第四章 連鎖 6
新婦友人・来賓席には、拍手を送りながらも会場全体を観察している女性がいた。新婦に招待されこの場に座っているが、会場の広さは、出席者の様子は、とあちこちを見渡している。テーブルの脇を詩絵里が通る時は、しっかりと拍手と笑顔を送っていたが、新郎新婦が席、つまり中央のソファーにつくと、またもや花のボリュームや飾り付けのアイテムを観察し始めた。
「ちょっと簡素かな。新郎側の出席者は、本当に騒がしい人が多いね」
根岸理恵、三十二歳。この場では詩絵里のもっとも親しい友人だ。離婚歴はあるが、つまりは結婚式・披露宴ついて詩絵里の先輩であり、詩絵里から何かと相談や報告を受けてきた立場だった。
「あのテーブル、人がいなくなったな。いすごと移動してるんだ。あっちのテーブルが会社の上司か」
会場には親しい友人もおらず、一人、マン・ウォッチング・ゲームに興じるしかない。
「あのプラスチックの透明な台、何だろう?」
目ざとい。普通の人は気にもしなかっただろうが、それは、高円寺が置き忘れた余計なブーケ台だった。
ごく一部の冷めた人物をのぞき、披露宴は熱気を帯びる。酒が入ったからか、移動し歩き回る者も増えてきた。美濃はというと、会場の後方、バーカウンター付近でその様子を眺めていた。結婚式でいろいろミスを犯したため、大森から「披露宴には張り付いてろ」と言われたのだ。
バーカウンターのすぐ隣、厨房ではレストラン部とサービス部が忙しく動いている。レストラン部が仕上げた料理を、順に運び出す高円寺たち。前菜、エビのビスク、温かい魚介料理、肉料理。しかし会場内は皆が思い思いの席替えをしているため、サービス部は配膳に苦労しているようだ。「こちらの方は?」という声がそこかしこで聞こえる。
「すみません、コーラはありますか」
「コーラのご用意はありませんが、ジンジャーエールならございます」
バーカウンターですげなく応対された理恵は仕方なくジンジャーエールを受け取って席に戻った。しかし「おかしいな、コーラはメニューに入ってるって聞いたのにな」と思い直し、歩いているサービス部のスタッフを捕まえた。
「ドリンクメニューは、ないんですか?」
「少々お待ちください、すぐご用意します」
メニューは美濃の出し忘れだった。後に発覚するが、ドリンクメニューも新郎新婦のオーダーとは違い、ワンランク下の、種類の少ないものを発注していたのだった。
その美濃はというと、相変わらず料理が運ばれていくさまを、ぼんやりと眺めていた。
出席者の気ままな席替えはますます進み、もやは席次表は用をなさない。司会の広田明日菜も苦労しているようだ。
サービス部の配膳も混乱を極めた。特別メニューの手巻き寿司も出されたが、全員に行き渡ることなく、各テーブルで乾いていくのを待つだけだった。
「子供の出席者もいるからってことで手巻き寿司のオーダーがあったんだけどね、あたしなら肥後さんと相談の上で早めに出すかな。でないと、子供たちってコース料理に飽きちゃうじゃん。美濃さんはその相談もしないでサービス部に投げちゃってたのが、ちょっとね。あと、あれだけ座席を気ままに変えちゃう披露宴はちょっと聞いたことがない。高円寺さんたちも苦労しただろうな。美濃さんが会場整理をすればよかったのに」
騒がしい会場にあって、どうにか場をコントロールしたい広田は、ここで自分がまとめた式次第どおり、祝電を読み上げた。
しかしこれも失敗だった。「祝電は読み上げない」と決めていたはずだ。それが「え?」と修平が思ったときにはすでに遅く、二通ほどが読み上げられてしまった。
担当は美濃、式次第を組む司会担当・広田は新人、ということで起こったミスだった。広田は最終進行表を組もうと美濃からの連絡を待っていたが、いかんせん未定と保留が多く、彼女としては「定番通り」で仮組みするしかなかった。ギリギリになって届いた披露宴進行をどうにか最終進行表に組み上げて美濃に返送したのだが、ここで「祝電は読まないこと」が抜け落ちてしまった。おまけに、祝電読み上げNGの場合、式場の祝電受付ボックスに「×」と書いた紙を入れておかなければならないところ、美濃はそれも忘れていた。
ただ当日、そうはいっても思いもよらない恩人などから祝電が届いていることもあるので、司会者が「こういう方から祝電を頂いています。最終的にどうされますか?」と新郎新婦にこっそりと確認する決まりなのだが、キャリアの浅い広田はこれを忘れてしまったのだった。
式に続いて、修平の怒りが再燃した。
そうと知らない出席者たちは、お祝い半分、冷やかし半分で新郎新婦が座るソファーの周りに取り付いていた。
「今日はおめでとう! さあ飲んでくれよ」
「次はオレのも飲んで」
何杯のビールを注がれただろう。主役の二人よりも、出席者の方が盛り上がっている。
こんなお祝いムードの中でも、皮肉を言う先輩などはいるものだ。
「花、もっと豪華にいけよ!」
実は修平自身、そう思っていた。「確かに、思っていたよりも花の飾り付けが少ないかな」と。予算は十万円。最初は二十万円で考えたが、途中で見直したのだ。最終的な花屋との打ち合わせでは「ご指定の飾り付けなら十万円でも可能です」と言われていた。しかし他人に言われると、余計に気になるものだ。おまけにこの式場はミスだらけときている。
「これでも十万円掛かったんですよ」
再び首をもたげた怒りを抑え、笑顔を作って答える修平に、先輩は遠慮しない。
「そんなに出したら、もっと飾れるんじゃねえの? オレもそのぐらいだったけど、結構豪華だったぜ」
離れた場所からそのやり取りを見ていた理恵は、ソファー周りのフラワーボックス、各テーブルの花飾りを見てつぶやいた。
「そう言われれば花がショボいな」
スマートフォンで写真を撮り、自身のツイッターにアップした。フォロワーはスマホゲームで繋がった者たち。「リアル友人の結婚式。お花だよー」。それ以上は書かなかった。
さて、気ままな席替えで披露宴は押しに押し、この時すでに三時間近くが経過している。ようやく会場ではコーヒーとデザートが出され始めた。とはいっても移動に移動が重なり、無人のテーブルも多かったが。
行き場を失っていた手巻き寿司を見た女性出席者の一人が、高円寺に声を掛けた。
「すみませんね、みんなあちこちに散らばってしまって。こんな騒がしい披露宴も、なかなかありませんよね」
確かに、修学旅行に来て羽目を外して騒ぐ高校生のようだ。この女性出席者は友人たちのまとめ役、つまりは学級委員長のようなものか。一瞬そこまで考えて、高円寺は答えた。
「楽しい披露宴ですよね」
「手が付けられていないお寿司、もったいないので男性や子供さんたちががいるテーブルに移しちゃってください」
「分かりました」
配膳に苦戦していたサービス部にとって委員長の言葉はありがたかった。高円寺は、人が集中している三つほどのテーブルに、手付かずの手巻き寿司を持っていった。
しかし同じテーブルに座る子供たち……一人は三歳になる我が子だが、その前に置かれた寿司を見て、理恵はまたも皮肉っぽくつぶやく。
「コーヒーの時に手巻き? これをデザートにしろって?」
「おいこのタイミングで手巻き寿司が来たぞ!」
笑い声も聞こえてきた。
離婚したとはいえ、なにせ自分は結婚式の経験者だという思いから、どこか辛口評論家気分の理恵だった。
当日の様子を聞いたひかるは、こう振り返る。
「披露宴での美濃さんのミス、いくつあっただろう。電報の読み上げ、ドリンクメニューの出し忘れ、飲み放題メニューの取り違え、手巻き寿司を出すタイミングの指示抜け。ちょっと擁護できないよね、全部うっかりミスだもん。でも、花の金額については適正だと思う。花屋さんはスケッチを描いて新郎新婦に説明するんだけど、そのスケッチどおりの仕上がりだった。新郎ご指定のフラワーボックスって高いんだよ。ウチはよその式場と比べて、むしろ安く出してる方だよ」
失敗だらけの披露宴も、ようやく終わりの時を迎える。引き出物が用意され、席を立つ者も出てきた。式場側にとっては引き出物の手配も慎重を要するポイントだ。披露宴慣れしている人は知っているが、ご祝儀の額によって、中身、特にカタログギフトのレベルが違うからだ。特に今日は会場内がいつもより混乱している。スタッフはスマートに名前を確認しつつ、紙袋を出席者たちに配っていった。
高円寺は「やれやれ」と一息ついた。「罰として張り付いてろ」と言われた美濃はというと、最後までぼんやりと、会場や司会者の手際を眺めていた。この時、自らが犯したエラーの数々には、全く気付いていない。
しかしギリシャ神話で言うところの罰の女神・ネメシスは、まだ調和の女神・ハルモニアを許さなかった。最後の不幸が降り注ぐ。客の一人が、自分の紙袋の中に引き出物の納品書を見つけたのだ。十九日の袋詰め作業で紛失した封筒が、よりにもよってこのタイミングで出てきたのである。
見つけた客は気を利かせ、すぐさま修平に駆け寄り、そっと封筒を渡した。
「ちょっと、こんな封筒が入ってたよ。値段が書いてある。式場にちゃんと言った方がいいよ」
「ええ、納品書!? それは本当にごめん」
そうとしか言えず、渡された封筒を手に相手を見送った修平。一生に一度の結婚式にここまでケチを付けられた肥後夫妻の心境を正確に把握できる人間が、果たしてどの程度いるだろう。
美濃がプロデュースした最悪の式は、ようやく終わった。事故確定と言ったのは千夏だったか。しかしそんなレベル収まらないこの大事故は、後にハルモニアグループで「ミノアの惨劇」と語り継がれることになる。
テレビインタビューで流れた修平の声。
「コーラを断られた友達もいました。式場スタッフはプロだと聞かされていたのに、この仕打です。花の飾りだって、イメージしていたものと全然違いました。読まないでほしいと伝えていた電報は読まれるし手巻き寿司も変なタイミングで出されるし。それに、何人かいた子供さんたちにはデザートのケーキが出されていなかった、と子供連れの出席者の友人から聞かされました。極め付けは、引き出物の納品書……。これだけ重なると、嫌がらせとしか思えません」




