第四章 連鎖 4
ひかるはというと、この日も新規班としてロビーにいた。タイミングはちょうど昼休み。スマホでツイッターを見ると、フォロワーたちから「今日、例の結婚式じゃないの?」などとリプライが飛んできていた。
「ちょっとの間、女王陛下に受付を任せて、最初だけは見てくるつもり」
手早く返信して、麻衣の方を見た。
「陛下、ちょっとチャペル見てきますね」
「いいよ、今日は新規も少ないし行っておいで。あと青山」
「はい?」
「『陛下』は陰口の時だけにしておくように」
「すみません!」
持ち場を離れることか陛下と陰で呼んでいることか、どちらの「すみません」だか自分でもはっきりしないままひかるは小走りでエレベーターに向かう。
「つい本人に言ってしまった! ていうかバレてた!」
早足で通路を抜け、チャペルに到着した。気が付けば、後ろにはほのかも立っていた。
「一年間、数十回の打ち合わせをこなし、ブライダルフェアには皆勤賞。肥後さんたち、ついに本番を迎えましたね」
「そうだね。ちょっと変わったケースだったけど、終わりよければ全て良し、だ」
いろいろあった修平と詩絵里と美濃の長いマラソンは、いよいよゴールを迎えようとしている。どうやら式は通常運転だ。ひかるとほのかは、それぞれの担当場所へと戻っていった。
ところがその直後、ついに決定的な「事故」が起こる。「肥後修平さんと、麻生詩絵理さんは……」と新婦の旧姓が司会者から読み上げられた時、修平の表情はみるみる赤く、詩絵里のそれはみるみる青くなった。
思い出したいのは、肥後夫妻が最初の来館から契約まで四カ月掛かったこと。「新婦側のご家族は参列しないことになった」ということ。そして日程も会場も三カ月前というタイミングで変更されたこと、だ。これだけでも「何かトラブルを乗り越え、もしくは抱えたまま、今日の式に臨んだ」ということが容易に想像される。
もちろん、美濃は全ての事情を知っていた。新婦の両親と新郎新婦がもめたため、縁を切る・切られる覚悟で式に臨んだことを。そんな新婦の家庭事情に配慮して、新郎側の家族も参列を見合わせたことを。そのため新婦が旧姓を式・披露宴で絶対に出したくないと希望していることを。
一年以上、打ち合わせ回数三十回という長い長い期間を経て行われた美濃の準備は、決定的なところで決定的にまずかった。「新婦の旧姓はいかなる場所でも出さない」という肥後夫妻からの絶対のオーダーを、あろうことか当日のスタッフたちと共有していなかったのだ。
かつて千夏が予言したとおり、結婚式は大事故で終わった。
修平は脇で談笑しているチャペルスタッフを捕まえた。
「お前ら、何をヘラヘラと無駄話してるんだ!」
不意に肩口を乱暴につかまれたスタッフはその剣幕に押され、身動きすら取れなかった。それもそのはず、その場の誰もが、重大な過失が式場側にあったことなど全く知らなかったのだ。つつがなく式が終わったと笑っているスタッフたちの態度は、修平にはとてつもなく無責任なものに見えた。
「もうここで披露宴はしたくない! 金なんか払わないぞ! すぐにプランナーを呼べ!」
参列者の手前、声のボリュームこそ押し殺しているが、修平はついに怒りを爆発させたのだった。
「どうしたの? 何かあった?」
騒ぎを聞きつけ、ひかるはチャペルにやって来た。しかしすぐに美濃が現れ、ひかるが事情を飲み込めないうちに、夫婦と三人で別室に入っていった。どういう内容が話し合われたのか、ひかるには分からない。
式の後、披露宴までの間に「場つなぎ」ではないが、行われるウェルカムパーティー。待合のロビーで飲み物などが振るわれるのだが、普通は三十分のところ、一時間を要することになった。
テレビインタビューで流れた修平の声。
「思えば言葉が過ぎた部分もありましたが、こんなところで披露宴をしたくないと言ったのは、その時の本心です。こんな取り返しがつかないミスについて、式場側はどう責任を取ってくれるのか。きっちり話し合って提示してほしい。そもそも、式場側はずっと詩絵里の字を間違ってるんです。詩絵理じゃなく、詩絵里、です。悪いな、と思ってずっと言わなかったんですけど。そういうこともあって、一体私たちとどう向き合ってくれてたのかな、って不信感はずっとありました」
最初に応対したひかるが書き間違えたのだ。その後、美濃の手による書類は、どれも「里」ではなく「理」で作られていた。それを肥後夫妻は、ずっと言い出せないままここまで来ていたのだ。
「やってしまった。あたしが最初に間違ったのかもしれない。ううん間違えたんだ」
普通の担当者であれば……麻衣や千夏は当然のこと、ほのかですら、受付担当から引き継いだ後、どこかのタイミングで気付いたはずだ。夫妻の名前・文字の確認などは仕事の第一歩だからだ。しかし美濃は原簿の確認、提出など一切の手続きを怠った。だから「ミス」は、そこにあり続けた。ついに最後まで消えなかったのだ。




