第四章 連鎖 5
「ちょっとカーテン引くよ! 奥に入って」
美濃の詫びにどうにか気を静め、披露宴用の着替えをしていた修平に浴びせられたのは、威勢のいい、もしくは失礼なほど調子の強い呼び掛けだった。声の主は美容室のベテラン女性職員だ。一悶着あったことは知らないのだろう。
美容室は文字通り髪のセットや衣装・着替えを担当する部署で、ベテラン女性職員が多い。慣れから来るものか、その接客態度には、利用者から「荒い扱いを受けた」との声が寄せられることも多い。ホテル側もその都度注意はするが、なかなか改善されないあたりはどうにも職員たちの性格のようだった。
しかしその場に不慣れな者たちは、しばしば不満を飲み込み、不本意ながらスタッフの指示に従うものだ。修平もそうだった。「不安と楽しみの中、修平さんといろいろ話したかったのに別々に更衣室に押し込まれてしまって。とても悲しかった」と詩絵里も述懐している。
しかし、と修平は思う。
「ホテル側も言ってたけど、普通、式場は一日一組限定じゃないのか? しかも、なぜこんなふうに隠れなければならないんだ」
ここでの普通とは何か。実は修平の小さな思い違いが生んだものだった。ずっと「式場」と「披露宴会場」を混同していたのである。
一般的に式場では、一日に神前式二組、人前式二組ほどが行われる。つまり一日四組だ。それを式場側がタイミングを調整し、新郎同士、新婦同士が美容室などで鉢合わせしないように配慮するのだ。だから本来、肥後夫妻も静かな中で式を迎えられるはずだった。「他のお式と重なることなく、フロアを貸し切りです」というハルモニア側の説明は、確かに耳障りのいいもので、それが修平の中で「自分たちにとって特別の日だ」という思いから「今日は自分たちの貸し切りだ」という、ぼんやりとした思い込みにすり替わっていたわけだ。
そもそも修平には、美濃から「二人の披露宴の前には宴席が組み込まれている」と伝えてあった。しかし修平は聞き慣れない「宴席」という言葉について、あまり深く考えずに「会議のようなもの」と解釈した。美濃の話をしっかり聞いていれば、修平たちは「貸し切り」についての勘違いに気付けたかもしれない。
しかし問題はそれだけではなかった。うっかりしたのかウェルカムパーティーが三十分押したことで動揺したのか、美濃が夫婦への着替えの時間を、本来の予定より三十分早めて伝えたのだ。後で理由を聞いても「覚えていない」としか答えが返ってこない、恐ろしいほど単純なエラーだった。
さらに、新郎新婦には「トイレに行くとき、のどが渇いたときなどは式場スタッフに伝えてください」と伝えてあるのだが、修平は誰に伝えることなく自己判断でトイレに向かうなど、ルールの不徹底が重なった。結婚式・披露宴という不慣れな場でのこうした行動を責めるのは酷だろう。ただ、少々信じがたい美濃のミスや小さなルーズさが重なって、本来あってはならない「二組のカップルが鉢合わせる」という事態がを起こったのだった。
テレビインタビューで流れた修平の声。
「今日は僕たちの貸し切りだったのに。三カ月前の段階で、私たちの式の前に入っているのは会議だったはずで、別の披露宴が入ってるなんて聞いてません。これってダブルブッキングってやつですよね。よく考えたら、飾り付けでドタバタしたのもこのタブルブッキングを隠していたからじゃないか、と思い当たりました。着替えの時は他の式のカップルがいるし奥さんの衣装として借りたグローブは毛玉だらけだったし、どうしてここまで嫌がらせされないといけないのでしょうか」
美濃の大小のミスにプラスして「手荒い美容室」「ヘラヘラしているように見えたスタッフ」たち。そこに修平のぼんやりした思い込みやルールの不徹底で問題は大きくなり、実際のミス以上に、肥後夫妻の不信感は大きなものになっていた。
それでもこの日何度めかの美濃の詫びもあり、それ以上に「今日ばかりは特別な日だから」と、夫妻はいろいろ飲み込んで披露宴へと向かうのだった。
「新郎新婦のご入場です」
眼の前で開かれた扉。まぶしすぎて目がくらむ。やがて明順応した視界の先には、拍手に湧く四十人の友人、上司たちの姿が。
修平、詩絵里に笑顔が戻った。少々ドタバタしたが、今日この時、二人にとっては間違いなく、人生で最高の瞬間だった。




