伝説が動き始めるとき
四年前はこの図書館には足を運ばなかった。王宮にある図書室だけで手一杯だったのだ。マーフィーはここでアルタに勉強を教える気らしい。バードにいた彼女は文字を読む事も書く事も出来ない。その姿は微笑ましいものであり、また彼の心の琴線に触れるものを感じた。
「ねえ、ここはあなたの理想をたくさんに詰め込んだ箱庭みたいね」
彼女は笑顔でそう答えた。手にしたカップを両手で包み込んで、大好きなハーブティーを一口飲み込む仕草はかわいらしい。
「箱庭って、仕事だよ。し・ご・と」
憤慨するように彼は答えた。彼の手のカップの中にあるのは、濃いめのブラックコーヒー。昨日もまた徹夜だった。この一大プロジェクトに組み込まれてから、なかなか休みが取れないらしい。彼の身体の心配をしながらも彼女の笑顔にちょっとむすっとした彼の姿がおかしくて、彼女はさらに彼をあおるように伝える。
「そうかしら? どう考えてもあなたが作り上げようとするこの世界は、あなたの理想的な箱庭のような気がするわ」
「・・・まあ、確かにそうとも言えるかもしれない。君が望んだこともたぶん入っているし。もうすでにない物語の中でしかない生き物を作ったのは確かにいきすぎだったかもしれない」
ほんの少しの後悔じみたことを伝えると彼女はまたふんわりとほほ笑んだ。その笑顔がまたうれしくて、それを抑えるようにして、また彼は子供みたいにぶすッとした顔になる。
「ふふふ、ここはやはり箱庭だわ。でも、この箱庭はどうなるのかしら?」
彼女の笑顔が瞬時に曇る。そうだ、彼は彼女の泣き顔は嫌いだった。いつも笑顔でいてほしかった。いつもそばで笑っていてほしかったのだ。なのに、それは許されなかった。あれは遠い昔のこと・・・
不意に浮かんだ光景はどこか儚げで、夢なのか現実なのかもわからない。
ふと気が付くとカノープスはセイファートに付き従っている。この世界の知識のすべてを蓄えていると言われるほどの図書館は、閲覧禁止のものも多く、本とは言いながらも紙で読む本ではない。彼はまず自分の望みの物を探すべく図書館のコンソールを操作し、その場所を探し当て、そこにあるたくさんの書棚から幾つかの分厚い本を取り出しすことに成功した。
空いているカプセルボックスに座ると、本から知識が記憶されているまるい銀色の円盤を取り出して、コンソールにセットした。深く椅子に沈み込むと、意識がカプセルボックスの中に吸い込まれて行く。もちろん、紙の本を読む事も出来るのだが、大抵の者はこうしたカプセルボックスで、本の内容を直接脳に取り込むのだ。それはこの世界の創世の話。
-世界の始まりは混沌としていた。創造神アゥスツールスは空を占める赤い月で暮らしていたが、天翔ける船にてこの世界へやってきた。その頃の月は海のように蒼く美しい星だった。長い年月をかけて創造神とその従者たる四体のヒューマノイドは、リィバード大陸と海を創り上げた。アゥスツールスは月からたくさんの神々を呼び寄せるつもりでいたが、ある日、月が光輝き、殆どの神を滅ぼしてしまった。神々の血を吸った月は、それ以来あのように赤く染まったのだ。
アゥスツールスは嘆き悲しみ、僅かに生き残った神々をこの地に連れ帰った。神々の住む地としてリィバード大陸はまだ不完全だった。その為に神々が二つに別れて争いを起こした。敗れた神々はまた赤い月に戻って行った。だが、残った神々にも恐ろしい病が流行り、次々に亡くなっていった。
アゥスツールスは、この地に暮らす人類を創りだそうとした。最初に四人の子供が生まれた。四人の子供たちは背中に羽根を持っていた。創造神はヒューマノイドたちに命じて最初の子供たちを教育させた。その間にもたくさんの子供たちが生まれた。
創造神はリィバード大陸を四つの国に分けた。最初に生まれた四人の子供が大きくなるとそれぞれに国を任せる事にした。この四人が皇国の初代の王になった。王たちは自分を教育してくれたヒューマノイドを創造神より贈られ、争いのない真の平和を目指した世界を創る事に専念した。・・・
セイファートの意識が本の中から呼び戻された。後ろを振り向くと、目の前に黒髪の青年が立っていた。懐かしい友の姿に笑みがこぼれる。
「バルジ?」
「久しぶりですね、セイファート。ここに来ているのなら、王宮の方へ来て下されば、父上も喜びますよ」
黒曜石の様な瞳をセイファートに向けているのは、ケンタォローゼ皇国の皇太子バルジである。年は彼の方が三才上の二十二才。後ろに皇太子付きの側近であるバリオンの姿もあった。セイファートが隣を見ると、カノープスがカプセルボックス内で顔を伏せて、グッスリと眠っていた。本来は身体を動かす方が得意な自分の護衛でもある側近には、じっとしているのが苦手なのだろう。ふと笑みがこぼれた。
「成年式を前に見聞の旅に出たのです。申し訳ないのですが、今回は王宮の方へは行きません。ここへは調べものがあって立ち寄っただけなのです」
セイファートの言葉にバルジが優しく微笑んだ。自分と三つしか年が違わない割には、彼の方がずっと大人だった。ここにいた時にセイファートは、彼からたくさんの学問を学んだ。彼は子供の頃よりヒューマノイドのホーキングにこの世の理を教わっている。かなりの博識だったことを覚えている。彼にはかなわないとそう思った。なのに、なぜ自分が伝説の子供なのだろうかという劣等感みたいなものもあったが、彼はそこについては何も教えてくれなかった。そのことに触れるたびにいつも困ったような穏やかな笑みを浮かべていた。
ケンタォローゼ皇国は、リィバード大陸に残された神々の遺産である種々の装置を管理する使命を帯びている。神々の技術を受け継ぎ、故障しないように保守点検を行なっている。ここの図書館もそうした神の遺産の一つだった。
「そうですか。運命の時が回り始めたのですね」
バルジはそう言うと目を閉じた。いつも穏やかな顔をさせている彼の顔が少し翳って見えるのは気のせいだろうか? セイファートが尋ねようとした時に、ハッとしたようにカノープスが飛び起きた。周りを見回し、バツが悪そうに慌てて自分の主に跪き首を垂れて謝った。セイファートは頭を振る。カノープスが疲れているのは彼にはわかっている。自分のわがままに振り回されていることも十分にわかっていた。レガゥールス皇国内にいる訳ではないのだ。その分神経をすり減らしているはずだ。
「セイファート、君は思うように進むべきだ。もう君には後戻りは許されない」
「バルジ?」
「アルクティーラオス皇国に行って、神に会うべき時が来たのだ。星が不吉な動きを見せている。いずれは神に導かれた者たちが君に集う日が来る」
「それはどういう意味だ?」
「伝説が動き始めるのだ。・・・また、君に会う日が来るだろう。私もその日までに準備する事がある」
悲しげな瞳をしたバルジは首を傾げているセイファートに寂しげに微笑むと図書館から出て行った。その後ろから、バリオンがセイファートに軽く会釈をしてから出ていく。彼は立ち尽くしたまま、それを見送った。昔からバルジはどこか掴めないところがあった。世の中の全てを知り尽くしていると言いたげな態度に、時として、不快感を露にした事もある。自分の求める答えの鍵を彼が握っている事は確かだったが、彼は何もセイファートに教えてはくれない。いつもどこか困ったような笑みを浮かべるだけなのだ。
「アルクティーラオス皇国へ行けか」
セイファートは椅子に深く座り込んで、口の中で呟いた。それは彼の成人の義のあとに行われる予定の儀式だったはずだ。
その後も彼は図書館の本を幾つか調べたが、満足のいく答えはどこにも無かった。図書館を引き上げた時には、既に辺りは暗くなっていた。
「遅かったですね」
宿に戻るとマーフィーとアルタは食事を終えていた。
「これから、出掛けてもいいですか? ホーキングに会いに行ってきます」
セイファートに異存はなかった。マーフィーが宿屋を出て行くと、アルタも部屋に戻った。残された彼はカノープスと二人で食事を取った。宿屋の造りはどこも似たようなものらしい。一階が食堂になっている。最も、ここの場合には食堂というよりも酒場といった方が正しい。カウンターには、胸の開いた赤いミニのワンピースを着た女たちが控えていて、客に呼ばれるのを待っている。右側の舞台にはピアノの演奏に合せて、歌姫がせつないラブソングを歌っている。その近くのテーブルを占める客たちが歌に聞き惚れていた。幾つかのテーブルには女たちがついて客にしなだれている。
どうも、宿屋運が悪いらしい。セイファートは俯きがちに、食事を取った。カノープスは感心したように歌姫を見ている。
「兄ちゃんたちもレガゥールスから来たのかい? 懐かしいなあ」
少し離れたテーブルから、柄の悪そうな傭兵らしい男が二人、席を移ってきた。男たちの髪は海色をしている。たぶん、ケンタォローゼ皇国の警備に雇われた男たちなのだろう。レガゥールス皇国の男は十五才から二十才までを青竜騎士団の見習として過ごす。その後は正式に騎士になる者や故郷に帰って地道に生きる者など、様々な人生の経路がある。たまにはこうして、各皇国の警備を頼まれる者もいた。彼らもそんな一人なのだろうと思う。
人が生きる場所には、やはり泥棒やスリ等の犯罪が起こる。青竜騎士団を分隊して各皇国の警護に回しているが、駐留騎士団の人数だけでは心許ない部分がある。その為にこうした傭兵を雇っているのだ。
「俺たちは皇都の警備についているんだが、今日は非番なんだ。一緒に飲まねえか?」
「いや、私たちは・・・」
カノープスが困ったように立ち上がり掛けた。男はカノープスの肩を親しげに抱いて椅子に腰掛けると、親しげに声をかける。
「何、遠慮するこたねえよ。もう三年ぐれえ帰ってねえんだ。レガゥールスの話をちょっとでいいから聞きてえんだよ」
そう言いながら、カノープスに酒の入ったコップを握らせた。セイファートの隣にも別な男が腰掛けた。
「兄ちゃんも飲みなよ。まだ若そうだな。見習が終わったくれえのヒヨッ子だな。ここにいるって事は騎士にならなかったんだろう?どうだ、ここで一緒に警備の仕事につかねえか? これで、結構金になるんだぜ。俺たちは金を稼いだら、国に帰って何か店でも始めるつもりなんだ」
男たちは陽気な声で話しかけてくる。よほど同郷のものが懐かしくてたまらないらしい。カノープスは無理に酒を飲まされているらしく、苦々しい顔をしている。セイファートはまだ飲酒できる年ではないが、成年式前のレガゥールス皇国の男が他所の国にいる事はない。男は当然のように彼の手にコップを握らせると、コップの縁にあふれるくらいなみなみに酒を注いだ。
「さあ、兄ちゃん飲めよ」
「あ、いけません!」
カノープスが慌てて止めようとした。だが、ここで断って、セイファートの正体がばれるのも困る。彼は思い切ってコップを口にした。苦い液体が喉を通っていく。喉が焼け付くように熱くなった。身体中が真っ赤になると、彼はバタンとその場に倒れ込んでしまった。酒になれていない者が、一気に酒をあおるとよくあることらしいが、今の彼にはそんな知識はなかった。
頭の中でガンガンとバケツでも叩いているような音が聞こえる。煩いのに誰も止めようとしない。暫くブツブツ文句を言ったような気がする。それから、ハタと気が付いた。ガンガンと鳴響いているのではなく、ズキズキと痛んでいるのだ。
頭を押さえながら起き上がると、アルタが椅子に腰掛けてジッとセイファートを見つめていた。彼は宿屋の一室のベッドの上に横たえられていた。起き上がろうとすると頭痛がひどくて、無理して起き上がるのをやめた。
「マーフィーは?」
「友達に会いに出掛けた」
「カノープスは?」
「あんたが文句ばかり言うから、薬を買いに行った」
アルタは簡潔明瞭に答えた。椅子に行儀良く座っていたが、セイファートが目を覚ますと侮蔑をたたえた目で彼を睨んでいた。それは彼にとっては羞恥すべきことでもある。
「あんたって、本当に世間知らずのお坊っちゃまなんだ。一度もお酒を飲んだ事がないくせに一気飲みするなんて、あんな無茶な事するのはあんただけだよ」
呆れたような声を出したが、アルタの顔は目つきはともかく無表情だった。頭痛を抑えて何とか起き上がったセイファートは痛む頭を押さえながら、唇をかみしめて下を向いた。
「あんたって、お金も自分で出した事無いんでしょう? そうよね。あたしを買うのには最低でも五万カイパーは必要だもの。旅に出て、そんなにお金を使ったら、どうなるか何て考えもしないわよね。おまけにあたしを買った理由がバカバカしいんだもの」
全てはアルタの言う通りだった。旅に出ている間のお金の事はマーフィーが管理しているはず。
「話にならないわ。気が付いたんだから、あたしはいなくてもいいわよね。」
アルタは立ち上がろうとした。セイファートは慌てて、その手を掴んだ。まだ、話がしたかったのだ。掴んだ手に衝撃が走った。彼は驚いて手を離そうとしたが、手はシッカリとアルタを捕えている。
彼女自身も驚愕したように目を見開いている。二人の身体からまばゆいばかりの光があふれだして、一筋の光がパシーンと天井を突き抜けていった。ふわんと二人の身体は宙に浮いた。セイファートはアルタの額に銀色に輝く紋章が浮かんでいるのを認めた。その紋章は彼が見た事のないものだった。当惑した心とは裏腹に彼の体は少女を大切に抱きしめていた。彼女もセイファートに身を寄せた。二人はそれが当たり前のごとく自然にキスを交わしていた。
「ねえねえ、本当に結婚する気?」
彼女の声が聞こえてきた。白い白衣を着た彼女はその姿がとても似合っていて、彼は照れたように彼女に微笑んだ。
「私のどこがいいの?」
「すべて」
彼はきっぱりと答えた。そこだけは譲れない。彼女の何もかもが彼の全てに思えた。この上もなく愛しくてたまらないというように彼女を自分の腕の中に取り込んだ。
「返事はいらない。もう決まったことだから」
「それはひどいわ。私にも気持ちってあるのだけれど」
苦笑いを浮かべながら、彼女はそう言ってほほ笑んだ。彼女も別に彼を嫌っているわけではない。たまたま決められてしまった相手が彼であってよかったと心からホッとしたのも事実である。
彼の作る箱庭世界のプロジェクトに、彼女も参加している。箱庭世界と初めて言い出したのは彼女でもある。箱庭はいつか新しい世界になり、その技術がたくさんの世界を作り上げていけば、人々は生きていける。そのためにたくさんの技術が惜しみなく使われ、資金提供も各国がこぞって出してくる。それはやがて、人類の希望になるはずだった。希望はパンドラの箱にしかない。この箱庭に希望はなく絶望の時が流れることなどこの時は知る由もなかった。
「好きだよ」
「そうね、私も好きだわ」
「じゃ、結婚しよう」
「そうね、結婚してあげる」
彼の問いかけにまるでリフレインのように答える彼女。二人の間に流れるものはそれだけで十分だった。二人が結婚して、優秀な子供が生まれたら、その子がこのプロジェクトを引き継ぐことになる。
彼らだけで成し遂げることが望まれるが、無理だった時の保険のように二人の結婚は決められた。それでも互いが嫌ならそれは拒絶され、二人の間には人工的に子供が生まれることになる。そんな風にお互いの子供が育つなんて耐えられなかった。
彼も彼女も互いに認め合い、寄り添って生きていくことはできると思っていた。お互いの子供をしっかりと育てて、時代につなぐ子供として教育するつもりでいたのだ。あの時までは・・・
熱を込めた思いが胸にこみ上げてくる。セイファートもアルタも互いを抱きしめあいながらなぜか涙がこぼれていた。唐突な思いが二人を包み込み、それでも互いに何も言わず、そのまま抱き合っていた。まるで、失くした過去を懐かしむように、ただ互いを抱きしめあうことだけで精一杯だった。
語学力の無さを感じます