第7話『ひとのぬくもり』
更新の間が空いて申し訳ありません。
ロウソクを持った男が、真人に近づいてくる。
光源の弱さから、はっきりと容貌を知ることは難しいが、明るい髪の色、ややくすんだ宝石のような瞳が印象的だった。
声の様子から言って、30代くらいだろうか。
「エドラの言ってた通りだな。まるで夜みてえな黒い髪だ。顔は……へえ、目の中まで真っ黒だ。ちゃんと見えてんのかね」
真人は最初、男が話しかけてきているのかと思ったが、どうやら違うらしい。物でも調べるかのように、ずけずけと思ったことを口に出していく。
「にしても、子どもじゃねえか。なんでエドラが押し倒されたんだか。なんだこりゃ、筋肉がほとんどないぞ? まさか、どっかのお偉いさんの息子じゃねえだろうな」
次第にラフになっていく口調を聞きながら、真人は社会人の従兄弟を思い出していた。
飲食店で働いているという彼は、歳相応の包容力と、年齢の割に間の抜けた気さくさを兼ね備えていた。
目の前の男も、乱暴な物言いが、むしろ親しみやすさを感じさせる。
「お、なんだ包帯か。怪我してんのか、どれ」
言って、真人の無造作に腕を持ち上げる。
「いたっ」
走る痛みに、思わず声をあげる。
「うわっ」
猛獣にでも出くわしたかのように、男が後ずさる。
男の驚きに従うように、手に持っていたロウソクが激しく揺れ、部屋の中を乱暴に照らした。
「お、お、お前……話せるのかよ!」
今度は真人が驚く番だった。
本当だ、相手の言っていることが分かる。
あまりに自然に聞こえていたので、気が付かなかった。
「は、はじめまして」
「お、おう。はじめまして」
奇妙な沈黙が二人に落ちた。
◆
「俺はな、シャンメルってんだ。お前は?」
真人は正直に答えるべきか少し迷ったが、リーファに本名を告げている以上、結局正直に言うことにした。
「都賀真人です……」
「チュガマコト? 変な名前だな」
「いや、都賀……」
「テュガ?」
「……マコトです」
「マコト、だな。ようし、覚えたぞ、よろしくな!」
シャンメルはマコトの怪我していないほうの手を握り、激しく上下に振り回した。
「いてて」
「おーう、悪い。怪我してたよな。いやほら、面白いヤツが出たっていうんで、気になってさ」
「面白いって?」
「だってよ、あのエドラを押し倒そうとしたんだろ? そんで、股間を蹴られて悶絶って……うはは、エドラにもついに婿ができるかもな! ……待てよ、まさかお前、もう潰れて役立たずになっちまったってことは……」
「いや、潰れてないって!」
憤慨するマコトにシャンメルは再び、うははと笑う。
異世界に来て心細かったマコトにとって、シャンメルの気さくさはひどく温かく感じられた。
少しばかり荒っぽい気がしないでもないけれど。
「質問してもいいかな?」
相手につられて、自然、マコトも口調が軽くなる。
「おう、答えられる範囲では。ところで、なんで腕を上げてるんだ?」
マコトは授業中、教師に質問するように右手を直立させていたが、どうやらこのジェスチャーはシャンメルには通じないようだった。
何事もなかったように、マコトは静かに腕を下ろす。
「エドラって言うのは、弓矢の少女のこと?」
シャンメルの口ぶりから言って、間違いないだろう。
「おう、村一番の弓の使い手と言えば、エドラのことだ」
どうりで鋭い攻撃だった。
相手を的確に射殺そうとする殺気を思い出し、身震いする。
「よく生きてたな。昔、村に逃げ込んできた傭兵崩れが、村の娘に乱暴しようとしたことがあってな。叫び声を聞きつけたエドラが放った矢は……」
シャンメルはにやりと笑うと、指で自分の額を指す。
「まるで最初からそこにあったみたいにな、ずっぽり刺さって、抜くのが大変だったぜ」
「そ、その相手は?」
「もちろん一発で冥界送り。自分が死んだことすら気が付かなかったんじゃねえかな」
冥界?
あの世、じゃないのか。
「あの、冥界ってのは?」
「はて、悪いヤツは死んで冥界に行くのは常識だろ」
「善人は?」
「天界に行くんだろ? 変なこと訊くヤツだな。伊達に髪が黒くないってか」
マコトはそっと自分の髪の毛に触れる。
そういえば、少女……エドラは赤い髪だった。シャンメルは灰色めいた金髪だ。黒い髪は珍しいらしい。
そのことを問うと、シャンメルはうははと大笑いした。
「珍しいどころじゃないって! 見たことねえよ、そんな色! ていうか、書物の中でしか聞いたことねえ!」
書物、か。
マコトが更に質問を重ねようとすると、
「今度はこっちの番だ。質問するけど、構わねえよな?」
こちらが質問してばかりだった。ここは相手の要望に応えるのが筋だろう。
マコトの無言を肯定と受け取ったのか、シャンメルが話し始める。
「まずは言葉についてだな。エドラからは、通じねえって聞いてたけどよ、普通に会話できてるよな。エドラが間違ってたのか、お前が演技でもしてたのか、どっちだ?」
どっちも何も、急に会話が通じるようになってこっちも困惑してるんだが。
≪だから言ったじゃん、会話できるようにしてやるって≫
「うわ」
「うわ?」
突然のリーファの声にマコトがのけぞると、シャンメルは訝しげな顔をする。
「う……うわ言だったんだ」
「うわ言?」
「実は俺、記憶喪失で」
他の世界から来たと言っても信じないだろう。
なにせ、マコト自身まだ信じられないのだ。
とはいえ、この世界について知識がゼロなマコトにとって、辻褄を合わせた嘘を吐くこともできない。ここは強引にでも記憶喪失の線で押すしかなかった。
「ふむ。そんで死後の世界について質問してきたのか……でも、自分の名前は覚えてるんだな」
しまった。いきなり綻びが。
「名前と……部分的な知識は覚えてるんだけど……それ以外は」
「なんとも都合のいい感じだな。俺も記憶を失った人間になんて会ったことねえし、詳しいことは知らねえけど、さ」
急に声のトーンを落とし、シャンメルはマコトにずいと顔を近づける。
「お前は悪人か?」
くすんだ瞳に捉えられて、マコトは身じろぎできない。
自分が悪人かどうか。
考えたこともなかった。
善人か、と問われれば違う、と言える。
過去を省みて、他人を傷つけたことが皆無かと言えば、嘘になる。
小学生の頃、いじめにあっていた少女を無視する周囲の流れに逆らえず、間接的にいじめに加担したことがある。
席を譲って欲しそうにしていた老人を、寝たフリをしてやり過ごしたこともある。
母親が作った夕飯を、難癖つけて残したこともあった。
他愛ない悪かもしれないが、確かにひとつひとつの悪が、マコトの心に棘となって突き刺さっていた。
「なるほどな」
シャンメルの声に意識が戻ってくる。
ひとつの言葉が、こんなに心を揺さぶるなんて、知らなかった。
「どうやら、お前は悪人じゃねえみたいだな」
「……なんで、そう思うの」
うはは、と笑う。
「だってよ、悪人だったら、悩まねえって。私は悪人じゃありませんって言っておしまいよ。それをお前、真剣に考え込んじまって……おい、泣いてんのか?」
「え?」
マコトは知らず、涙を流していた。
なぜ、俺は泣いてるんだろう。
≪えーと、な。そんな思いつめなくてもいいと思うぜ。≫
リーファが優しい声で慰める。
そうか、俺は――。
この世界に来たことを、トラックに轢き殺されたことを、罰だと思ってしまったのか。
因果応報、過去の悪事が、未来の自分に返ってくる。
当時はそれぞれの罪を軽く捉えていたけれど、その結果が異世界送りだとすれば、今となってはどれも重大な悪だった気がしてくる。
≪よくわかんねーけど、自分を責めるなって。≫
違う、責めてるんじゃない。
気がついてしまったんだ。
自分が、あの世界を愛していたことに。
愛していた世界に、二度と戻れないかも知れないことに。
「あーもー泣くなって」
シャンメルがマコトの頭をわしゃわしゃとかき乱す。
「そんな子どもみてえな顔で泣かれると、こっちが悪人になった気がしてくるぜ。ほら、エドラを襲った度胸はどこにいった?」
自分でも面白くない冗談だと思ったのか、言った後シャンメルは盛大に顔をしかめた。
「悪かったよ。とりあえず、お前の言うことを信じてだな……だあ、笑えって!」
ロウソクを置いたシャンメルが、マコトの頬を無理やり引っ張る。
「い、いたひ」
「おっとぉ、悪い!」
あまりに乱暴な振る舞いに苦笑していたマコトは、本気でうろたえるシャンメルの顔を見ているうちに、本当に笑い始めた。
「お、おい、大丈夫か」
更に困惑する顔が面白くて、マコトは笑い続ける。
この男は良いヤツだ。
それに、リーファだって。
≪けけ、お前のピンチに逃げ出したけどな。≫
確かに。鮮やかな逃げっぷりだった。
それでも、この見知らぬ世界で、心が安らぐ相手がいるというだけで、ほんの少しだけ、マコトの心は癒やされた。
うーん、当初のイメージよりも、マコトのキャラがか弱い感じになってきたような……。