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彼岸雪 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 へえ、また日本でバンジージャンプができる場所が増えたんだ。

 こーちゃんは、バンジージャンプの経験はあるのかい? ううん、私はまだ一回もない。どうにも高所恐怖症のきらいがあってね。足場にたどり着くまでで、ギブアップしちゃうかも。

 知っているかしら? 元々、バンジージャンプは豊穣を祝う儀式のひとつだった、ということを。毎年の4月を迎えると、その地域ではジャンプをするための高い塔が作られる。建造には一カ月以上の期間を要し、てっぺんから男たちが跳ぶんですって。

 命綱として身体に巻き付けるツタは、自分たちで用意する。自分の得物を見る目、手入れを怠るものには、死あるのみ。常日頃、狩りで行われていることが、この儀式でも行われるだけ。村人たちも狩りに送り出す時のように、歌ったり踊ったりして、男たちの勇気を奮い立たせたとか。

 だけどね。この手の儀式って、違う意味が存在したケースがあるのよ。その話、聞いてみないかしら?

 

 むかしむかし。ある地域でもバンジージャンプに似た試みが成されていたの。ただ、その高さというのが異常だった。

 それは櫓よりも、城よりも、ずっと高く高く作られる塔。彼らは何代も前から、この頂を知らない塔を築き続けていたの。その目的は、神に会うためだったとか。

 こう話すと、かの有名なバベルの塔を思い浮かべてしまうわね。けど、彼らは登り続けることによって天を目指したわけじゃない。むしろ、落ちることによって神に会おうとしていたのよ。生きたままでね。


 この世とそこに存在するものは、常に不可視の膜に覆われている。それが、この地域で広まっていた考え。

 私たちは普通に暮らしている限り、この膜を越えたり破ったりすることはない。己が持つ肉体自身も、その遮りをより強固なものにしているというの。だから死によって解き放たれて、初めてこの世の外に出ることができると。

 でも、自分が死んだ先にどのようなことが待ち受けているのか。それを知りたいと思ったこと、こーちゃんにはないかしら? 人は何がどのようにやってくるのか分かればこそ、準備ができるし、覚悟も決まる。それが誰にでも訪れると分かっているものなら、なおさら思いも強くなるもの。

 きっとその人たちも、死ぬことが怖かったんだろうと、おばさんは考えているの。だから死を知ろうとして、死に近づくような行為を繰り返す。

 けれども死んではならない。生きて世に死を知らせるために、命を落としては意味がないのだから。

 

 高いところから落ちれば、人は死ぬ。すでに彼らの作る塔は、命を奪うのに十分な高さを持っていた。何も手を入れずに飛び降りれば、地面にぶつかると共に、肉体は原型も残さず砕けてしまう。

 かといって、完全に宙づりになってしまったり、勢いをすっかり殺してしまったりするような、縄の強度でもいけない。無事では済まず、かといって死んでそのまま、真実を置き去りにしてしまうことなく。

 失敗を繰り返すたび、彼らは高さそのものが足りないのでは、と感じ始めたの。彼らは落下する距離が長いほど、その落ちる速度も増していくことも観測済みだったとか。

 この世の膜を破るには、速さも必要。走ることなど思いも及ばぬ勢いで落下することにより、初めて死への道が開ける。そう小さい頃から教え込まれ続けていた彼らは、嫌悪どころか、命のある限りにそれへ挑み続けたそうよ。子孫を残せる程度の頻度でね。


 この試み、結果からいうといくつかの臨死体験を持ち帰ることができたの。けれどそれは数十年に一度、上手くいくかどうかといったところで、内容も人によって一致しない。どこまでウソで本当なのか分からないけれど、人々はその話を逐一、記録していたそうね。

 その中でも、最も死に近づいたといわれる少年のケース。それをまずは見ていた人のことから話すわ。

 それは手足の指さえかじかんでしまいそうな、寒い冬の日のこと。いまだ建造を続ける予定の塔の最上部には、簡易的な屋根が用意してあるのみ。風をしのぐ術はないに等しかった。

 その縁に、命綱を腰に結わえ付けた少年が立っている。これまでこの高さから落ちた者たちの結果を参考に、自分自身で強度を調整したものだった。

 

 前回の失敗者はどうにか生還したものの、全身がマヒしてしまったの。舌もろれつが回らず、意味不明の声を垂れ流すばかり。誰一人、彼の紡ぐ言葉を理解することはできなかった。懸命に伝えようとして伝わらず、うつろに瞳を動かすばかりの彼の目の端には、今なお涙がにじんでいる。

 彼はちょうど、少年と大差ない背格好。その時に用いた綱より、わずかばかり強度があるであろうものを選んだの。もちろん、推量と自らの勘でね。

 用意が整った時、塔の近辺の岩陰には見届け人たちが潜んでいる。このあたりは風が強く、落ちる人体が左右へ触れることがあった。そうしてほとんどが縄を切ることに成功するから、落下地点とかち合ってしまうと惨事になる。ゆえに彼らは距離をとって、様子をうかがっているんだ。

 彼は用意が整うと、躊躇なく飛び降りた。ぐんぐん大きくなる彼の身体は、背後から一本の綱が伸びている。それがぴんと伸びきるかといった瞬間、ぷっつりとちぎれたの。

 いささかの減速もしなかったように思えた。けれど、そのまま地面にぶつかった彼の身体は、どの部分も欠損することがない。ただちに岩陰から飛び出した者たちに搬送され、彼は医療準備の整った家の中へ。

 確かにひとたまりもない高さから落ちたのに、彼の身体に骨折箇所はおろか、出血しているところさえなかった。現場にいなければ、これが落ちた人間の身体などと信じられないだろう。

 昼寝しているのではと錯覚してしまうほどに、落ち着いた彼の呼吸。こんこんと一刻(約2時間)ばかり経った後に目を覚ました彼は、四肢にもしゃべりにも異常が見受けられない。その彼は淡々と、自分の体験について話し始める。

 

 塔の縁から飛んだ時、彼はひたすら前方を見つめていたらしいの。下を見れば、近づく地面に意識を取られ、自分の周りに起きている異変を見逃がすかもしれない。それなら顔を上げ続けていた方がいいという判断だった。

 周囲の山々のてっぺんがどんどん上へあがっていき、いよいよ自分の目線の高さと重なりあうかというところで、彼は不意に霧に巻かれた。目の前がしばらく真っ白になり、ほどなく視界が開けた時には、何かがおかしかった。

 すでに落ちながら通り過ぎ、頭より高い位置にあるはずの山の頂上が、また自分より下の位置にある。知らぬ間に、自分は上へまた浮き上がってしまったのかと思ったけど、違う。

 山が灰色になっていた。先ほどまで見ていた山は冬が訪れたとはいえ、まだ落ち切らない紅葉たちが、最後の彩を見せていたはず。それがこの短い時間で落ち切ってしまうなど……。


 そう思っていると、落ちている自分の上から、更に加速して落ち行く者があった。下に広がるのは雲海。そこへまっしぐらに落ち行くのは、自分よりも歳若いであろう女の子だったんだ。

 考えづらかった。この周囲であの塔より高い建物はないし、彼女は命綱さえつけていない様子。こうしている今も自分との差をどんどん開き、下方目掛けて小さくなっていく。

 そしてそれは彼女一人じゃなかった。断続的に、両脇を抜けていく人、人、人。老若男女を問わない彼らは、真下を見やって落ちてゆく。

 やがて雲が晴れる。そこに開けて見えるのは、家々が立ち並ぶ小さな村だったわ。少年が知る、自分たちの村とは異なるものだった。

 屋根も地面も真っ白に覆われている中、周囲に同化するように白い着物を着た子供たちの姿がちらほらと見える。何人かは空を指さし、大きく手を振っていたの。

 思わずなごみかけて、彼はぐっと息を呑む。自分はまだ地面から遠い位置にいる。それでありながら、この子供たちの顔かたちが良く分かってしまうの。塔の上から見下ろす時点では、人など豆粒ほどの大きさにしか感じられなかったのに。


 少年の想像は当たった。子供などとはとんでもない。あの子たちは「巨人」だったのよ。

 先行した女の子は、まだ地面に着かないうちから、もはやごまほどにしか見えなくなっている。それはちょうどあの「巨大な子供」の真上。

 子供はそれを捉えた。両手をパンと打ち鳴らし、その手の間に彼女を挟み込んだと見える。ごまが消えてなくなった。自分を追い越していった者たちも、二の舞、三の舞を踊っていく。


 ――このまま落ちたら、自分も同じ目に……!


 彼は鳥肌が立つのを感じたけれど、どこかおかしい。自分を追い越していく人はあれど、自分自身は先へ進んでいる様子がないの。

 そこで彼の腰がぐっと強く引っ張られる。一気に上方へ引き上げられる身体、追い越していく無数の人。やがて元来た白い霧の中へ引き戻された時、ここで目を覚ましたらしいのよ。


「思うに、あれは巨大な子供たちにとっての『雪』がごときものだったのだろう。きゃつらはいずれも、満面の笑みを浮かべておった。

 我らは死して悲しみをもたらせたのち、天から注ぐものとなって、今度は喜びをもたらすように仰せつかるのだろう」


 彼はそう語ったそうな。


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] この高いところから飛び降りたりするのはタイムリープものでも見かけたりしますが、やはり発生させるには強いエネルギーみたいなものが必要なんでしょうね。 雪の例えにしみじみ。雪にも粉雪やぼたん雪と…
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