第一章 ウェディングプランナー 1
ハルモニア仙台編
全国的なホテルチェーン「ハルモニア」グループ。ハルモニア仙台は客室数百五十室を誇る東北でも最大規模のホテルで、ロケーションは駅前。「若者の結婚式離れ」などと言われることもあるが、ここで結婚式と披露宴を挙げたいというカップルは、依然多い。仙台駅のアドピラー(柱巻き広告)はハルモニア一色だ。タキシードとドレスの手、中央のキャンドルには火が灯っている。レンズフレアはハートに輝き、キャッチコピーは「その火は、消えることなく」。
少し前、ハルモニアグループのウェディング部門である「婚礼部」は「株式会社ウェディング・ワールド」というブライダル会社の傘下に入ったが、ひかるたちは出向という形で、引き続き「ハルモニア仙台」に勤めている。
婚礼部に所属するウェディングプランナーは、新郎新婦と二人三脚で式のプランを考える、結婚式演出のスペシャリスト。必要なのは、知識と気遣い、そして「熱さ」と「冷静さ」だ。
「あたしはこの仕事、好きだよ。契約社員で入ったけど向いてる気がする。いろいろなご希望があるから、じゃあ、こうしよう、じゃあ、ああしよう。考えて調べてご提案して、何カ月、場合によっては一年以上も時間をかけてプランを立てる。当日、新郎新婦のお二人から感謝の言葉を頂けたら、もうこれに勝る喜びはないからね」
さながら、式当日へ向けての長い長いマラソン。完走、つまり式当日には「熱さ」が「冷静さ」に勝ってしまい、涙をこらえるのに苦労するプ「ランナー」も珍しくない。プランナーとは、そういう人種なのだ。
仕事好きのひかるは飲み込みが早かった。「稼ぎたいじゃん」とビジネス書や自己啓発本をあれこれ読んだりと、それなりに勉強熱心でもあった。グループ内では、カップルの来館から契約に至る成約率は通常三十八%台、目標とされる数字は四十%だ。ところがひかるは入社一年目から五十%を超え、二年目は五十二・七%を記録した。新人なのに全国七位、二年目は三位、いきなり表彰の常連となったのだ。
ユニークでタフ。媚びないけれどそこが逆に愛嬌に。上司のウケも悪くない。ただ、一部、同性の先輩にだけは嫌われる。
婚礼部のホワイトボードに並ぶプランナーたちの名前。今月もひかるのところには一際高く、赤い棒グラフが立っている。
「今期もよく頑張ってくれた。ご飯でもおごるよ」
マネージャーの大森がひかるに声を掛けてきた。若くして結婚し、この業界は長い男だ。少々融通が利かないタイプに感じるのは、世代が違うからだろうか。
しかし、こうして気に掛けてもらえるのはありがたい。給料は本当に安いが、表彰やご馳走などのご褒美は、モチベーション維持の材料になる。全国二位とも数字は僅差だ。給料を考えると転職も視野に入るが……もう少しだけ頑張ってみよう、とは日本中で特に珍しくない独り言だろう。
二〇一八年二月のある日、ひかるは客を迎える受付担当、部署で言うところの「新規班」として業務についていた。
「ウェディングプランナーが所属する婚礼部は、一定期間の成約率上位二人が新規班になるのね。あたしが入社以降、大森さんがそういうシステムにしたの。相談に来たカップルは、まだ『どこで式を挙げようかな』と悩んでるわけでしょ。新規班は、そんなお二人に対し、うちに決めていただくための営業力が必要ってことで……あたしは成約率が高いから、どうしても新規班で受付を担当することが多かった。プランもひかるさんにお願いしたい、と言ってくださるお客さんは、あたしが担当させていただくこともあるけど」
相談に来るすべてのカップルのプランナーになることは、物理的に難しい。絶好調時は一カ月で「八組中八成約」という離れ業を見せるひかるには、なおさらだ。「契約を取る能力に長けたプランナーが窓口(新規班)に出て月に三件、四件と契約を取り、他のプランナー(打ち合わせ班)に仕事を振る」というのは非常に効率的で、マネージャーの大森は、これが一番売上を見込める方法だと判断したのだ。後輩(主にひかる)が先輩の成績を上回るときなどは多少の摩擦は生まれるが、数字至上主義な業界だ、それも致し方ない。
「こんにちは……」
一組のカップルが、ロビー内の左奥にある「ブライダルのご相談窓口」にやってきた。光が差し込む窓や高い天井、「今月のイベント」などと書かれた展示物を見渡すあたりに、落ち着かない気分が見て取れる。式場選びなど一生に(基本的には)一度のことだ、決して珍しいことではない。
「こんにちは。お式のご相談ですか? おめでとうございます」
ひかるは今期も新規班だ。まずはカップルの話を聞き、希望や予定を社に伝える役を、いつものようにこなしていく。
「ご予定の日は、他に予約は入ってません」
「神前、チャペル両方ありますが、他のカップルと重なることはありません。ワンフロアを貸し切りとなります」
「日によっては、装飾に関して制約が入ることもあります。ご了承ください」
ひかるは細かくメモを取りつつ、カップルの質問に答えていった。
「だけど窓口に来たお客様が全員契約してくれるわけないしね。『どんなもんだろう?』って興味だけで来る人もいるし、やっぱりよそでしよう、ってこともある。試食会なんかも開催するけど、ここだけの話、レストラン部には料理の説明もできないぶっきらぼうなスタッフもいてね。婚礼部のサブリーダー・来生麻衣さんて人がいるんだけど、麻衣さんが『まとまる契約もまとまらない』とレストラン部にクレームを入れることもあるくらい。まあそんなこんなで、そのお二人もそれっきりに」
社のスラングで言うところの「捨て」である。実を結ばない冷やかし客などを、どの業界でも短く端的に、しかも大体の場合は少し皮肉を込めた言い方で表すことはあるだろう(雑誌などでは、空きスペースを埋めるイラストを「捨てカット」などとも言う。もちろん、イラストレーターさんに面と向かって「捨てカットを依頼したい」などと言うことはない)。
今回も、成立しなかった多くの来館者の中の一組、だと思っていた。
二〇一八年五月下旬、意外なことが起こる。一度目の来訪から四カ月近くたったある日、そのカップル=肥後修平・詩絵里が再来館したのだ。
「四カ月もたってまた来てくれるなんてめったにないことだから、びっくりしたし本当にうれしかったよ。選んでくれたんだ!って」
この日も新規班だったひかるは、修平・詩絵里の応対に当たり、商談を進めた。担当は自分ではないが正式にプランナーが付くこと、ウェディングローンの要望、参列者の人数、おおよその日程などをすべて聞き取った。数回の商談を経て、修平・詩絵里は内容に同意してくれた。カレンダーは六月になっていた。
最後に「お申込み書」を作れば契約成立だ。カップルが署名する。
「肥後修平……。詩絵里……と」
ひかるも自分のノートにメモを取る。受付担当になることが多いこともあり、引き継ぎのためにいつも細かくメモを取る習慣があった。
「肥後修平……さんと、詩絵理さん……ですね……」
申込み書の最後、受付担当欄に「青山」のはんこを押した。
翌日、ひかるはいつもどおり、朝八時半に事務所へとやって来た。客が入ってくることがない職員エリアは、掃除こそ行き届いているが、蛍光灯も床のカーペットもかなり古い。ホテルの歴史は、常に改装されているロビーよりも、こうしたところに表れているものだ。事務所奥の更衣室で急いで制服に着替え、部署ミーティングに備える。
朝九時、大森が「始めようか」と集合を掛ける。プランナーたちは使い込まれたホワイトボードの前に集まった。契約したカップルの担当決めが行われるのだ。
「美濃は今のところ、一件終わって、持っているのは佐々木さん夫妻か……」
予定が書き込まれたホワイトボードを眺める。
「では、この肥後さんご夫妻の担当は、美濃くんということにします」
皆の前で、大森が言った。ひかるの隣で聞いていた後輩の佐藤ほのかが、美濃の名前を聞いて少し身を固くしたのが分かった。
初来館から再訪まで四カ月かかったというのは、家族間で「よそでは言いにくい話し合い」があったのか「金銭面での不都合」があったのか。つまりはストレートではなく変化球の客。ウェディングの現場では、珍しいことではない。しかしその担当が、美濃。
美濃昭彦、三十八歳。夫婦で式場で働いているが、妻は育児休暇中で、現在は昭彦だけが現場に出ている。ウェディング部門には適正がないということで、出向の形でホテルフロントに配属になり、その後またウェディング部門に戻されたという経緯があった。この再異動に関しては、特に婚礼部のサブリーダー二人が大森に猛反対した、という噂もある。
どうやら、美濃の性格には変なクセがあるという。ひかるやほのかが見聞きしたのは次のようなものだ。
フロント業務に就いていた美濃は、婚礼部の女性社員が新郎新婦の宿泊予約を入れ忘れた際、自分ならカバーできると安請け合いし、婚礼部と宿泊部のマネージャーに黙ってキャンセル待ちの順番を操作した。ところがそれがバレて、両方の部署から大目玉をくらった……。
宿泊客の道案内で、他のフロントスタッフを制して前に出て自信ありげに道を教えるも、それが分かりにくいルートや遠回りばかりで苦情続出……。
パソコンを触れば「不具合がある」と、操作に詳しい企画部の人間を内線で呼び出す。企画部の社員は黙って不具合を直すが、いつも「あいつにPCを使わせるな。設定を勝手にいじってる」とひかるにこぼして帰っていく。美濃はといえば、知らん顔だ。
そんな男が、自身が案内したお客さまの担当……。決まった以上は仕方ない。それに彼は先輩だ。ひかるは黙って引き継ぎ書を作った。
「お名前、肥後修平さん詩絵理さん。成約担当、青山。打ち合わせ担当、美濃さん……と」
心なしか、ペン先の滑りが悪い気がした。