過去の記憶
セイファートが目覚めた時に、目の前にバルジの顔があった。身体が強ばったように巧く動かせなかった。
「どうだ?」
「身体が強ばっているようだ」
「慣れてくれば次第に滑らかな動きになる」
セイファートは目を閉じた。自分は本当にサイバーノイドになったのだろうか? 視覚的には何も変わりはなかった。
それから、リハビリが始まった。バルジが付きっ切りで、セイファートの状態を観察してくれる
。身体が思うように動かせないもどかしさもあって、バルジに当たり散らした事もあったが、
「直になれるさ」
と、バルジは笑って許してくれた。それはいつもの親友の姿だった。
彼との付き合いは、月のテラフォーミング化計画に参加した時からだった。工学と物理学が専門だった彼とは、年が近いせいもあってすぐに仲良くなった。リーファルを紹介してくれたのも、バルジだった。二人の結婚を喜んでくれたのも彼だ。だから、セイファートは彼の気持ちに気づけなかった。知らないということは一つの罪になる。それはかつて彼が親友の気持ちに気づいた事実。
セイファートが自由に自分の身体を動かせるようになるまで、バルジは付き合ってくれた。彼が月に残る決意を固めたのと反対に、親友はコールドスリープする方を選んだ。
「人々が目覚めた時に私の知識を役立てたいんだ。地球がどんな状態になっているか分からないからね」
「なるべく、元に戻せるように努力してみるさ。取り敢えず、五千年眠っていてくれ。それまでには巧くいくようにして見せる」
「あまり、無理するなよ」
「バルジ、リーファルとアスールを頼む。もう、君たちには会えないだろう。アスールにはどんな状況でも、逞しく暮らしていけるような男の子に育ってほしいんだ」
彼に頼むのはお門違いというものだったが、もし目覚めた時にセイファートがいない時、彼なら絶対にリーファルを幸福にしてくれるというのもまた事実だった。
「セイファート、お前は損な役回りばかり選ぶ奴だな」
「バルジの方こそ、何かあった時には皆に責められるじゃないか。私にはその方が辛い」
バルジは軽く首を横に振り、コールドスリープのカプセルに横になった。どちらも損な役回りだった。
「どっちにしても、私たちは辛い役割を押しつけられた訳だ。こんな事になるなら、テラフォーミングの話がきた時に断るべきだったかな?」
バルジの自嘲めいた言葉に、セイファートは思わずうなずいた。
「まあ、こうなったからには互いに頑張るしかないか。セイファート、頑張れよ」
「バルジ、後を頼む」
セイファートは頭を下げた。バルジが苦笑した。それが彼が見た親友の最後の顔だった。事後処理に残った科学者たちもバルジと一緒にコールドスリープに入り、セイファートは月で一人になった。
バルジはゆっくりと近付くと、カペラに並行して黒竜を羽ばたかせた。
「騎士団から連絡が入ったのだ。傷は大丈夫か?」
バルジの後ろから、フレアが近付いてきた。
「セイファート様、下に降りて貰えますか?傷を見ます」
仕方なく、セイファートはカペラを森の間に見える街に下ろした。アルクティーラオス皇国とシリリュース皇国の国境にある街、ティーゲルだった。
アスールは子供のようなむくれた顔で三人を見つめている。一言も話さなかった。
カペラたちを街の騎竜屋に預けると、四人は宿を取った。宿屋の一室でセイファートはフレアから、傷の手当を受ける事になった。
「セイファート様、前の怪我が直ったばかりです。あまり無茶をなさらないでください」
フレアはセイファートの包帯を取ると、傷の具合を見た。それから、目を閉じて、彼の頭の傷に手を当てた。セイファートの頭が温かいオーラで満たされていく。
ふてくされたように壁に寄り掛かっていたアスールが、目を見開かせて身を乗り出してきた。フレアのオーラが収まると、セイファートの傷は跡形も無く消えたのを目の当たりにして彼は驚いていた。普通ならそうだよなあと他人事のようにセイファートは思う。
「フレア皇女、ありがとう。何度も迷惑を掛けて済まない」
セイファートは素直にお礼を言い謝った。フレアははにかんだ顔になる。お礼を言われてただ、恥かしかったからだけではない。十五才を過ぎてからは、王宮の奥で巫女姫として治癒アビリティの修業の毎日で、彼のような若い男と接触する機会が少なかったせいも一つの要因だが、それよりも、目の前の金色の髪の青年に、心引かれてるからだ。
セイファートが既にシリリュース皇国のルーファ皇女を選んだ事は、この前の天空を突き抜けるような強いオーラの輝きで分かった。フレアが小さな頃に、彼はアルクティーラオス皇国にいた。二才しか違わない金髪の異国の皇子の存在は、フレアの記憶の中で優しいお兄ちゃまとして残っている。九年ぶりに見た彼は、昔と違って、大分凛々しくなった。
三ヵ月間、付きっ切りでセイファートの看病が出来た事は幸せだった。意識がはっきりしない頃の彼は、自分とルーファ皇女を間違えていた。頻りに彼女に詫びていた。二人の間に何があったのかは分からないが、セイファートの心はルーファ皇女の物だった。元々、彼はアゥスツールス神の生まれ変わりで、フレアには遠い存在だったのだ。秘めた恋心は胸の奥深くにしまい込まれた。
「セイファート、君はいつだって無茶をし過ぎる。まだ、君はアゥスツールス神として、完全な覚醒を果たしてないんだ。神の塔の修復は完了したが・・・」
バルジはアスールを見つめた。彼の視線の鋭さに思わずアスールは顔を背けた。まるで、悪いことをした後に親に怒られるのを見越して、そ知らぬふりをする幼子の姿のようだ。初めて見た時の驚愕が収まってから、アスールはバルジと視線を合わせるのを避けていた。そのせいで二人は一言も言葉を交わしていない。
「確かに彼はアゥスツールス神の息子かもしれない。だが、勝手にこのリィバード大陸に、侵略者を入れては困るんだ。理由は君が一番良く知っているはずだ」
バルジは少し声を荒げた。セイファートは座っていたベッドから腰を浮かした。ふだんはおとなしく大人な表情を崩さない彼の怒った顔は初めて見る。
「バルジ?」
セイファートは途方に暮れたように、取り敢えず立ち上がった。バルジと向い合うような形になった。彼の黒い瞳が険しく光っている。
「彼等は、この地では暮らせない。長居をすれば、彼等自身が身をもって知る事になる」
バルジはアスールにも非難の目を向けた。
「君がアゥスツールス神の子供であっても、地球人はこの地では住めない。早く立ち去った方がいい。君たちがこの地を侵略しに来た事は分かっている」
アスールは腕組みして壁に寄り掛かった。その顔は無表情だった。
「バルジ、言い過ぎではないのか?」
「セイファート、君はオリジナルの性格のままだ。すぐに人を信じやすい。特に彼は遠い過去の君の息子だ。君が彼に悪意を感じないのは仕方ない事だろう」
「バルジ、それはどう言う事だ?」
「君にも少しは過去の記憶が戻っているはずだろう。私は二十才の成年式の際にアゥスツールスのヒューマノイドに出会い、オリジナルの記憶を蘇らせた。オリジナルがコールドスリープに入る前までの記憶だが・・・」
そう言うと、バルジは黒髪をかき上げた。
「オリジナルの君の父親は約千二百年前に亡くなった」
バルジは静かに語り始めた。アスールが腕組みを解いて、壁から身体を浮かせた。セイファートは彼の語る姿を凍り付いたように見つめた。フレアは既にこの事を知っているらしく、身動ぎ一つしなかった。
「彼の肉体はサイバーノイドになっても、脳の老化は止められなかった。彼は死ぬ前に四体のヒューマノイドに命じたのだ。自分の身体を完全なヒューマノイドにするようにと。彼は自分の記憶の全てをコンピューターに記憶させた。いつの日か、自分の全てを受け継ぐ子供が現れる日がくる。その時まで、自分の身代わりのヒューマノイドに、この世界の発展を見守らせたのだ」
バルジは言葉を止め、セイファートを見つめた。その目が悲しそうだった。
「我々は彼が生み出したものだ。彼は我々に隔世遺伝のプログラムを施した。彼がこの世に生み出した初めての子供と同じ強いアビリティを持つ子たちが、再びこの世界に生まれるようにと彼は進化のプログラムを組んだのだ。皇家の者は彼の実験体だった」
「やはり」
セイファートは俯いて、足元を見つめた。かつての自分の傲慢さを殴りたくなる。
「レガゥールス皇国は彼自身、ケンタォローゼ皇国は彼の友人のバルジ、シリリュース皇国は彼の妻リーファル、アルクティーラオス皇国は地球で死んだ彼のもう一人の友人のプロット、彼はこの四人を再生したかったのだ。私とセイファート、君は無事に再生できた。だが、リーファルは双子として生まれ、プロットは姉妹として生まれた。彼の遺伝子のプログラムにはミスがあったのだ」
セイファートはフレアを見つめた。彼女がプロット? 信じられない思いだった。
プロットは医者だった。セイファートとは幼なじみだった彼は、テラフォーミング計画の科学者たちの健康管理の為に、時折、月を訪れていた。学生時代にセイファートは彼の細胞と性格分析表を貰っていた。遺伝子工学を勉強していたセイファートは、面白半分に友達の遺伝子を悪戯していたのだ。それがのちに役に立つなどその時は思いもしなかったことだ。
「おい、あれはもう古くなった。もう、一度新しいのをくれないか?」
診察の後で当然のように彼はねだった。プロットが呆れたように彼を見る。またかという顔だ。
「なんだ、お前、まだそんな事を続けているのか?」
「気分転換にはちょうどいいんだ」
「全く、子供も生まれたくせに相変わらずだな。何だって、リーファルみたいな美人がお前みたいな奴と結婚したのか、未だに七不思議の一つだよ」
ぶつぶつと、文句を言いながらもプロットは、地球に帰る間際に己の細胞と性格分析表をくれた。
「少しは大人になれよ」
「プロットにはその言葉を言われたくないな。お前だって、俺と変わらないじゃねえか」
プロットと話す時には、子供の時みたいに言葉遣いも悪くなる。笑って別れたのが、最後になるとは思ってもみなかった。地球を襲った災厄後、彼を必死に探したが見つけることは叶わなかった。
セイファートはフゥッとため息を洩らした。首をこきこきと軽く動かした。
「アゥスツールス神の真の目的は、地球の再生だった」
同じ言葉をアゥスツールスのヒューマノイドに言われた。セイファートはアスールからの冷たい視線を感じた。
「地球の人々が眠っている間に、地球の再生を図りたかったのだ」
バルジは言いながら、アスールを眺めた。彼にも何か思うことがあるのだろうとセイファートは思う。
「だが、遅かったようだ。私たちには何が地球で起きたのか分からないが、これだけは言える。アゥスツールス神は地球を再生するために、我々を生み出したのだ。君と君の母親の為にだ」
「言いたいのはそれだけか?」
この部屋に入って、初めて、アスールが言葉を発した。彼の静かな怒りに燃えた緑の瞳は、バルジに向けられていた。
「父さんと同じ言い方をする。『セイファートが私たちを見捨てるはずがない。セイファートは必ず、地球を再生してくれるはずだ。』とな。あんたは確かに父さんのコピーだよ。その顔も言い方も仕草さえ、父さんそっくりだ。だが、父さんはまだ生きている。あの地獄の様な地球でな」
アスールは吐き捨てるような言い方をした。
「それに引き換えここはどうだ。天国じゃないか。突然の地殻変動で俺たちは、強引に目覚めさせられた。三十年前だ。人々は母さんを責めた。コールドスリープを勧めた責任者の妻だからだ。父さんが庇ってくれなかったら、俺たちはどうなっていたか分からない」
アスールの緑の瞳が、さらに憎しみに燃え上がっていた。セイファートはその憎しみの激しさにたじろいだ。
「確かにあんたは万全の準備をしておいてくれた。防護服もニュートリションチューブなどもたっぷりとあった。物だけはたっぷりとな。人間は物だけで生きていられるか。俺はあんたのそんな気持ちが嫌だったよ」
「アスール」
「生きていたら、思い切り殴ってやりたかった。例え、サイバーノイドになっていても、殴り飛ばしてやりたかった。それが、なんだ。俺よりも年下で頼りないお前が、俺の父親だと? ふざけるな!」
アスールはつかつかとセイファートに歩み寄ると、彼の胸元を掴んで頬を殴り飛ばした。彼はまた無様に床に転がった。誰かが彼の身体を庇うように抱きしめた。
「止めて下さい! セイファート様はまだ、完全には回復していません」
フレアだった。セイファートは自分をかばう彼女の身体を押し退けた。
「セイファート様」
「いいんだ。好きにやらせればいい」
セイファートの口の中がどこか切れたのか、口の中がさび付いた鉄の味がした。唇からは血が一筋流れた。
「バカバカしい! お前は俺の父親なんかじゃない! ただの感傷的なガキだ!」
アスールはそう言い捨てて、部屋を出て行った。隣の部屋が乱暴に開けられて、バタンと大きな音を立てて閉められた。まるで、反抗期を迎えた子供のような態度をとる彼に、室内に残された彼らはしばらく立ち尽くすしかなかった。
「セイファート様」
「すまない。一人にして貰えませんか」
「わかった」
バルジがフレアを促して、部屋の外に出て行った。部屋を出る前に彼女は一度振り返った。セイファートは床に座ったまま、身動き一つしなかった。その姿が悲しくて彼女は唇をかみしめた。
カペラは大空に大きく羽ばたいた。次の日、セイファートはバルジに言った。
「アスールを神の塔に連れて行きます。約束した事です。彼が何を探したいのか、私には分かりません。私に言える事は、マーフィーたちなら、彼に答えを出してやれるはずだと言う事です」
「セイファート」
「バルジ、私はレガゥールス皇国のセイファートです。私はそれ以外の何者でもありません。オリジナルも何も関係ありません」
「君は運命から逃げるのか?」
「違います。ただ、自分が何者か、それは自分の決める事です。私はずっと、悩んでました。私は何者なのだろうかと。私は自分を見失っていました。でも、私はレガゥールス皇国のセイファートです」
凛とした声でセイファートはそう言った。バルジは頭を振った。
「君の頑固なところは昔と変わらない。君が望むならそれもいいだろう」
バルジは無表情で答えた。その彼はカペラに並行して飛んでいる黒竜に乗っている。二人の後ろから、フレアの紅竜がついてくる。
アスールは朝から不機嫌だった。今はセイファートの後ろでおとなしくしているが、一言も口を聞かなかった。彼も悩んでいるのではないかと密かにセイファートは思う。リーファルとバルジが育てた子なら、そんなに悪い子になるはずがないと信じているが、それを寂しく思う彼もいる。人の心とはこんなにも複雑なものかと改めて、セイファートは今さらながらその事実を苦々しく噛みしめた。