第七章 正義 4
「何これ?」
朝八時。婚礼部でいち早くひかるの、というよりハルモニア仙台の炎上に気付いたのは、いつも一番に出勤してくる麻衣だった。先日、大森に「イクシーズにハルモニアへのネガティブな感想クチコミが掲載される」と聞かされていたためか、やはりこの数日は社のSNSに対して敏感になっていたようだ。
ハルモニア仙台のインスタグラムに、非難のコメントが十件ほども付いている。苦情のダイレクトメールも入り始めた。フェイスブックも同様だ。
「ああ美濃さんの件だ。かなり苦情コメが付いてるな。十件か……。ん、A山? 青山? しね……死ね? 何で青山? この件なら美濃さんのはず。何が起こってるの……?」
これまで非難めいたコメントが付いたことも、ないわけではない。彼女も十二年ほどプランナーをしているのだ、それなりのトラブルにも遭遇してきた。ただ、これほどまでに苦情の声が入るのは初めてだった。麻衣がインスタグラムを見ている間にも、苦情のコメントは増えていく。十が二十に。二十が五十に。そして朝九時前には、ついに百件を超えた。そしてなぜか、その悪意の多くは青山ひかるに向けられているのだ。さすがの麻衣も、混乱していた。
「藤田さん、青山もう来た? 美濃さんは?」
「まだじゃない? あの子いつもギリギリじゃん。美濃さんもまだ来てない」
藤田さんも炎上に気付いている……千夏の表情から察知した。
内線が鳴った。フロントからだ。どうやら青山ひかるへの苦情らしい。素早く麻衣が反応した。
「回してください。おはようございます、ハルモニア仙台婚礼部です。青山でしょうか? 今日は外しております。ええ、お客さまの声はありがたく頂戴しております。イクシーズさまの書き込みですね。現在調査しております。青山、というより私どもハルモニア仙台スタッフ一同、ええ、重く受け止めております。はい、どうもありがとうございます、朝っぱらから。はい、失礼いたします」
柔らかな口調に隠しきれない刃を忍ばせ、麻衣は受話器を置いた。
そのまま数秒考え、今度は自ら受話器を取り、内線を飛ばした。
「婚礼の来生です。おはようございます。ちょっと今日一日、青山を預かっていただけますか。仕事を命じていただいても結構です。ちょっとイクシーズに手厳しい書き込みが反映されちゃって。どうも青山が標的にされてるみたいで。はい、すみません、よろしくお願いします」
「あの、これ、何ですか……?」
「青山、今日はいいから、とりあえず衣装室に行ってなさい」
「はい……でも」
「いいから。早く」
美濃が出勤してきたのは、その直後だった。
「後で大森さんと三人で話があります」
「え、僕もですか」
緊張感みなぎる事務所において、一人、飄々としたこの男の存在は、誰の目から見ても「異物」だった。
会議室に集まったマネージャー大森、サブチーフ麻衣、プランナー美濃。美濃の表情から、不安などは読み取れない。
「朝からものすごい数の苦情の電話が入っていて、フロントも婚礼部も仕事になりません。あの日、美濃さんはそれなりにというか、ともかくいろいろなミスをしたと思いますが、お二人にお詫びはしたんでしょう。なぜこんなことになってるんですか」
麻衣が詰め寄った。しかし美濃の反応は鈍い。
「当日、司会者さんが旧姓を呼んでしまったことなど、式の時のトラブルは僕の方からご夫妻に謝りました。それで怒りを収めて披露宴までこぎつけることができたんです。披露宴の後も、サービス部の非礼などを僕から詫びておきましたよ。でも、どうしちゃったのかなあ。騒ぎになれば費用を払わなくて済むかも、とか思っちゃったのかなあ」
相変わらずこの調子だ。当事者意識が恐ろしいほど欠落している。「あんた泣いて謝ったらしいじゃない、その記憶はどこに飛んだの!」とはさすがに言えなかったが、麻衣は鋭く美濃に迫った。
「あなたの打ち合わせが不十分だったからでしょう! それでなのか何なのか、ヘルプに過ぎなかった青山が非難にさらされています。もう一度、美濃さんから何かの形で肥後さん夫妻にお詫びをしないと」
まあまあ、と大森が割って入った。
「美濃も精いっぱいやったんだ。こいつ自身も多少ミスしたが、司会の広田さんもサービス部もレストラン部も、皆が少しずつやらかしたんだ、美濃一人に謝らせるってわけにもいかない。ここは会社として、俺と高橋さんで肥後夫妻と話すから」
「僕はネットの書き込みとか気にしないんで。大丈夫です」
誰一人噛み合っていない話し合いは、結局「事態は会社預かり」ということで終わってしまった。
「話にならない!」
美濃と大森が支配人室に向かった後、事務所で珍しく麻衣が声を荒らげた。
「だから肥後さん夫妻の書き込みは断るべきだったのよ」
「今まで掲載を拒否したことないからねえ。でもネットでこれだけ荒れるなんて想像してなかったな」
ここで内線電話が鳴った。ほのかが素早く反応する。
「はい婚礼部佐藤です。……分かりました。そうですね、すぐに来生さんか藤田さんから折り返します」
そして受話器を置くなり、麻衣と千夏に言った。
「あ、あの。キャンセルきました。今回の騒ぎをネットで見たらしく、式をキャンセルしたい、と」
「やっぱり」
僕はネットの書き込みなど気にしない、と言ったのはどこの誰だったか。しかし気にする者はいるのだ。「A山を許すな」「ハルモニアは客に嫌がらせをする」「気の弱そうな客に対して憂さ晴らしをするプランナーが在籍」などの誹謗合戦が続いているのだから、当然のことだった。
「一体、どこまで続くんだろう」
さすがの麻衣も、ホワイトボードの美濃の名前をにらみつけるしかできなかった。




