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第十章 燕雀 1

 九月十五日、日曜日。

 むしろざわついたのは、未だひかるを煽っていたメンバーかもしれない。ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」がごとく、大きな旗を振って先頭に立っていた「なすび」が、突如として本名でツイートを開始したのだから。

「私、根岸理恵は、ハルモニア仙台の結婚式問題において青山さんに対して著しく名誉を傷つけるツイートをしました。この場を借りて謝罪致します。本当に申し訳ありませんでした」

「事実を確認せず、夫婦の言葉を鵜呑みにしてツイートした事は許されることではありません」


 遊び半分で煽っていたメンバーたちは、この日この時を境に沈黙した。それどころか一斉に去っていった。「自分たちは正しくなかったのかもしれない」。逃げ出す理由、忘れに掛かる理由はそれだけで十分だった。


 なすびのツイートを見続けたのは、アリスやハチ、佐々木えりかの友人一同、そして一部の、興味を失っていなかった(夫婦となすびに対し懐疑的だった)人々だ。しかしあまりの急激な変化に、誰もがツイートすることに戸惑っていた。

「なぜツイッターにて謝罪しているかですが、先日、青山さんの担当弁護士さんに電話にで謝罪したい旨を伝えました。でも、もしかしたらこの件で青山さんは直接の謝罪に応じてくれないかもしれない。ならばせめて謝罪の気持ちをツイッターという場所を借りて表したいと思いました」

「七月十一日、お会いした時に謝りたかったのですが、それもハルモニア側からキャンセルされる形で、かないませんでした」

 ここでようやく、ハチが静かに返信を入れる。

「その頃は、あなたが最も熱心にA山さんを非難していた時期だと記憶しています。せっかく謝るのであれば、取り繕うのはやめた方がいいですよ。それにお詫びとはいえ、A山さんの本名を出すのはどうかと思います」

「そうでした。でも会って謝りたいという気持ちを持っているのは本当です」

「私は新郎新婦の言うことを信じてツイートしていたのに。でも先日、新郎から強く言われました。これ以上混乱を起こすな、改名しろ、引っ越せ、と。新婦には『私には修くんしかいないのに、ずっと理恵ちゃんに取られてた。私はのけ者にされてた』と。そして最後には『これ以上は、自分で弁護士を雇って対処してください』と」

 推敲しながら書いているのだろうか、数時間おきに投下されるツイート。ひかるや葉月、向井はジグソーパズルの最後のピースが埋まっていくような思いで見つめていた。


 そこから数日間にわたり、なすび改め根岸理恵のツイートは続いた。途中、誰かが「手のひら返し」などと冷やかしても、それに反応せず淡々とつぶやいていく。

「ハルモニア仙台で結婚式当日に起こったことは事実です」

「『自分たちには相談できる人がいないから相談に乗ってほしい』と、新郎新婦はしょっちゅうやって来ました。ホテルとの話し合いの場にも来てほしい、とも言われました。そして『勝つのは俺ら。負けるのはA山。アンチの反応は気にしないで』とばかり言われていました」

「私は毎回、ツイート内容について、夫婦に確認してから書いていました。そしてその都度『ありがとう』と言われていました。新郎新婦の涙を信じていたのです」

「『仮にA山から訴えられたら、逆にやりやすい。ハルモニアもアンチも芋づる式で、理恵さんも慰謝料が取れる。訴えられたら弁護士費用は俺らに負担させてよ』とも言われていました」

「友人夫婦は弁護士を雇い、ハルモニアと和解を進めました。それがうまくいきそうになったところで私に『黙らなければ訴える』と言ってきました。私は利用されてたんだなと思いました」

「今も一方的に『これ以上ツイートするなら警察に訴える』と連絡が来ています」

 この時、初めて見るアカウントが理恵に反論してきた。

「なすびの一方的な言い分は、非常に迷惑です」

 その一言に、なすびと修平のLINEのやり取りのスクリーンショットが添えられていた。その中には「ネットの中はみんな二人の味方だよ。青山、絶賛炎上中」「あざといタイプね、いるいる。大嫌い」など、理恵の言葉が並んでいる。しかしほんの数時間でアカウントの書き込みは見られなくなった。

 当然、このツイートの主は修平だった。なすびの告白に苛立ち、慣れないツイートで反論しようとしたが、すぐに弁護士から電話で注意を受けたのだった。


 向井とひかるはこの様子をリアルタイムで見ながら、LINEで会話していた。

「仲間割れしてますね」

「メサイア・コンプレックスて言葉があるんだけど、知ってる?」

 ひかるは、ネットでメサイア・コンプレックスの説明を流し読みした。「困っている人を助けたいという考えの裏に劣等感や自己肯定感の低さが潜んでいる場合、人を助けることで自分は幸せだ、自分には価値がある、と思い込もうとする」「親切を押しつけ感謝を求めるものの、実は相手よりも自分のことを考えているため相手と決裂することも多い」「結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまうことも特徴的」とあった。なるほど。上から目線で「助けてやろう」と炎上させ、最後は決裂することであっさり諦め、内情を吐き出した……。

「メサイア・コンプレックス、聞いたことなかったけど、これテンプレートどおりですね」

「哀れだな」という向井の言葉を目で追った後、ひかるは理恵の懺悔を見るのをやめた。

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