第一章 ウェディングプランナー 3
肥後夫妻は他県の客で、打ち合わせには何時間もかけて来館しなければならなかった。その意味で、ハルモニア仙台側にとっては粗相のできない客だ。
本契約を終え、カレンダーは六月半ばになっている。
「このたびはおめでとうございます。担当させていただくプランナーの美濃です」
「原簿」を手に、人当たり良く挨拶する。原簿とは、当日までのプランを一つ一つ細かく書き込んでいく書類だ。これから本番一カ月前までの間に打ち合わせを重ね、プランナーは二人の名前、ふりがな、勤め先、エンドロールは? 使用曲は? 著作権許可は? エスコート役は誰が? 美容着付けの入り時間は?と、細大漏らさず書き留めていく。当然、今日はまだ白紙に近い。入っているのは二人の名前など個人情報程度だ。原簿が黒く染まるほどに、プランナーと新郎新婦の絆は深まっていくことになる。
「よろしくお願いします」
「お式、披露宴の日まで精いっぱい務めさせていただきます。すてきな日になるよう、頑張ります」
肥後夫妻の緊張も少しは解けてきたようで、この日の顔合わせは成功裏に終わった。場に付き添ったひかるも、少し安心した。
婚礼部の事務所に戻ったところでほのかが声を掛けてきた。
「どうでしたか?」
「普通にスタートしたよ。あとはミスなく完走するだけ」
「じゃあ、あの、こっちの件で。試食会のパンフ製作を、企画部に、お願いしたくて。でも締切が、微妙で」
ほのかが詰まり詰まり言うときは、急いで対応しないといけない「何か」があるときだ。
「向井さんに? 印刷いつ?」
「秋の試食ブライダルフェアなんで、月末納品だ、て大森さんが」
「二週間しかないじゃん!」
ひかるは企画部に向かった。
クリエイターというのは、おおよその場合、不機嫌だ。企画部の向井もそういう男だ。
「データ届きましたよ。これを六ページで? 前も言いましたけどページ物は八ページ刻みで考えてください。あとこの写真、春の空でしょ。雲の形でバレますけど。チャペルの写真も改装前のものですよ。新しいデータをください。手配できないならこちらで撮影に行きますが」
内線を切って、向井はまたモニターに向かう。レイアウトしなければならないパンフ、チラシ、ウェブページがまだいくつも残っていた。
「企画部に仕事を頼むのは苦手だ」という評があるが「企画部」を「向井」に入れ替えてもそのまま成立する。なぜなら企画部とは、向井一人の城だからだ。
以前は何人か配属されていたのだが、人件費の削減か、社が印刷物・ウェブ制作を軽く考えているのか、人材は少しずつ減っていった。向井をかわいがり、企画室に据えてくれた上司が定年前に去った後、部の縮小傾向はさらに加速した。自身が上げたデザインに対し支配人や大森が的はずれな注文を付けることも多いことから、おそらく人件費よりも、制作に対する上層部の考え方の問題だろう、と向井は思っている。
「向井さん、パンフお願いします。試食用料理の」
ひかるは、向井の評判を気にしない。
「締め切り、いつまでだい?」
「月末納品らしくて」
「みじか! 分かった、やっとく。校正上がったら確認よろしく。来週にはゲラを出すよ」
「助かります。ほのかちゃんからデータを届けさせます」
「みんな向井さんは変わってるとか気難しいとか言うんだけど、そうかなあ……。いっつもものすごい量の本を読んでるけど、なぜかあたしのことはかわいがってくれるし、仕事もちゃんとしてくれるし、すごく頼りになる人」