第三章 火種 6
六月も一週目が終わろうとしていたある日の夜。
「今日はこれで上ります」
エスパル仙台でおまんじゅうを買って帰ろう、暑くなってきたからずんだシェイクもいいかな、そんなことを考えながら歩いているところで、ひかるは肥後夫妻と出くわした。
「あら、どうされました?」
「美濃さんにお花のことなどで相談を聞いてもらう予定なんですけど、まだ来られなくて。待ってるところです」
「すぐ確認しますね」
急いで事務所に戻りホワイトボードを確認すると、美濃は一つ前の打ち合わせが押しているようだ。こういう時間のコントロールの甘さなどは、麻衣がもっとも嫌う部分である。もちろんひかるも。
「また美濃さん? 青山、帰ろうとしてるところ悪いけど、ちょっと時間持ってあげて」
麻衣に言われるまでもなく、ひかるは上着を脱ぎ、書類を引っ掴んで走り出していた。
「お待たせしました、美濃が少々手を取られておりまして。私がお伺いしますね。お花のことは、改めて美濃からお伝えします」
「はい、ブーケのことで確認があると言われてて。あと、今日この後、式の動きの確認もするって」
「ああ、そうなんですね。あと、これから式のリハーサル……と」
原簿に目を落としたところで、一瞬ひかるは呼吸を止めた。それでもメモを取るフリをして顔を下に向け表情を隠す。
「おいおいウソだろ挙式のリハにプランナーが間に合ってない……?」
これはマズい。が、パッと表情を作って笑顔を見せる。
「大切なリハですし、お待たせするわけにもいきませんので、このまま私がお供させていただきます。では、参りましょうか」
チャペルで新郎新婦の動線を確認。これはまあ、定形どおりだ。続いてミノアの間へ。
「こちらに立っていただいて、司会が……ん?」
動きの中で手に持った原簿を見る。日程、当日の入り時間、音楽や照明の準備、友人やご両親の役割、立ち位置などなど「披露宴進行」に沿って埋め尽くされているはずが……情報量が全く足りないではないか。そしてその次のページにある進行表を見たとき、ひかるはようやく理解した。「今、すでに事故は始まっている」と。
「ええと。新郎さまがこちら、新婦さまが、こちらから入る形です。ドレスですのでゆっくりで結構ですよ。当日は会場を見る余裕もないかもしれません、今の間にゆっくりご覧ください。すぐに戻ります」
笑顔でチャペルを出た後、足音を立てないよう事務所へ走る。
「麻衣さん、ちょっとまずいです! 肥後さん、お式まで二週間なのに披露宴進行が保留、未定、保留、保留で全く埋まってません。原簿もほぼ真っ白です! すぐにお二人に確認して決めてきます!」
「何これ……。青山、とにかくよろしく」
「行ってきます」
「藤田さん、美濃さんから原簿提出、受けてた?」
「一度催促はしたけど、その後、見た記憶はないかな。私に注意を受けたもんだから、てっきり来生に出したのかと」
先月末、千夏が美濃に告げたとおり、原簿は打ち合わせ担当が責任を持ってサブリーダーである麻衣か千夏のチェックを受けなければならない。提出された原簿に対し「氏名、一文字ずつ確認。フリガナ確認」「ムービーのメディアは何?」「音源の確保は誰が?」「あれは? これは?」「情報が足りない」と、彼女たちが朱書きでチェックを入れていくのだ。ここで「誰のどの式のものが提出されたか、されていないか」もチェックしていればよかったのかもしれないが、慢性的な人手不足で彼女たちも忙しい。「一カ月前に必ずサブリーダーの確認を受けること」が部署でのルーチンになっている以上、まさか誰のチェックも受けていない原簿があるなど、思いもよらなかった。
「肥後さんご確認があります。こことこことこことここと……どうされる予定ですか? 美濃との打ち合わせの中でお決めいただいてると思いますが私からも確認させてください」
ダメだダメだ、早口は良くない。
「ああ、それ、ちょっとまだ決めきれてないんですよね。美濃さんにまだ間に合うって言われてるもので。間に合いますよね」
「そうですね」
肯定の言葉を曖昧に使いつつ、書類を広げる。
「ケーキ入刀と、シェアリングのアイテムはどうされますか? ビッグスプーンは人気ですよ。中座の退場は、誰とされます? ご事情も含めて、親しいお友達をご指名されるのもいいかもしれませんね。あとメイン演出ですが……」
「『フルーツカクテル』です」
「フルーツカクテル、といいますと……?」
「各テーブルを回って皆さんから果物を少しずつガラス瓶に頂いて、最後に私たちがお酒を注ぐという」
「フルーツの入ったガラス瓶にお酒を……? ああ『果実酒ラウンド』ですね。美濃から『フルーツカクテル』というご案内でした? はい? 一万円でご案内してます?」
「『フルーツカクテル』って何だよ商品名は『果実酒ラウンド』だぞ! それに価格は三万三千円だぞ一万円て何だよ!」という叫びを心にしまい、肥後夫妻の表情をうかがいつつ、希望内容を書き出していく。本番まで二週間前。この後すぐ、ウェディングアイテムを扱う会社に発注をかけなければならない。ひかるは可能な範囲で披露宴進行を埋めていった。
「なんか、今まで『本当に結婚式を迎えるのかなあ』って夢の中みたいだったんですけど、今日いよいよ実感が湧きました。ありがとうございます」
修平が笑顔を見せる。
「そうですよね、初めてのことですもん、なかなか想像しにくいですよね。でも、ゴールまであと一息です。楽しく駆け抜けましょう!」
笑って夫婦を見送った後、ひかるは麻衣の元へと駆け抜けた。
「見せて」
引ったくるというより流れるように披露宴進行を取り上げた麻衣は、書類をめくりながら指示を飛ばす。
「ほのかちゃん、美濃さんのスケ確認。青山、司会者が誰だか確認して」
「美濃さん別件打ち合わせ中です」
「司会担当は広田さんです」
訓練された兵士のように背筋を正し、ひかるとほのかは即答した。
プランナーが「発注」という形で司会者に「披露宴進行」を送り、司会者は受け取った進行表を、清書する形できれいに組み上げる。それが「最終進行表」だ。それをプランナーが確認して、完成となる。
「あの新人さんか、分かった」
言いながら、受話器を上げる。
「ハルモニアの来生です。先ほどの件、やはりビッグスプーンです。二十二日です、ええ、見積もりと同時納品でも構いません。間に合いますか? ありがとうございます」
「ハルモニアの来生です。さっき申し上げたペーパーアイテム類、二十二日確定です。校正明後日上がります? ありがとうございます」
「来生です。肥後さん披露宴演出、果実酒ラウンドです。詳細は明日か遅くとも明後日。一万……? ごめんなさい、フルーツの発注量はその時また相談させてください。よろしくお願いします」
「広田さん? ごめんねうちからの進行表、まだそっちに飛んでないでしょう。仮予定が埋まりましたので美濃から連絡させます」
社内外に指示と交渉が飛び交う、まさに女王親政。そこに、今現在、仙台で最も危険な立場にいる男が帰ってきた。
「美濃さん何してたの! 肥後さんの披露宴進行、ほとんど埋まってないじゃない! アイテム発注は一カ月前が決まりでしょう! 今週も先週も、ミーティングでどうして黙ってたの!」
「今日、いや、明日決めて広田さんに送るところだったんです。修平さんが奥さんへのサプライズ演出とかいろいろ決めかねていて、そこを無理に進めても、と思って。でも確かに、早く決めてもらわないとねえ」
「ないとねえ、って……」
ここでも発揮される無責任さに、ひかるは絶句した。
「それをコントロールするのがウェディングプランナーでしょう! 進行はさっき青山が埋めましたから確認しておきなさい。後のことは明日大森さんを交えてのミーティングとします。以上、解散」
解散、っていよいよ軍隊みたいな……。しかし麻衣の勢いに押し流されるように、ひかるたちは引き揚げるのだった。




