第三章 火種 2
「肥後夫妻がお見えなのに、美濃さんがいない? 青山、代理で入って。ほのかちゃん、美濃さんのスケ確認して」
事務所で麻衣から指示が飛んだのは、一月十二日のことだった。
「行ってきます」
肥後夫妻の打ち合わせの場に、なぜか美濃がいない。ひかるはひかるで仕事があるので詳しい事情は分からないが、急いで夫妻の待つ打ち合わせブースへ向かった。
パソコンで各部員のスケジュールを確認したほのかが答えた。
「美濃さん、別件打ち合わせ中。取り漏れです」
取り漏れとは、プランナーが客との打ち合わせを入れているにもかかわらず、他の式や打ち合わせに入ってしまい、予定に穴を開けることである。
「お待たせしております。美濃がちょっと、立て込んでおりまして」
良かった、どうやら肥後夫妻の機嫌は悪くなさそうだ。
「フォローまでだぞ」という大森の言葉を思い出すまでもない。次回の美濃と肥後夫妻のやり取りをスムーズに進めるために、と、現在の打ち合わせ内容を聞き取り始めた。
「招待状のデザイン、一番と二番、どっちのキャラクターにしようか迷ってるんです。どちらもいいお値段ですよね」
有名なキャラクターである「マウスくん」と「くまさん」で悩んでいます、と、いつもは静かな詩絵里が楽しそうに語る。
「かわいいですよね、どちらも。お値段で言うと、この三番は一番リーズナブルですよ」
このご様子だと、多分一のマウスくんがお好みだな……。いや、しかし。
「マウスくんは、三月で終了だったかもしれません。三月受付終了で五月のお式の方は使えるのか、三月中にお式の方までなのか、確認してみますね。くまさんは新製品ですので大丈夫ですよ」
「でしたら二番もかわいいので……二番のくまさんかな……」
五月二十二日が予定日だが招待状を出すのは三月だ。間に合うのか、間に合うのなら第一希望を優先したい。何より売上面でも一番おいしい。インセンティブは美濃のものだが。
聞きながら、ひかるは美濃への申し送り事項としてペンをメモに走らせる。「二のくまさんがお好みとのこと。しかしマウスくんにも興味をお持ちなので、一応いつまで発注可能なのかメーカーさんへの確認をお願いします」。
「あ、でも予算の都合もあるから、座席表に使うデザインは三でお願いしようかな……」
なるほど、詩絵理さんは移り気な方だ。美濃さんは苦戦してるんじゃないかな……。
「明日もご来館予定ですよね。全部スマホで写真を撮って、今晩お二人でゆっくり楽しく悩んじゃってください」
「代打、行ってきました。招待状をどれにするか迷っている、というお話でした」
「お式まであと四カ月だから少し詰まってきてるね、了解」
麻衣に報告したあと、申し送り事項をまとめ、美濃の机に置く。そこに美濃が戻ってきた。
「美濃さん、今日は青山が入ってくれたけど、どうして二重に打ち合わせが入ることになったの?」
「別件の方が、急に、来られることになって」
「リスケならきちんと青山にフォロー頼んでおかないと。これで何度目? あなたのフォローのためだけに青山やほのかちゃんがいるわけじゃないでしょ」
スケジュールが立て込み、さらにいろいろ変更になった際は、自身でリスケジュールして客を絶対に待たせない、それが基本だ。客との日程を調整する、それが無理なら部内でフォローを頼む、そういう細かい作業が、美濃は大の苦手だった。
「気を付けます」
「何度気を付ければ気が済むんだ、あいつほんとヤバイ」
「どうしたどうした」
「前に言ってたヤバい先輩か笑」
いつものとおり、ゲーム中の話題はフェイクを交えた職場のあれこれ。
「打ち合わせのお客さんすっぽかしてさ、女王陛下もさ、マジで怒ってるんだよね」
その端正な見た目と厳しさから、麻衣のことをひかるはコミュニティー内で女王陛下と呼んでいた。
「陛下を怒らせたら、その先輩、追放されるんじゃないか?」
「どこまでウソか分からないけど、聞いてると本当に事故りそうで怖い」
ところが、名前以外はウソじゃないんだよなあ……と、言えるはずもない。明日からがまた憂鬱だ……。




