこちらの様子見をしてた、って。高橋は芋坂さんに対して『お金目当てでゴネてる面倒な社員』って説明してたように思う。何というか、白井ちゃんとは温度差があったからね。どうしても訴訟を避けたい白井ちゃんと、面倒な社員の処理、という目線の芋坂さん。はっきり言ってあたしとしては、仕事もしてないのにあの人たちから給料なんてもらいたくもなかったし、何よりハルモニアなんかとは一刻も早く縁を切りたかったんだ」


 芋坂は、改めてひかるの方に向き直る。

「せっかくですから、おっしゃりたいことがあれば、お聞かせください」

 ひかるは芋坂ではなく、気配を消し、ずっと下を向いている高橋へと言葉をぶつけた。

「今回の件をどう思ってんのか、って。何してくれてんだよ、って」

 法律要件だ、法的措置だ、など関係ない、一般女性としての生々しい感情が、そこにはあった。

「つらいです、ずっと濡れ衣着せられたままで。私の知らないところで同級生やご近所さんがこの話をしてるかもしれない。テレビでは実際の担当者じゃなく私が問題を起こしたことになってるし、ひどいところでは私が三カ月前に逃げたって言ってるし。世間はテレビが正しいと思う方が大多数なんですよ。それをずっと知らん顔して『静かになったからよかったね』って? 何それ? もちろん私だけじゃなく家族もつらい思いしました。怖い思いもしました。でもほんとの担当者は、職場主催の家族同伴クリスマスパーティーに参加してたって聞きました。一家ですごく楽しそうにしてたって。一体何なんだろう、それ」

 悲しくはない、しかしどういう感情か一言では説明のつかない涙がにじんできた。

 泣くもんか。心を落ち着かせる沈黙。哲が助け舟を出してくれた。

「ネットでの検索結果を見ると、美濃という名前はほとんど引っかからない。どうして青山さんだけがここまで出てくるのでしょうか」

 またも反射的に白井が言い返す。

「引っかからないことはありません。本当はMという担当者が悪いんだ、という人もいます」

 しかしひかるの視線に耐えきれなくなったのだろう。「まあ、青山さんが叩かれていたことは事実ですが」と、ばつが悪そうに付け加えた。今度は芋坂が助け舟を出す。

「代理人同士の話としては、ひとまず雇用関係については月末に何かご提案を頂ければありがたいところです」

「訴訟の話はすでにネットに流れているようです。いまだ、問題をかき回している人が多い。また騒ぎにならないよう、SNSやネット掲示板への公開などは控えてください」

「こちらがネットなどにあれやこれやと発信してるわけではないですが、人の口に戸は立てられないとでも言いましょうか。とにかく雇用の件につきましては月末までにご連絡を差し上げます」


 一時間半に及ぶ交渉は、一部は歩み寄り、一部は衝突する、という形で終わった。野島サイドの結論としては「やはり訴訟やむなし」だった。

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