8 <交差>
「す、すみません!!」
はっと我に返り、僕はすぐさま頭を下げて彼に謝罪した。・・・何を言っているんだ僕は、どうかしている。そう思い、顔を上げて目の前に立つ男性の姿を改めて見た。
彼はとても長身で、170㎝ちょっとの僕より20㎝は高く思えたから、190㎝は優に超えていそうだった。ジーンズに包まれた長い脚に引き締まったウエスト、体全体から受ける印象はどちらかというと細身なのに、白いTシャツの袖から延びる二の腕の筋肉などは付き方が半端ではなく、よほど鍛えているのだろうと一見してわかる。
浅黒い肌に、サングラスをしていて目元はわからないが、鼻筋が通った精悍な顔立ち。少し長めの髪は黒いけれど、全体的に日本人離れしていると思った。
・・・見れば見るほど、弟とはかけ離れている。いや弟本人も、僕が知っている幼い頃の容姿と今ではだいぶ違っているだろうが、それにしたって僕の兄弟だ。良く成長したにしても、こんな海外俳優みたいな姿になるわけがなかった。
僕は時間が経つにつれて自分の思い違いの恥ずかしさが増していき、いたたまれなくてその場から逃げ出してしまいたくなった。
「あ、あの・・・」
しばらく経っても目の前の彼からは何の反応も帰って来なくて、ただその場に佇んでじっと僕を見下ろしているから、僕は無言で責められているような気分になって、どうしたら良いのかわからなくなった。・・・もしかしたら、突然見ず知らずの人間から知らない名前で呼ばれた事をかなり怒っているのかもしれない。そう考えると、こんな人気もなく、逃げるのに不向きな奥まった場所で、体格差のあり過ぎる相手と二人きりというのはとても危険な状況なのではないかと思った。
けれど僕は何故か、彼に恐怖を全く感じなかった。彼が理不尽に乱暴を働いたりするようなタイプには見えなかった、というかむしろ一緒の場に居て、妙な安心感のようなものさえ感じていた。
・・・どうして?今さっき出会って、まだ言葉さえ交わしていない相手の何がわかるというのか。
この、彼に感じる既視感のような奇妙な感覚は、一体何なのだろう。
考えてみても、その正体が自分でもよくわからなかった。
そのまましばらく沈黙が続いて、二人の間を薙いだ風が通り過ぎた。もう一度声を掛けてみようと口を開いたその時、
「ライ!そこに居るのかい」
と、第三者の声が建物の入口側から届いた。
「・・・っ」
誰かを呼ぶ澄んだ声に、目の前の彼が僅かに身動ぎするのを見逃さなかった。
「え・・・」
『らい』と、今、確かにそう聞こえた。予期せず自分以外の誰かがその名を呼んだことに僕は驚き、緊張で体が強張る。
・・・まさか彼は、本当に『らい』という名前なのだろうか?僕は彼の反応を見極めたくて更にじっと見つめた。
「ライ、そろそろ行くよ」
再び呼びかける声に、彼は、ち、と小さく舌打ちした。
「・・・ああ、今行く」
声を上げてそれに応え、『らい』と呼ばれた彼はざかざかとこちらに向かって歩いて来て、そして緊張に固まる僕の脇をあっけなく通り過ぎてゆく。
「ま・・・待って・・・っ!!」
それは完全に反射的な行動だった。目も合わせず、言葉も交わさず去って行こうとする彼を、逃したくないと思った。これで終わりにしてはいけない、何かしなくては、と。そんな思いが咄嗟に体を動かして、僕は次の瞬間振り返り、彼の背中に手を伸ばしてその逞しい片腕にしがみ付いていた。
「――――っ!!!」
勢い良くしがみ付かれた衝撃で、彼の顔からサングラスが滑り落ちた。さらりと黒髪が流れて、端正な容姿が顕わになる。
そして僕は、その見たこともない色の瞳と正面から見つめ合った。