侵略
セイファートは久しぶりにカペラを空に羽ばたかせた。カペラの背に乗るのは、三ヵ月ぶりの事だった。三ヵ月前、セイファートが神の塔でアゥスツールスのヒューマノイドに出会っていた時に、リィバード大陸は突然攻撃を受けた。シリリュース皇国が一瞬の閃光に晒されて、皇都ファーミストは王宮と共に滅んだ。侵入者はシリリュース皇国の西の外れの海岸線沿いに、要塞を造り始めた。
リィバード大陸を覆っていたバリアは、シリリュース皇国から発せられていた。侵入者はその為にシリリュース皇国の皇都ファーミストを重点的に攻撃したのだ。レガゥールス皇国の青竜騎士団が駆けつけた時には、皇都ファーミストは壊滅していたという。ミシェーラ女王を始めとするシリリュース皇国の主だった者は、皇都と運命を共にしたらしい。
また、リィバード大陸の防御装置を制御していた神の塔も無事では済まなかった。バリア破壊と共に制御装置から火が吹き出して、神の塔は甚大な被害を受けた。マーフィーたち四人の守護ヒューマノイドが付きっ切りでその修理にあたっていた。バルジたちケンタォローゼ皇国の者は、リィバード大陸の防御装置の修復作業に忙しない。アルクティーラオス皇国の神官たちは、シリリュース皇国の生き残った者の救助や、この攻撃で怪我をした者に治癒等を施していた。
セイファートが大怪我をしたのは、意識が神の塔のコンピューターに接続されていたためだった。アゥスツールスのヒューマノイドは、神の塔のコンピューターに制御されている。彼と直接話す為に、セイファートにはコントロール装置が取り付けられていた。彼の治癒にはフレア皇女があたり、アルクティーラオス皇国の王宮で、身体の回復を待っていた。
セイファートの眼下にファーミストの残骸が見えてきた。レガゥールス皇国は青竜騎士団を派遣して、この三ヵ月、侵入者と小競り合いを繰り返している。シリリュース皇国の皇都を破壊した後は、侵入者は派手な行動を起こさずに要塞を造り上げる事に専念していた。青竜騎士団は前線基地を設け、侵入者への攻撃と監視を行なってきた。
体力の回復したセイファートに父王シェヘラートは、前線部隊の総指揮を命令したのだ。今、セイファートはカノープスを従えて、前線基地に赴くところである。
侵入者の正体は三ヵ月経った今でもまだはっきりしていない。彼等が身体をスッポリと隠すようなバトルスーツに身を包んでいたからだ。彼等は伝説の天翔ける船でやってきた。彼等がどこから来たのかは分からないが、こことは違う異世界からの侵略者である事には変わりない。
不意にまたセイファートは思考の海に溺れる。
幾つかの試行錯誤の末に、やっと四人の子供だけが順調な成育を見せた。背中に羽根を付けた子供は、育成器の中で重力発生装置の影響を受けずにどんどん大きくなった。子供たちが十五才になると、羽根が取れた。羽根が取れると二次成長を始め、急激に身体が大人になっていく。実験は成功だった。セイファートは四人のヒューマノイドに子供たちの教育を任せた。
四人の子供たちは、特殊なアビリティを備えていた。髪の色が海色の子供は運動能力に優れ、黒髪の子供は知能が高かった。赤毛の子供は自分の内にあるアビリティを引き出して、自分の治癒能力を上げた。それは次第に他人の傷や病気を治癒できるようにもなっていった。この三人は男の子だったが、残りの一人は女の子だった。
銀色の髪の女の子は、彼の妻リーファルがモデルだった。遺伝子操作したリーファルの卵子からクローン作製したのだ。この子が順調に育っていけば、人類は月に住めるようになる。セイファートはリーファルと名付けたこの子に夢中になった。
女の子は自分の内なるアビリティを様々な自然現象に変換できた。まるで、それは魔法の様だった。セイファートはこの子のアビリティを高める工夫を考えた。アビリティは気の一種だった。古代中国の風水学を調べて、自然の気を吸収しやすいようにした。
「マスター、リーファルはマスターに恋している」
リーファルの教育係にしたヒューマノイドのステラから、そう告げられた時にセイファートは自分の愚かさに気が付いた。何の為に自分はサイバーノイドになったのか? それからのセイファートは、子供の教育は全てヒューマノイドたちに任せた。
空に浮かぶ赤い月をセイファートは切なげに見つめる。あそこに彼の宝物が眠っている。かけがえのない妻と息子。彼らを愛しく思う心が時に焦りと憤りとやるせなさを運んでくる。生きてあうことはないとわかっている。それなのに、その代りのように幼い彼女を求めてしまった結果がこれだ。彼は情けなさと己の甘さを知った。
それから彼は古書を紐解き輪廻転生を調べた。その原理は昔から存在し、いつか人間は幾度も転生するという。彼はそのわずかな奇跡にかけることにした。いつかまた、彼と妻と息子と過ごす日々を夢見ることにした。それは傲慢な願いだったのかもしれない。
セイファートはカペラを廃墟に降ろした。カノープスも後に従った。五才までをここで過ごした。その頃の記憶は殆ど失われているが、セイファートは少し感傷に浸っていた。
シリリュース皇国は、リィバード大陸の四つの皇国の中で一番美しい国だった。ケンタォローゼ皇国の山河から流れてくるレーテ川が、シリリュース皇国に肥沃な平野を与えてくれるお陰で、代々の女王は皇国内に種々の草花を植え、咲き誇らせていた。皇国内は一つの大きな花園のようだった。特に皇都ファーミストには縦横無尽に色トリドリの花が飾られて、楽園の様だったのだ。それが見る影もない無残な姿を曝け出している。記憶と現実のコントラストが大き過ぎて、やるせない思いにかられる。
セイファートは不意に地面にかがみ込んだ。カノープスが注意深く辺りを見回しながら、近寄ってきた。彼は瓦礫に埋もれている何かを掘出そうとしていた。カノープスもかがんでそれを一緒に手伝った。
現れたのは鎖の千切れた銀色の丸いロケットだった。そのロケットにセイファートは見覚えがあった。
-何故、これがここにあるのだろう?
このロケットがここに在るはずはなかった。セイファートはロケットをぎゅっと握り締めた。
事後処理の為に月に残る僅かな科学者を除いて、人々は核シェルターのコールドスリープ装置にその身を横たえた。セイファートは小さな息子の脇に、お気に入りの熊のヌイグルミを置いてやった。アスールは無邪気な笑顔を浮かべたまま、静かな眠りについた。
「セイファート、私は・・・」
リーファルは最後まで渋っていた。セイファートはもう会うことができない妻を抱きしめて、その唇の最後のキスをした。リーファルが目を伏せた。その頬には涙が伝っている。
「笑顔を見せてくれないか? 君の泣く顔は覚えていたくないんだ。私は君が笑っている顔が一番好きだ」
セイファートは自分の首にかけていたロケットをはずすと、リーファルの首にかけた。結婚した時に、彼が妻から贈られた物だった。
「月と地球に離れていても、ここであなたを見ているわ」
リーファルはそう言って、笑いながらセイファートに手渡したのだ。その時にはこぼれんばかりの笑顔のリーファルの立体写真が中に入っていた。それから、アスールが生まれた時に中身は取り替えられた。ロケットを開けるとアスールを抱いて穏やかに微笑んでいるリーファルが現れた。
今また、中身は取り替えられている。せめて、写真だけでもいいからリーファルのそばについていてやりたかったのだ。リーファルがロケットを開くと、満面の笑みを浮かべたセイファートがいた。
「セイファート」
リーファルがセイファートにしがみついた。彼は今にも壊れてしまいそうな妻の身体を抱き上げると、装置の中にリーファルの身体を下ろした。
「お休み、リーファル。アスールをよろしく頼む」
リーファルは精一杯の笑顔を夫に向けた。セイファートはカプセルを閉じると装置を作動させた。リーファルの笑顔が凍りついていく。
「もういいのか?」
バルジが後ろから静かに声を掛けた。セイファートは振り向くと、立ち上がった。
「君たちには辛い役目をさせる。何千年、何万年かかるか分からない。私にはこの星を元の地球に変える事が出来ないかもしれない」
「私たちよりもセイファート、君の方が辛いんじゃないのか? その身体をサイバーノイドに変える事をリーファルは知っているのか?」
セイファートは頭を振った。バルジはフゥッとため息を洩らした。
「そこまでする必要がどこにある? 月はあのまま放置して、皆でここで眠りにつけばいいじゃないか」
「バルジ、もし、地球を元に戻せない場合には、遺伝子組み替え操作をして、人類を変える必要がある。人類が月で暮らせる身体を研究する必要があるんだ」
「お前は頑固だな。だが、セイファート、私がお前をサイバーノイドに変えても、脳の老化までは止められない。それだけは覚えておけよ」
セイファートは返事をしなかった。その代わりにいつまでも、リーファルとアスールの寝顔を見つめていた。その寝顔をずっと守りたかった。あの時はそれが自分の責務だと信じていた。
ロケットのふたを開けると、セイファートの笑顔がこぼれた。覗いていたカノープスがギョッとして、目の前の主の顔と立体写真を見比べている。
セイファートは空を仰いだ。昼間の月はその赤さがさらに際立つ。いや、地球だった。昔は、ここが月だったのだ。セイファートの頭の中には自分がアゥスツールスだった頃の記憶が、フラッシュバックの様に閃いてくる。それは突然押し寄せてきて、彼を飲み込もうとするのだ。自分がどんなに抗おうとしても、記憶の渦は容赦なく彼に襲いかかる。遠い過去の記憶が一つ一つ戻る度に、セイファートは闇の中に沈んで行くような感覚に囚われる。自分が本当は誰なのか、見失いそうで恐かった。
「セイファート様、これは一体・・・」
困惑したようなカノープスの言葉で、セイファートは自分を取り戻した。
「カノープス、この事は誰にも言わないでくれ。・・・もう、行こう。いや、行かなければならない」
セイファートはカペラを空に舞い上がらせた。その背に乗って、セイファートは一つの事に拘っていた。
-何故、ロケットがここにあったのか?
考えられる事は一つだけだった。侵入者は地球から来たのだ。では、何故? コールドスリープ装置には手違いはなかった。核シェルターもあと三千年くらいは、十分に持つはずだった。その為にスリープ期間を取り敢えず五千年にしたのだ。人々はあと三千年は眠りにつくはずだった。
目の前に黒い塔が見えてきた。あれが侵入者が造った要塞なのだろう。監視の金青竜たちが塔から一定距離を置いて飛んでいた。セイファートたちに気付くと、近付いてきた。
「セイファート様、お身体の具合はよろしいのですか?」
隊長格の男が声を掛けてきた。セイファートの知らない男だった。カノープスは知り合いらしく、他の騎士たちとも親しげに挨拶を交わしている。
「もう大丈夫だ。心配掛けて済まなかった。それより、敵の動きは?」
「侵入者はここ数日、要塞に篭ったまま出てきません。むやみに攻撃を仕掛ける訳にもいかずに、今戦線は膠着状態になっています」
「わかった。勤務に戻ってくれ。私は基地に降りる」
セイファートはカペラを前線基地に向けた。監視の騎士たちは、また、要塞から一定距離を保ちつつ空を旋回し始めた。
前線基地には緊迫感が漂っていた。創生期より二千年、初めての異世界からの侵入者である。訓練を重ねてきても、今回が初めての実戦になる。不安なのか、勤務についていない者は、皆プラズマ剣の稽古に励んでいた。
騎士団長のホワイユから、この三ヵ月間の状況説明を受けたが、目新しい事実は何も無かった。ここ数日、侵入者は不気味に沈黙している状態である。敵がどの程度の能力を持っているのか分からないが故に、慎重にならざるを得なかった。騎士団が壊滅したら、リィバード大陸を守るものは何も無くなるのだ。
セイファートは一人になると、ロケットを取り出した。手の平で鈍く光っているロケットは、何故、ファーミストの廃墟にあったのだろうか? もし、侵入者が地球人なら、争う事は愚かな事だ。まずは話し合いが必要だ。だが、彼等は話し合いに応じるだろうか? シリリュース皇国の皇都を滅ぼしたのだ。敵意が無いとは言い切れない。
セイファートの中で、様々な想いが逡巡していた。その中で一番強い想いは、リーファルとアスールに会いたいというアゥスツールスだった頃の自分の気持ちだった。
セイファートは窓を開けた。空に月が赤く光っている。その月に照されて、侵入者の要塞が闇の中にそびえ立っていた。
「リーファル」
セイファートはその名を呟いた。不意にアルタの顔を思い出した。セイファートの胸が疼いた。アルタの行方は杳として知れなかった。行方不明になった時期が悪かったのだ。各皇国に捜査は依頼してあるが、この大事な時期に人探しが出来るとは思えない。それに、アルタがシリリュース皇国の皇都にいたのかも知れないという可能性も考える必要がある。それは一番考えたくない事なのだが、可能性として、あり得る事だった。
セイファートはベッドに腰掛けた。何故、あの時、アルタを気遣ってやれなかったのだろうか? アルタは自分を恨んでいる事だろう。彼女の姉のリーファ皇女は、あの時、アルクティーラオス皇国に来ていた。謁見の間にはいなかったが、各皇国の皇子、皇女がアゥスツールスに呼ばれたのだ。その為に、一人生き残る事になった。ショックで伏せっているらしい。セイファートは見舞の花だけを届けた。同じ王宮内にいても互いに合う事は避けていた。
セイファートは立ち上がると、プレートメイルを外した。思い悩んでいても事が解決するとは限らない。それよりも現実を考えなければならない。明日、侵入者たちに侵入の目的と意図を尋ねる位の事はしてもいいだろう。彼等が地球から来たのなら、自分の姿に動揺するはずだ。セイファートは彼等の仲間だった男に瓜二つなのだから。