7<回帰>
僕は眼前に建つ、もはや廃墟と呼ぶに相応しい一軒家をしばらくの間眺めていた。
ここはかつて、僕と僕の家族が住んでいた家だ。幼い僕を連れた両親がこの家を買い、引っ越して来て、そして弟が生まれ、家族が増えた家。
父親は良く笑う人で、少し楽観的なところがあるのを母親に時々窘められていた。
母親はちょっとだけ神経質で、使った物はキッチリ元の場所に戻しなさいとよく怒られた。でも、ちゃんと言い付けを守れば、いつも笑顔で褒めてくれた。
弟は甘えたで我が儘で。けど、本当は寂しがり屋で、夜中に一人でトイレに行けないくらい怖がりで。いつも僕の後ろをついて歩くので、時々振り返ってやると、構って欲しそうに照れた笑いを浮かべて僕を見ていた。
平凡だけれど温かくて、時々は不平不満を漏らすくらいに平和だった毎日。大好きな家族に囲まれて過ごした、幸せな記憶のいっぱい詰まった家。
・・・そして、僕以外の全員が一晩にして消えてしまった家。
「・・・っ」
僕は息苦しさを感じて胸元をぎゅっと掴む。
僕にとってここは家族と過ごした大切な場所で、同時に家族を亡くした忌まわしき場所だから。大学に進学すると同時に自分で選んでこの街に再び戻って来たけれど、ここに訪れるのは戻って来てすぐの時と今の、未だ二回目。・・・まだ、この土地に足を踏み入れ、家を目の前にするのには、相当の勇気を必要とした。
それでもここは弟が最後に居た場所で、そして、帰るべき唯一の場所だ。・・・僕は結局、未だに遺体も遺品も、その後の足取りの手掛かりさえない弟が死んでしまったなんて、信じることが出来ずにいた。
もしも何処かで弟が生きているのなら、いつかこの家に戻って来るかも知れない。そんな僅かな望みを未だ捨てられていなくて、叔母達の、『世間体があるので高校までは目の届くところに置くが、卒業後は何処へなりと好きに行け』という言葉に従い、僕はこの街で暮らし、大学に通いゆくゆくは就職もして、弟の帰りをずっと待つと決めた。
・・・今の僕には、それくらいしか生きる目的がないから。絶望と孤独に圧し潰されそうで、自分で命を絶つことも何度か考えはしたけれど、それは命懸けで守ってくれた両親を裏切ることになる気がして結局出来なかった。だから、『弟が生きている』と、それを信じることだけが、今の僕の生きる意味。唯一残された、僕の希望。
弟が死んだという、決定的な何かを突き付けられない限り、僕はまだ生きていける。・・・そう、自分に言い聞かせて独りきりの日々を歩んできたのだ。
僕はいつの間にか俯いてしまっていた顔を上げ、改めて家を見る。・・・もう、見る影もない。幸せな記憶の中の我が家とは、あまりにもかけ離れた光景に胸が押し潰されそうになる。あの日の惨劇の爪痕も、10年という歳月誰も住まず、手入れもされずに放置された荒廃具合に溶けてもはや曖昧になりつつあった。
親類達はこの忌まわしい家をすぐにでも手放そうと僕の知らぬ間に売りに出してしまっていたが、事件があまりにも有名だったため、そんな曰く付きの家を買おうとする相手が現れなかったのが僕にとって幸いだった。事件に巻き込まれた周辺の住宅も同様に全く買い手が付かず、そんな状況の中、運良く生き残った住人達も売れない家を放置して我先にと引っ越して行き、かつては美しく整備された振興住宅地だったここは、自ずとゴーストタウンと化していった。
一時は国が家も土地もまとめて買い取り、一体を潰して何かの大型施設を作ろうという話もあったようだが、いきさつは知らないけれどどうやらそれも頓挫したようで、ここらはまるで世間から取り残されたように、近寄る者も殆どなくひっそりと朽ち続けている。
あの時と同じような事件が再び起こって、だからといって今ここに来たことに意味があるとは別に思わない。ただ、どうしてか足が向かってしまった。僕は意を決して、壊れて用をなさない、胸の高さほどの格子戸だった物の残骸が引っかかった門を通って敷地内へと足を踏み入れた。
そのまま目の前に見えている玄関には向かわず、雑草の鬱蒼と茂った、かつては母が小まめに手入れしていた庭だった場所を通って家の裏手へと回る。あちこちが壊れていつ崩れるかわからない状態の為か、建物には立ち入り禁止のテープがあちこち貼られて内部に入ることは出来ないようだったが、裏へ行けば弟を助けるつもりで閉じ込めた、・・・弟の姿を最後に見た僕の部屋が、そこから見上げられるはずだった。
背丈程も茂った、何かの植物を掻き分けようやくその場所に辿り着いた時、僕は予想外にそこに居た先客の気配にまず驚いた。まさか、そんなところにわざわざ足を踏み入れる人間が僕以外にいるなんて、思いもしなかったから。
・・・だから僕はつい、瞬時に推測と、自分の中にある願望とを都合良く結びつけてしまったのかも知れない。そこに立つ人物を見て息を飲み、それから、
「・・・・・・礼威?」
ずっと会いたいと願い続けていた弟の名前が、気付くと口を突いて出ていた。