第3話『ながいたびのはじまり』
「オルダ・ノテラ……?」
困惑した様子で真人は呟いた。
妖精のドヤ顔を見るに、嘘はついていないのだろう。
ただ、情報が足りなすぎて、単語に意味を見いだせない。
「まったく、自分の住む世界の名前を訊くなんて…… お前、まさか記憶を失ってるのか!?」
なぜか嬉しそうに妖精は羽をぱたぱたと動かした。
「そうだな、服も用意した、情報も渡した……今度は、そっちがアタシの願いを叶える番だよな」
「ちょ、ちょっと待てって」
勝手に話を進めようとする妖精を制止する。
妖精が言う通り、いつの間にか恩義を感じざるを得ない状況になっているが、肝心の情報は手に入っていない。
すなわち、どうしたら現実世界に戻れるか、だ。
ここがどこか分かれば、それをとっかかりとして、方針を立てようと考えていたのに、むしろ事態は混迷を深めていた。
単刀直入に訊いてみよう。
「どうしたら、元の世界に戻れるかな?」
「あ? 何言ってんの、お前」
脈無し。お手上げだ。
「どうやら、本当に記憶を失ってるみたいだな」
「なんだよ、ニヤニヤしちゃって」
「実はな、アタシもそうなんだ」
「へ?」
「どうやってここに来たのか、記憶がない!」
さわさわと、葉っぱがこすれる音がする。
ああ、風が気持ちいいなあ。
「い、いや、遠い目をするな! 失ったのは一部、生まれ故郷の記憶だけだって!」
「生まれ故郷?」
「多分な」
妖精はふてくされた顔で、経緯を説明する。
気がつけばこの森にいて、自分の名前や世界についての知識は覚えているものの、どうしても自分の棲み家、故郷だけが思い出せない。不安を抱えながら飛んでいたところを、全裸の男に追いかけられたということだった。
「全裸の男とは……恐ろしい目にあったね」
「お前のことだよ」
「冗談はさておき、この森が故郷ってことは?」
「ねえな。他の妖精の気配がない。それに、アタシの故郷はこんな薄暗い森じゃなかったぜ」
「記憶がないのに?」
「無くても分かるだろ? アタシの姿にふさわしい故郷ってのはな……」
妖精の無駄話を放置しつつも、真人は少しだけ妖精に同情する。
程度は違うものの、帰りたい場所に帰れない苦しさは同じ。
だから、真人は言う。
「名前は?」
「……アタシのか?」
「うん」
「しかたねえな……アタシの名前は、リーファだ」
「リーファ、ね。よろしく。俺は都賀真人だ」
「おう、よろしくなマコト」
妖精の小さな手とでは握手できないので、指先でちょこんと突っ付き合う。
◆
真人とリーファは近くの村を目指して森の中を歩いていた。
自己紹介が終わった後、真人は自分の事情を話して聞かせた。
「こことは別の世界があるってか……悪いけど、戻り方はわかんねえ」
がっかりする真人にリーファは慌てた様子でフォローする。
「で、でも妖精の長なら分かるかも」
「おさ?」
「えーと、あれ、長ってなんだっけ?」
「おいおい……」
どうやら、故郷に関することはぼんやりとしか覚えていないらしい。
ただ、リーファが住んでいた場所には長と呼ばれる長命の妖精がおり、この世界について詳しいということだった。
「だからさ、アタシの故郷を発見すれば、お前も帰る方法が見つかる。どっちにとってもお得な話だろ?」
確証はないが、闇雲に手がかりを探し回るよりは遥かに効率的に思えた。
「そのためには、アタシの故郷について情報を集めないとな!」
「なんだか、闇雲に探すのと変わらない気がしてきた……」
そういうわけで、真人はリーファの案内を受けて、近隣の村を目指しているのだった。
「リーファはその村に行ったことあるのか?」
「あるぜ。何回かな。辛気くせー村だが、りんごは中々旨い。たまに失敬してる」
「失敬って……盗んでるってこと?」
「ばぁか、ちょっと齧る程度だよ。どうせ、アイツらにはアタシが見えないしな」
「え?」
「言ってなかったか? 妖精は人間には見えないんだぜ」
「……俺は見えてるけど」
「だから、お前は普通の人間じゃないんだろ」
見えていないなら、りんごの事で咎められることもないだろう。
「いや、まてまて、情報が多いぞ」
りんごがある。
妖精は人間には見えない。
俺は妖精が見える。
「この世界でも、りんごはりんごなのか……? なぁ、リーファが特別ってことはないのか」
「んー? 他の人間には見えないのに、お前にだけ見えてるってことは、やっぱりお前が特別なんじゃねーの」
「そうだよな……」
それはやはり、真人がこの世界の住人ではないことが原因だろうか。
世界が真人を異分子として捉えている証拠のようで、真人は少し安心した。異分子であれば、いずれ除外される、元の世界に戻れるかもしれない。
「それにしても、姿が見られてるのに驚かないんだな」
「……ホントだ! びっくりしたー!」
全然驚いていない様子でリーファが軽快に飛び回る。
「全裸のお前を見て、姿が見える驚きなんて吹き飛んじまったよ」
「その話、そろそろ止めにしない?」
軽口を叩き合っていると、森の終わりが見えてきた。
「おお……」
起伏に富んだ丘が続いていた。
風が、地面に生えた草を優しくなでつける。
空は黒くひび割れていたものの、その多くは青空で占められている。
気持ちのいい風景だった。
ひとしきり空気を吸った後、真人はリーファに尋ねる。
「それで、村はどこに?」
「あそこだ」
リーファが指差した方を見ると、川を越えた先に、小さな森に囲まれた村があった。
うっすらと畑のようなものと、牛か馬が見える。
「結構遠いな」
「飛べばすぐだろ」
「飛べないし……」
こうして、二人は村を目指して歩き始めたのだった。
アドリブだと、情報をひとつ追加するのにも勇気がいります。
あとで、ちゃんと回収しないといけないので。
複雑な設定、プロットを書ける方はすごいですね。