伝説の真実
二十世紀後半から叫ばれ始めた環境破壊が急速に進み、地球は疲労していた。各地では震災と火山の噴火が起こり、異常気象は当たり前の事で、酸性雨が森林を枯らし、温暖化現象で大陸は縮小を余儀なくされた。水没した原子炉のせいで、海は放射能汚染が著しくなり、様々な奇形種が現れた。僅かな陸地でも深刻な砂漠化が進み、地球人は手始めに月の地球化を考え、テラフォーミングを施すために幾人かの科学者とヒューマノイドを送り込んだ。
火星を始めとする居住可能な惑星や衛星には既にコロニーが造られていたが、居住できる人数には限りがあった。惑星全体を地球化するテラフォーミング計画は、地球人の僅かな希望の光となった。月が成功すれば、すぐに火星に着手するつもりだった。火星のテラフォーミングが完了した段階で、火星に移住し、地球の再生を図る事が当時の地球連邦の指導者たちの考えであった。
戦火は突然に起こった。火星コロニーの住民が地球連邦政府に反発したのだ。火星がテラフォーミングされたら、火星に移住して築いてきた財産が脅かされると考えた住民の多くが反対運動を繰り広げた。それは各惑星コロニーにも波及し、政府に反発する人々による大規模な暴動が始まった。政府は連邦宇宙軍を派遣し、鎮圧にあたったが、一度吹き出した不満の種は、太陽系に散らばった地球人類を大きく二分する争いに発展した。
各惑星コロニーは無残に破壊されて、たくさんの人たちが宇宙空間に放り出された。これは軍による大量虐殺だと非難する人々が、連邦政府に詰め掛け、地球でも大規模な暴動が起こるようになった。
誰が先にボタンを押したかなど今となっては、どうでも良い事だった。とにかく地球には核弾頭ミサイルの嵐が吹き荒れた。地球人は愚かな自滅の道を歩んだのだ。
月にいた科学者たちは、この事態になす術を持たなかった。月のテラフォーミングは順調に進み、九十%完了していた。テラフォーミングを無事に完了する為に、月全体を覆い尽くした強力な光磁気バリアーにより、月は被害を受けなかった。
科学者たちが地球に駆けつけた時には、地球は死の星と化していた。高レベルの放射能汚染が見られ、生物の存在は皆無であった。科学者たちは、各惑星コロニーの緊急非難地区で僅かに生き残った人々を発見し、月に連れ返った。生き残ったのは僅かに二百人足らずだった。
テラフォーミングは完全に完了した訳でなく、生き残った人々は不満を洩らした。再び争いが起こるのを恐れた科学者たちは、生き残った人々をコールドスリープさせる事にした。地球に残っていた核シェルターの機能を調べ、安全に作動するシェルターのコールドスリープ装置に人々を入れた。彼等が起きる頃には地球の放射能汚染も緩和されているだろう。
もう一つ、科学者たちが人々をコールドスリープさせた事には訳があった。地球と違って、月は質量が小さいために大気を保たせる事が不安定だった。オゾン層がなければ、有害な宇宙線に月が曝される。強力な重力発生装置を地中深く埋め込んだが、その装置が人体に僅かながら影響を及ぼした。月で生まれた子供たちは、虚弱で長生きしなかったのだ。その影響は大人たちにも出始めた。そうした問題も発見されて、科学者たちは、人々をコールドスリープさせたのだ。
月のテラフォーミングは完了した。だがそこに住むべき人々は、僅かな科学者しかいなかった。
そうした状況の中で、一人の科学者が自分の肉体をサイバーノイドに変えた。彼は遺伝子工学と生物学を専門にしていたのだ。彼は四体のヒューマノイドと共に、幾つもの試行錯誤の末に月でも暮らせる人類を生み出した。試験官の中から生まれた四人の子供たちには、背中に羽根が生えていた。また、それぞれに特異なアビリティーを持っていた。そのアビリティを高めるために、ヒューマノイドに子供の養育を命じたのだ・・・
セイファートは一人のヒューマノイドと向き合っていた。彼と同じ髪で同じ瞳をしたヒューマノイドだった。
「私は年老いた。生き残った人々にコールドスリープを勧めたのは私だった。彼等が目覚めるまでに、地球を元の蒼く美しい星に変えると約束したのも私だった。私は死の時を迎えようとしていた。身体をサイバーノイドにしたが、脳自体が死を迎えようとしていたのだ。私の全てをコンピューターに記憶させ、ここの管理者として残した」
ヒューマノイドはジッとセイファートを凝視した。自然に彼もその瞳を見つめ返した。空間に二人だけが浮かんでいた。
「私は転生というものを信じている。お前は私なのだ」
セイファートには返す言葉がなかった。
「今の皇国の皇子や皇女は、初代と同じ程度のアビリティを持って生まれた。完全な隔世遺伝だ。だが、私の組んだプログラムにも誤りがあった。シリリュース皇国に双子が生まれた事はプログラムにはなかった事だ。私のプログラムの狂いは、お前とシリリュースの皇女にもあった。二人が出会う事で大きなアビリティが発動する事など、思いも寄らない事だった」
「アルタの額の紋章は?」
「それこそがプログラムのミスなのだ。ルーファに浮び上がる紋章は、地球の自然の力を吸収しやすくするための物だ。アビイリティは人間に流れる自然の気の一つだ。私はアビリティを高める研究に、シリリュース皇国の初代の女王を使った。あれはその名残りだ」
「私たちは実験体なのか?」
「違う。私の使命は地球再生をするために、お前を私として覚醒させる事だ。私はコールドスリープしている者たちの為に、元の蒼い地球に戻さなければならない。その為に転生のプログラムを組んだのだ。私は・・・」
激しい衝撃が生じた。セイファートは壁に叩き付けられた。酷い痛みが彼を襲った。その痛みの為に彼は意識を失った。
セイファートの目にぼんやりと写ったのは、赤い髪の少女の姿だった。
「アルタ?」
無意識にセイファートはその名を呼んだ。少女が何かささやいているが、彼の耳には聞こえない。
「アルタ、すまない。君は自由に生きていたのに、私のエゴで君の自由を奪ってしまった。君はバードのところにお帰り。私には・・・」
セイファートは最後までその言葉を言えなかった。
夢を見ていた気がする。長い長い夢だった。セイファートは両手で頬を叩くと、カプセルベッドから、起き上がった。頭が少し痛かった。彼は額に手を置いた。
「マスター、お早ようございます」
マーフィーがセイファートの着替えを用意して待っていた。セイファートはボディスーツに着替えた。今日は地球に帰る予定だった。彼が着替えを済ませると、彼の実験助手である四体のヒューマノイドが準備を整えていた。セイファートは食事代わりのニュートリションチューブを口にくわえながら、コンソールを叩いた。
「セイファート。きちんとした食事を取らないと駄目よ」
後ろから声を掛けられた。振り向くと恐い顔をしたリーファルが立っていた。彼女はいつも彼の体調ばかりを気にしている。それがうれしかった。
「悪い。急いで入力したかったんだ。久しぶりに地球に帰れるからね」
笑い声が起こった。上から、バルジが降りてきた。バルジが苦笑している。
「まあ、仕方ないか。帰ったら、君たちは結婚するんだったな」
バルジの言葉にリーファルが顔を赤らめた。
「月をテラフォーミンクするなんて、途方も無い計画だと思ったが、この調子なら、巧くいきそうだ」
「ああ、そうだね。帰る前までにこの入力を済ませたいんだ。月に戻るまでにプログラムを進ませておけば、次の仕事がやりやすくなるからね」
「仕事熱心なのもいいが、健康管理もきちんとしておけよ。でないと、リーファルが悲しむぞ」
セイファートは肩を竦めた。この頃は彼女を悲しませるなんて、自分がするつもりがないと信じていた。
夢? 実にリアル夢だった。セイファートはベッドの上に起き上がった。身体の節節が痛んでいた。
「セイファート様」
カノープスの顔が目の前にあった。セイファートはギョッとしたように退けぞった。カノープスの目が涙でにじんでいたからだ。
「良かった。セイファート様にもしもの事がありましたら、私は・・・」
「すまない。カノープス、一体何が起きたのだ?」
セイファートは立とうとしたが、身体が思うようでなかった。カノープスが起きようともがく彼を押し留める。
「まだ、休んでいて下さい。フレア様が傷を塞いでくれましたが、一時は危ぶまれるほどの怪我でした。体力が戻られるまでは、ジッとしているようにとの事です」
「アルタは?」
カノープスは俯いた。それから、平伏すようにひざまずくと、
「申し訳ございません。行方不明なのです。ヴィサーナでのあの時に、ルーファ様は宿屋を飛び出してしまいました。各皇国にも行方を探して貰っているのですが、未だに分からないのです」
そう謝った。セイファートはベッドに力なく身体を横たえた。アルタがいないことにこんなにショックを受けるとは思わなかった。
「申し訳ございません」
「いい。仕方の無い事だ。・・・マーフィーは?」
カノープスはまた俯いた。言い澱むように碧い瞳を逡巡させている。
「何かあったのか?」
セイファートはまた、けだるい身体を起き上がらせた。
「セイファート様はゆっくりと養生して下さい。まずは身体を直される事の方が先決です」
「カノープス!」
「ごめん!」
カノープスはセイファートのみぞおちを打った。彼の身体がそのままベッドに崩れた。
セイファートはハッとして起き上がった。
「どうしたの?」
隣に寝ていたリーファルが眠そうに尋ねた。
「夢を見たんだ」
「どんな?」
「ごめん、忘れた」
リーファルがクスクスと笑い転げた。
「セイファートらしいわ」
セイファートは顔を赤らめた。結婚して二年が過ぎていた。月のテラフォーミングは順調に進み、気象学と地質学が専門のリーファルは月での仕事を終えていた。
「今度はいつ帰れるの?」
「半年後かな?」
「そう、一緒に月にいられればいいのだけど、そうもいかないわね」
リーファルは起き上がると、小さなベッドを覗き込んだ。セイファートも一緒に覗き込む。半年前に生まれた息子が、小さな寝息を立てて、熟睡している。
「アスールに今度会う時には、もう歩き出しているかな?」
「そうね。ただ、このところ社会情勢が不安定になってきているから、心配だわ」
「大丈夫さ。人類はそれほどバカじゃない」
「実は火星コロニーに行かなければならないの。月での任務が終わったから、次の火星の調査に行かなければいけないのよ。もしかしたら、この次に帰る場所は火星になるかもしれないわ」
「火星かい? 大丈夫か? 反対運動が一番激しいところじゃないか」
「ええ、でも、テラフォーミングの調査ではなく、表向きはただの鉱物調査として行くから大丈夫よ」
リーファルは微笑みをセイファートに向けた。彼は小さな息子に視線を落とした。息子のアスールは父親と同じ金色の髪をしている。悪戯っ気を出して、セイファートは幼い息子を突っ突いた。途端に不機嫌そうな泣き声を揚げた。リーファルがセイファートを睨みながら、アスールを抱き上げる。彼は肩を竦めながら、舌を出した。
セイファートはぼんやりとしていた。夢なのか? 現実なのか? 夢にしてはリアル過ぎる。子供の泣き声が耳にこびり付く様に残っていた。
頭が霞んでいるようだ。セイファートが二人いて、同時に二つの人生を歩んでいるような錯覚さえ起こす。彼は寝返りを打った。意識がまた闇の中に沈み込んで行く。
「地球が壊滅したらしい」
バルジが飛び込んできた。セイファートはコンソールを叩いていた手を止めた。リーファルとアスールの笑顔が頭に浮かんだ。
「核弾頭ミサイルが各都市を粉々に粉砕したらしいんだ」
「何故? 何故、そこまでする必要があるんだ!」
セイファートはコンソールに両手を叩きつけた。ほんの少し前に始まった争いは、次第に熾烈になり、各惑星コロニーを破壊した。月にも幾度かの攻撃が仕掛けられたが、テラフォーミング計画の為に月を覆っていた光磁気のバリアーが簡単に撃退してくれた。争いの火種は地球にも伸びた。セイファートは一応は心配していたが、リーファルにも言った通りに、人類はそこまでバカじゃないと、高を括っていた。
その時月にいた科学者は、二十人程だった。すぐに地球に状況を問い合せたが、何の応答も無かった。セイファートは幾人かと地球に向かった。高レベルの放射能汚染で、地球に降り立つ事など出来なかった。蒼く美しい星だった地球は、クレーターの痕が転々とする赤茶けた星に変わっていた。誰の目にも生存者は皆無だと分かった。彼は気落ちした。何の為のテラフォーミングなのだ。月の地球化はほぼ終了しつつある、なのに、そこに住むべき人類はもはやいないのだ。
火星コロニーの緊急非難地区に生き残った人がいると、連絡が入ったのは地球が壊滅してからまもなくの事だった。バルジたちが念の為に各惑星コロニーを回った。各惑星コロニーにも人々は生き残っていた。全員を月に収容した。
「セイファート!」
夢かと思った。アスールを抱いたリーファルがバルジに連れられて、部屋に入ってきた時にセイファートはギョッとして立ち竦んだ。彼の腕の中に愛しい妻が飛び込んできた。その温かい温もりがセイファートを我に返した。この時初めて、彼は神というものの存在を信じた。世界中の全てに感謝してもしたり無いくらいだった。
だが、幸福というものは長く続くものではなかった。セイファートはテラフォーミングのプログラム中にミスを見つけた。ちょうど、生き残った人々の間から不満が出始めた時と同じだった。科学者たちで集って対策を練ったが、良い案は出なかった。
セイファートたちは地球に向かった。地球に残る核シェルターの作動具合を調べるためだ。地中深くに造られた核シェルターが作動可能状態で残っていた。コールドスリープ装置も完璧に動く。セイファートは人々にコールドスリープを勧めた。月にいてはいずれ死を待つ事になる。
「リーファル、君もコールドスリープに入ってくれ」
「何を言うの。折角一緒に暮らせるようになったのに・・・」
セイファートの言葉にリーファルは反発した。一才の誕生日を迎えたばかりのアスールは、熊のヌイグルミを相手に短い声を出して一人遊びをしている。セイファートはリーファルの鳶色の瞳を見つめた。暫く見つめた後で唇をギュッとかみ締めると、一度下を向いてから、決心したようにまた顔を上げた。
「リーファル、聞いてくれ。このまま、月で人類は暮らせないんだ。重力発生装置が不完全だった。埋め込んでしまった装置を取り外す事は出来ない」
「セイファート?」
「いつか、地球は元の蒼い星に戻るだろう。その時が来るまではアスールと眠っていて欲しい」
「あなたは? あなたはどうするの?」
リーファルの問い掛けにセイファートは苦しそうに顔を背けた。
「私はここに残る。ここに残らなければならない」
「何故? 月で暮らせないのなら、皆で地球で眠ればいいわ」
「そうはいかないんだ。地球が元の蒼い星に戻るように私なりに努力してみる。それにここをこのままにはしていけない。もし、地球が人類が住めるまでに回復できない場合には、人類自体を変える必要がある。それは私の専門分野だ」
リーファルはアスールを抱き締めた。身体が小刻みに震えている。
「マーマ、マーマ」
何も知らないアスールは母親に抱き締められて喜んでいた。
セイファートの目に涙がにじんでいた。ベッドの上に身体を起こすと、彼は片膝を立てて頬杖をついた。部屋の窓から赤い月が見える。今もあの月に人々は眠っているのだろうか? 愛おしそうに赤い月を見つめた彼は顔にかかる金色の髪を無造作にかき上げた。
セイファートの見る夢が、創造神といわれるアゥスツールスの記憶だと気が付いたのは、地球と呼ばれていた星が崩壊した夢を見てからだ。彼は昔セイファートと呼ばれていたのだ。自分が彼の生まれ変わりなのかどうか分からないが、セイファートの内にある彼の記憶がリアルな夢をもたらした。彼の妻リーファルはアルタだった。彼の友人バルジはケンタォローゼ皇国の皇子バルジだった。
自分の見た夢のどこまでが本当の事で、どこまでが嘘なのか、セイファートには見当も付かない。だが、地球と呼ばれたあの星の再生を願って、眠り続ける人々がいる事は確かなのだ。セイファートは深いため息を吐いた。