第三章 火種 4
雪が少なかったこの冬は、春の到来も早そうだ。カレンダーは二月二日になっていた。この日、席を外している美濃に代わり、肥後修平からの電話を受けたのはひかるだった。
「え? 日程変更ですか?」
「ちょっといろいろあって。招待状の名簿も改めて確認してたら、何だかんだで少し間に合わなくなったというか」
「なるほど、そうでしたか」
「ですので、六月以降の式場の空き状況を伺いたくて」
「確認したところ、六月二十二日のほか、いくつか空いてるお日にちがありそうですので、美濃から改めてご連絡させていただきます」
「肥後さんご夫妻、日程変更されるんですか?」
事務所に戻ってきた美濃に、ひかるがメモを渡しながら尋ねた。
「うん、どうもご家族の中でいろいろトラブルがあるみたいで、そういうことに。大森さんに相談したら、何とかキャンセル料なしで対応してくれて」
この時期に目玉商品エリシオンをキャンセル、なのにキャンセル料を取らないとは大森も思い切ったものだ。「式の中止」でゼロになるよりは、という判断だろうか。
「エリシオンは六月なら八日、十五日の午後、二十二日が空いてました。二十二日は午前中に宴席が入っていますが、入れ替え時間は十分にあります。肥後さんにお伝えください」
「分かった、ありがとう」
「ええ? 会場も変更なんですか?」
「うん、そうみたいで。エリシオンじゃなくて、小さいミノアでいいらしい」
さらに事態が変わったのは、ひかるが電話を受けてから数日たったある日のことだった。美濃との雑談の中で、肥後夫妻が日程だけではなく会場も変更したことを知る。式まで三カ月。いよいよ前代未聞のシナリオだ。
「あたしが美濃さんにお伝えしたのはエリシオンの日程ですよ」
「僕もそのつもりで先方と話してたんだよ。でも十一月だか十二月だかにご家族とトラブルがあって、新婦側のご家族は参列されないことになってるから会場も小さめでいい、って。それでお二人の中ではいつからかミノアでやろうってことになってたみたいで」
「みたい、って……」
「どうも行き違いがあって、なかなかうまく話が進んでなくて。でも六月二十二日でミノアを押さえられたから、これで大丈夫」
「何かあったら手伝いますので、言ってくださいね」
何年も後輩の自分が言うのも変な話だが、そうも言っていられない状況が生まれつつあった。
抱えた不安を吐き出したい、そういう時は向井に愚痴るのが一番だ。帰り間際、ひかるは企画部を訪れた。向井はパソコンでの作業の手を止め、ひかるの話し相手を務めてくれた。夜だというのにネクタイすら緩めていないところが、向井の性格を表している。
「美濃には、どういうわけか上の人たちも多少の遠慮があるよね。一度フロントに飛ばされただろ? でも何年かでまた婚礼部に復帰したり」
「あたしが入社した直後、フロントから異動してきましたね」
「婚礼部といえばホテルウェディングの最前線だからね、ある意味で花形だけど、それだけにいい人材にいてほしいじゃん。噂じゃフロントでも使い物にならないって言われたのに、また婚礼部に戻ったとか何とか」
「そういえばこないだ、美濃さんが結納目録の発注を間違えたんですよ。婿入りなのに」
嫁入りと婿入りの場合では、結納品の品目は書き方が違う。例えば「子生婦」が「幸運夫、子生夫」であったり「寿留女」が「寿留芽」であったりするのだ。絶対に間違えてはならない部分だった。
「日程ギリギリだったから、麻衣さんが『私が書きます』なんて筆を取って腕まくりしちゃって。そこにたまたま業者の方が来て『何とかしますよ』て言ってくれて事なきを得たんですけどね」
「美濃らしいといえば美濃らしいし、来生さんらしいといえば来生さんらしいね」
「婚礼部は慢性的に人手が足りないんですよ。大森さん、マネージャーになった今、現場に出たくないんですかね、だから一人でも戦力が欲しかったとか」
「俺だったら、美濃ならいない方がいい」
「まあ、ですかね……ははは」
一応美濃は先輩だ。曖昧に肯定しつつもこれ以上言うのは、ちょっと品がない。話題転換は、ひかるにしては少々強引だった。
「おしゃれなカフェ、ありました?」




