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第九章 モメンタム 9

 ネットに中傷の文は残り続けるものの、世間は移り気だ。テレビも週刊誌もハルモニアの炎上騒ぎには、とうに興味を失っている。

 ただ、この「残り続ける」ことこそが問題であり、ひかるはテレビ局や出版社へ「訂正記事を出してほしい」という連絡を入れ続けた。しかしどこからも「こちらは『こういう騒ぎがあった』ということを取り上げただけですので」「騒ぎがあったことは事実ですので」と、取り合ってくれなかった。

「きっとそういうクレームには慣れてるんだろうね。直接批判したんじゃない、騒ぎを取り上げただけだ、声を紹介しただけだ、と。一方的に誤情報を紹介される方の身にもなれってんだよ」

 向井はいつも自分のことのように怒ってくれるが、ひかるとしては「自分にやれることはやったんだ」という気分が強い。もちろん自分のことを否定的に報道していたワイドショーやその司会者などはきっとこの先も好きになれない。それとは別に、ただただネットで攻撃され、耳を塞ぎ、目をつぶって大火災に怯えるだけの日々が終わろうとしていることがうれしかった。

 訴訟に向けての祐子との打ち合わせ、なすびとの対話のための向井との相談、テレビ局や雑誌社への苦情申し立て……。気が付けばカレンダーは九月十四日を指していた。


 夜九時半、なすびからの電話まであと三十分。ひとまず先に、向井とひかるは通話アプリで会話していた。

「なすびに聞くのは、肥後夫妻から何を聞かされていたか、特にハルモニア側がどういう対応を取っていたか、そこだよね」

「私から聞きたいことがあれば、文字で打つんで向井さんから聞いてください」

「オーケー」

 十時きっかりに、向井のタブレットが振動した。なすびからの通話通知だ。

「もしもし」

 向井の声が聞こえた。「通話アプリでも、もしもしの言葉から始まるんだよね」と、妙な方向に思考が流れた。


「こんばんは」

 ! これがなすびの声か、録音で聞いたことはあるが……。鮮明な音質ではっきりと聞くことで、ひかると向井の中で、初めてなすびが「実体化」した。

「こんばんは。なすび、根岸さんですね。私は青山の代理の者です。実名を出すのはやめておきます」

「アリスさんとは別の方ですよね?」

 アリスやハチはさておき、自分を煽り返してきたたちの悪い者ではないか、と探ってきているのが分かる。

「はい。私は青山の友人で、通話の代理を任された者です。ツイッター上では「BK」という名前でアカウントを作り、騒ぎには参加せず、初めからずっと見ていました」

「ああ分かりました。自分のフォロワーの中で見た記憶があります。では事情は全部知っておられますね」

「はい」と短く返し、向井は会話を続けた。会話を弾ませて気分をほぐしてやる必要はない。

「今回、私と青山が不思議だったのは『なぜ美濃ではなく青山なんだ?』の一点に尽きます。あなたは肥後夫妻からずっと結婚式の相談を受けてたんですよね。だったら担当が男性である、もっと言えば『美濃という者である』ということは知ってたんじゃないですか?」

「私は夫婦に騙されてたんです。自分たちはツイッターなどのことをよく知らないから、告発の手伝いをしてほしいと。俺たち親友だろ、と言われて。それに私のツイート内容は、その都度夫婦に確認を取ってから書いていたんです」

「夫婦から、青山と美濃のことを、それぞれどう聞いていました?」

「詩絵里には『修くんは青山さんのことを女として見ていた』とか聞かされてました。それで、私自身、あまりいい印象を持つことができなくて」

「もちろん青山も私も、今回、新郎新婦のお二人が被害者であるという認識は持っています。式場側から大変な仕打ちを受けたな、と思っています。新郎新婦のお二人の怒りは当然でしょう。しかし、その怒りの矛先がなぜ青山だったのか。それが疑問なのです」

 向井は改めて、質問内容を理恵にぶつけた。

「ハルモニアと何度か話し合いをした中で、高橋さんも大森さんも『青山は先走ってしまうところがあって』って言ってたので。『招待状の件も青山の勇み足だったので、叱っておきました』って」

 ひかるから、スマホにLINEで「はあ?」という文字が送られてきた。

「『お二人の期待を裏切ったことをしっかり反省しろ』と伝えた、と言われて。美濃さんも『僕がもっと青山さんをコントロールしないといけなかったのに。申し訳ありません』って」

「はあああ?」

 またもひかるからのメッセージ。どうやら「あ」の数で察して、ということか。

「あなたはそれを信じて? ほぼ一年、美濃が担当していたのに?」

「美濃さんは『いつか青山からも直接お詫びさせていただきたい』って。三人が三人ともここまで言うんだから、青山さんが嫌がらせのようなことをしてたんだなと思ってしまいました」

「今回、青山が担当したのは受付だけです。その後はずっと美濃の判断でした。ただ、美濃の打ち合わせが不十分でどんどん時間が足りなくなり、式の二週間前だったか、青山が『これではまずい』と、新郎新婦にいろいろな判断を促したんです。彼女が関わったのは、最終段階でのそのサポートだけでした」

 なすびから声は聞こえない。絶句しているのか。

「あなた方がハルモニアと美濃を批判する分には正当な理由があるでしょう。ただそれは、式場と担当者の美濃に向けて行うべきでした。あなた方がやったのは脅迫みたいなものだ」

「でも、私は詩絵里と修平さんのことが大事で」

「私には青山の方が大事です」

 冷静に対話するつもりだったが、やはり向井は少し怒っていた。

「はい……そうですよね……。でもこちらの事情も分かってほしいんです。結婚式では詩絵里の旧姓も言われてしまったし引き出物には明細みたいなのも入ってたし。ドリンクも全然種類がなかったし、子供たちのケーキもなかったし。飾り付けの時間だって、メールで『三時間しかキープできなかった』と言われたし。美濃さんだけでこんなこと起こるわけない、と思ってて。絶対嫌がらせされてるって思って」

 LINEにひかるから着信。

「確かに美濃は普段からミスがエグい。和食をご希望のお客さまがいたんだけど、なぜかレストラン部に『フレンチで』ってオーダーを出してたこともあった」

「三時間キープって、十分すぎる。普通は一時間半。『三時間しか』って、そんな謎メールを送るから肥後さんたちは混乱したんだ」

 文章を目で追いながら、向井は考える。「ハンロンの剃刀だな」。その意味は「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」だ。結局、美濃の無能さが騒ぎを引き起こし、そこに悪意を見出そうとした者たちが騒ぎ立てたのだ。

「今回は、いろんな部署で少しずつミスが起こりました。被害を受けた肥後夫妻はお気の毒でした。しかし青山はフォローしただけです。式場との対話に青山だけがいなかったことがおかしいと思いませんか?」

「青山さんは、逃げたんだとばかり。七月十一日に青山さんに会いに行く約束してたのに、その直前に『別の結婚式があるから来られなくなった』と大森さんに言われました」

 スマホに着信。

「十一日のアポ、葉月ちゃんにも聞かれたことあるけど、あたし聞かされてない」

「その約束は、青山には届いていませんでした。ハルモニア側は、とにかく青山自身と彼女の言い分を、外に出すわけにはいかなかったのです。なぜなら、事の中心は美濃だからです」

「全然知らなかった。夫婦からは『青山が勝手に』『調子のいいことばかり言われて何も叶えてくれなかった』って聞かされてたし、式場の人たちは『青山が責任を持って当たっていた』と言われてたから……。直接謝りたいです。ごめんなさいって言いたいです。……肥後夫婦とも絶縁するつもりです」

「絶縁はご自由にどうぞ。青山はあなたの声は聞きたくもないかもしれませんし、私もあなたの言葉を伝えるつもりはありません。ただ、いつかその気持ちが伝わるよう祈ってます」


 沈黙などを含めれば約二時間。さすがに疲れ切った。

「また改めて今日のことを話しましょう」

 ひかると向井も、この日ばかりは倒れるように眠りについた。

 そして翌日から、なすびのツイッターは思いもよらぬ変化を遂げることになる。

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