第六章 烈火 2
自分が炎上している……どうして自分が? あの式には確かに不備が多かったけれど、なぜあたしが?
「あたしが受付をしたからですか?」
「ハッシュタグって分かる? 『A山を許さない』って言葉の先頭に#の記号が付いてるだろう。簡単に言うと『#が付けられた言葉』はSNS上の合言葉やスローガンになる。つまり『#A山を許さない』を合言葉に、インターネットの中でキミへの非難合戦が始まってるんだ」
向井の丁寧な説明は、とても分かりやすかった、言葉の意味は。しかし自分が標的になっている理由が全く分からない。
「夫婦がレビューで披露宴の写真を公開したんだ。『この貧相な飾り付けを見てください。事前にこちらが希望していたものとは全く違う粗末なものでした』って。ほかにも旧姓を呼ばれてしまったこと、料理の配膳ミス、引き出物のことも。それに呼応して、どうやら女性のようだけど、ある人物がツイッターに文章を書き込み始めた。『私の親友が、人生で一番大切な結婚式をめちゃくちゃにされました。許せない』『#悲痛な思い聞いて』とね。何とも自分に酔った書きっぷりだ」
混乱と疲労と恐怖とで、ぼんやりとしか把握できない。ただただ、向井という存在の頼もしさだけは、理解できた。
「今日は一日スマホを切って、ネットも見ないようにしておいて。明日までにもう少し事情を把握するから。もうお昼だ。とりあえずご飯でも食べに出よう」
ハルモニアから徒歩五分、たまに来るカフェに着いた途端、ひかるは再び泣き始めた。向井のそばで落ち着いたこと、何より混乱が少し収まったことで、恐怖の輪郭がはっきりしてきたからだ。
「僕はパスタランチで。彼女はパンケーキセット。紅茶で」
店員に顔を見られないよう机に突っ伏したひかるの分も、向井が注文した。ほどなく運ばれてくるパンケーキ。
「少しでも食べた方がいい……」と言い終える前に、ひかるは猛然と食べ始めた。
「良かった、食欲はあるね。とにかく元気でないと対抗できないから、どんどん食べて」
聞こえているのかいないのか、ひかるはひたすらパンケーキを口の中へと押し込んでいった。
とりあえず、と向井はひかるのスマホを手に取り、会社用アカウントからの通知が来ないよう設定した。
昼食後、二人は企画部に戻った。向井が婚礼部に内線を掛ける。どうやら相手は大森のようだ。
「衣装部はお客さんの出入りもありますし、青山さんは明日からしばらく企画部で預かろうと思います。今日はこのまま待機してもらって、はい、定時で帰ってもらいます」
夕方まで一体どう過ごしただろうか、記憶も定かではない。帰り際、ひかるは「パンケーキごちそうさまでした」と頭を下げるのが精いっぱいだった。
「今日はネットは見ない方がいいよ。とにかくまた明日、対策を考えよう」
「はい」
力なく答え、ひかるは帰っていった。
「さてと……」
今日の仕事を終えた向井は、ツイッターを開いた。「#悲痛な思い聞いて」「#A山を許さない」の言葉がいくつも並んでいた。炎上の初期段階というやつか。眉間にしわを寄せて、向井は火元へと踏み込んでいく。書き込みの主は「なすび」と名乗るこいつだ……。
「友達の結婚式がぶち壊されました。絶対このホテルを許したくありません。毎日泣いてる友達が可哀想でほんと目も当てられない。なのにホテルは『二度と会わない』『質問は受け付けない』と言い放ちました #悲痛な思い聞いて #A山を許さない」
「なすび」の自己紹介には自身の好きなゲームなどが書いてある。アイコンはそのゲームのキャラクターだ。書き込みをさかのぼっていく。ゲームの仲間やおそらくは主婦仲間が、なすびの「悲痛な思い」とやらに共鳴を始めている。「A山を許すな」「ハルモニアは元々評判が悪かった」「幸せそうな新婦に嫉妬したんだろう」「A山はアルバイトの人にきつく当たる人だったらしい」と、皆が一斉に騒ぎ立てていた。その書き込みは、もはや数え切れる量ではなかった。
式場側に不手際・ミスが多かったことは間違いない。肥後夫妻が被害者であることは事実だ。事実なだけに……。
「#A山を許さない、か。これがやっかいだな……」
初めて直面する炎上騒ぎに、普段は冷静な向井も、何から手を付けるか判断に迷うのだった。
そこに、アリスという名のアカウントで、ひかるを擁護する者が現れた。新規に近いアカウントで、過去のツイートはほとんどなく、どういう素性の者かは分からなかった。
「A山って人はただの受付担当で、プランナーは別人、しかも男性のはずだけどなあ」
すぐにあちこちから噛み付かれる。
「関係者降臨! プランナーの性別まで言えるってことは絶対関係者じゃん」
「ていうか青山本人だろ、これ。自己弁護ご苦労さま! 見え見えすぎる!」
「お前のアイコン写真、何だそれ、アニメか? ガキかよ」
「よくプランナーとか名乗れるな、見てて恥ずかしいわ」
いきなり本人扱いされ、それこそあっという間に燃やし尽くされていた。
「たまに擁護派もいるけど、火に油だな。どうしたものか」




