第6話『ようせいのちから』
夢を見ていた。
不思議なことに、真人は自分が夢を見ていると分かっていた。
あまりにも自明だったため、頬をつねって現実かどうか確かめることはしなかった。
母親がいた。
いつものように、真人を玄関から送り出していた。
その顔には穏やかに笑みを浮かべている。
いつの間にか、真人は外に出ていた。
自分の姿を確認すれば、学生服を着ている。
真人の意思とは関係なく、両足が歩き始める。
もうすぐ、交差点が見えてくる。
明滅する信号。
今渡れば間に合う……。
何に間に合うのだろうか。頭がぼんやりとして、思い出せない。
突然、背後から肩を叩かれる。
振り向くと、彼女がいた。
恥ずかしそうに、上目遣いでこちらをちらちらと見る。
ああ、かわいいな。真人はそう思った。
人目を憚らず、手をつなぎ信号が変わるのを待つ。
さっきから心臓がドキドキしている。
彼女の手は本当に温かい。
ふと、手のぬくもりが消える。
いつ渡ったのか、彼女が信号の向こう側にいる。
行かないでくれ。
彼女は鞄を下げ、こちらを見つめているように見えるが、その表情は分からない。
早く渡らないと……けれど、足が動かない。
足下を見ると、膝から下が石のように灰色になって固まっている。
急がないと――焦れば焦るほど、足は硬直していく。
見れば、もう腰の位置まで灰色になっている。
轟音が聞こえてくる。
トラックが。
目を逸らしたいのに、体全体が固まって、顔を動かすことができない。
どうせなら、彼女の方へ顔を向けておけばよかった。
轟音はどんどん真人へ近づいてきて、そして――。
◆
「うわあああっ」
真人は跳ね起きた。
悪夢のせいで、寝汗をびっしょりとかいている。
ここは?
暗い。夜だろうか。
周囲を確かめようにも、光源は側に置いてあるロウソクだけで、判然としない。
ロウソクはゆらゆらと揺れ、照らす位置を絶えず変えることで、今いる場所を立体的に浮かび上がらせる。
おそらく、小さな小屋だった。
今座っているベッドと、ロウソクの乗っている木棚があり、小屋の中央には四足のテーブルが置かれている。
粗末な窓があり、ここから入り込んだ風が、ロウソクをゆらしていた。
扉は無いものの、簡素な壁で隣の部屋と区切られており、どうやら小屋の出口はそちらにあるようだった。
「痛っ」
真人は立ち上がろうとして、腕の痛みに顔をしかめる。
包帯の代わりだろうか、太めの布がぐるぐると巻きつけられている。
嗅いでみると、何やら独特な、薬品のような匂いがした。
あの子が、手当してくれたのだろうか。
少年のような少女のことを思い出す。
弓を構え、ためらいなく放ち、真人を殺そうとした。
けれど、仕方のないことかも知れない。
現実世界に比べ、治安が良くないのだろう。
そうでなければ、少女が自衛のために殺傷行為に手を染めるものか。
そういえば。
真人はそっと股間に手を伸ばす。
大丈夫、潰れてない。
ほっと胸を撫で下ろした時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「なーにやってんだ!」
暗闇の中、発光し、周囲をほのかに照らしながらこちらに向かってくる。
さっさと逃げ出したリーファだった。
「どうせ見てたくせに」
真人が恨みがましく睨みつける。
「まあな。裸じゃなくてよかっただろ?」
この程度の薄布じゃ、股間は守れないだろ、と文句を言うとリーファはケタケタと笑う。
「無事で何よりだ。で、どうするんだ?」
「どうするも何も……」
真人は痛みの走る腕をさする。
薬品のような匂いが、心なしか強まった気がする。
「お礼を言いたい、かな」
「痛めつけられるのが好きなのか?」
「茶化すなよ。手当てしてもらったみたいだから」
ふーん、とリーファが包帯を調べる。
「確かに、薬草の匂いだな。ちゃんとすり潰して、水に溶かしてある」
思ったより手間のかかる代物らしい。
ますます、お礼を言いたくなった。
「でもよ、お前、言葉通じないだろ?」
少女は叫び、こちらに敵意を向けていた。
そのいずれの言葉も、真人が現実で聞いたことのない言葉だった。もっとも、世界中の言葉を聞いたことはないが。
「そうだ、リーファに教えてもらうってのは?」
「ばーか、どこから教えるんだよ。どんだけ言葉があると思ってんだ」
「せめてお礼の言葉だけでも」
真人が食い下がる様子に、リーファが呆れたようにため息をつく。
「アタシが面倒だっての」
リーファは悪態をつくが、その顔は笑っている。
「矢を射たれて、股間を蹴られて……まったく、お人好しなヤツだぜ。待ってな、話せるようにしてやるよ」
「え、話せるって……うわ!」
リーファが一際激しく輝いたかと思うと、真人の胸にめがけて突っ込んできた。
ぶつかる、と身構えたが衝撃がこない。
衝撃に備えて閉じていた目を開くと、リーファの姿が見えなくなっていた。
「リーファ……?」
真人が誰もいない暗闇に囁くように問いかけると、
<<ここだぜ!>>
真人の頭の中に、突如リーファの声が響き渡った。
「な、なんだこれ……!」
<<お前の頭の中に、直接話しかけてんだ。>>
妙にクリアに響く声に、ちょっとうるさいかも、と真人が思った瞬間、
<<あーん? うるさいってなんだよ。>>
怒ったのリーファの声が頭の中でわんわんと響き渡る。
「ちょっと抑えてくれ……待て、声に出してないぞ?」
<<お前が考えたことも聞こえるぜ。便利だろ?>>
便利だが、下手なことは考えないようにしようと考えると、リーファが返事をする。
<<そうしときな。>>
少々やりづらいが、リーファの姿は真人以外には見えないらしいので、空中に向かって独り言を呟いていると不審がられるよりは、こちらのほうが良さそうだ。
とはいえ、リーファが言っていた「話せるようにしてやる」とは関係ないように思えるが……。
その時、小屋の外から物音が聞こえた。
どうやら、誰か入ってこようとしているらしい。
石を踏みしめる足音が聞こえ、小屋の中に見知らぬ男が入ってきた。
「目が覚めたみたいだな」
更新の間が空いてすみません。
この世界の衛生面について考えていたら、ドツボにはまりました。
排泄、洗濯、掃除、排水……リアルな様子を考えると、一般的な村人は薄汚れていることになってしまい、これでは魅力がでない。
『アルスラーン戦記』にしろ、『ウィッチャー3』にしろ、衣服や衛生面については「あえて」無視しているようなので、この作品もそれにならうことにしました。
話の途中で「ちょっとトイレ」とか「彼女の歯は黄色く薄汚れていて、いくつかは抜け落ち、また奇妙な口臭が……」なんて表現、書きたくないし、誰も喜ばない。
リアリティラインの高い『ヴィンランド・サガ』したって、細かな切り傷は次の話では回復しているし、切り裂かれた衣服も元通りになっている(はず)
知らずに書かないことと、知ったうえで見ないふりをすることは違う(by『SHIROBAKO』)ということで、開き直ることにしました。
でも、衛生面を無視する以上「汚れた街のせいで伝染病が流行」というシチュエーションは発生させないようにします。
世界は割とキレイ。
というわけでした。
(あまりにも長い言い訳)