これからの希望
「セイファート」
セイファートはリーファルに呼ばれて、後ろを振り向いた。リーファルの笑顔が眩しかった。アスールが両手を前に突き出して、その足を一歩前に踏み出した。
「アスールの記念すべき一歩だわ」
リーファルが笑みを浮かべながら言った。
「アスール、偉いぞ」
「あっ、駄目よ、セイファート」
セイファートはアスールを抱き抱えようとした手を止めた。
「折角一人歩きを始めたのよ。アスールはもう、あたしたちの手を離れたの。これから、アスールはこうやって自分の道を歩き始めるのよ。簡単に手を差し伸べては駄目よ。アスールが歩く事を覚えなくなるわ」
リーファルの恐い目にセイファートはやれやれと肩を竦めた。アスールが生まれてからのリーファルは前よりも煩くなった。その煩さがウザッたくなる時もあるが、大抵、セイファートは素直に言う事を聞いた。こうして、三人でいつまでも一緒にいられる日々を大切にしたかった。
それは儚い夢に終わってしまった。
「いつまでも、君たちのそばにいたかった。今度生まれ変わったとしたら、私はもう君たちの手を離す事はしない」
セイファートは神の塔のコンソールの前で、何度その言葉を呟いた事か。セイファートは自分の頬に落ちた熱いものに気が付いた。サイバーノイドのなったセイファートには涙を流す事も出来ない。セイファートは手でその温い液体に触れた。それは間違いなく涙だった。液体はとめどもなくセイファートの顔を濡らした。
「セイファート、あたしはあんたのそばにいる。いつだって、そばにいてやる。だから、帰って来いよ。あたしのそばにいてくれよ」
アルタの声だった。セイファートはアルタの頭を大事なものでも触るようにそっと撫でた。
「泣くな。君の泣き顔は嫌いだ」
そうだ、もう一度リーファルに会いたかった。そのために、古今東西の様々な輪廻転生の伝承を探した。人はもう一度生まれ変わるというこの思想が現実にできればとわらを掴む思いで調査した。実際にその原理がうまくいくかどうかは賭けでもあった。その理論がうまく言えば、セイファートは再び肉体を得て、己の魂を定着させられる。
肉体と魂の関係は、輪廻転生により古い肉体を脱ぎ捨て新しい肉体に生まれ変わる。人が生きていくことで魂の救済をなし、一つの転生で埋められなかった傷を次の転生でまた癒していく。人間の魂はたくさんの転生を繰り返し、高みへと登り詰めるらしい。それは神話や伝承・宗教などその他のスピリチュアルなど、いくつもの地球の歴史の中で脈々と培っていた事実。科学者にとっては認めたくない分野だが、それもまたありだと信じた。
それらの研究の過程で生まれたのがアビリティで、それはまた興味深いものだった。
そして、いつか自分はまたセイファートとして生まれ変わることを願った。
「セイファート!」
アルタの大声がセイファートの耳を打った。セイファートは少し顔をしかめた。鼓膜が破れそうだった。
「気が付かれたので、もう大丈夫です」
フレアの穏やかな声が聞こえた。
「セイファート様、良かった」
カノープスの蒼い目が潤んでいた。
「月はみんなは大丈夫だったのか?」
ようやく意識を今の自分に戻したセイファートは夢中で身体を起こした。バルジがそれを押し留めた。
「あれから、既に半年が経っている。セイファート、君の張ったバリアはまだ月を覆っている。精神体の奴等では入り込めない」
バルジの声はトーンが低かった。
「こちらも大きな損害を受けた。ティチュース国王が亡くなられた」
セイファートはフレアを見つめた。フレアは愁いを帯びた瞳を瞬かせた後で目を伏せた。
「火星の者に操られて神の塔を破壊しようとしたのです。マーフィーとステラが取り押えようとしましたが、お父様は自分の意思で命を絶ちました」
「セイファート、君が目覚めなかったので、未だにアルクティーラオス皇国の王位は空席になっている。この際だから、はっきり言おう。君にはアゥスツールスとして、立って貰いたい。地球との戦いで疲労した人々が立ち直り掛けた時に、この被害を受けた。今の私たちには強い指導者が必要なのだ」
「バルジ、私は誰とも争いたくはなかった。出来る事なら、火星の者とも話し合って、戦いを避けたいと思っていた・・・バルジ、お願いだ。一人にしてくれないか?」
セイファート不遜気な態度の彼女は彼を見上げる。それはかつてリーファルだった時の彼女の姿だ。いつもそうやって偉そうに上から目線で彼に説教したものだと不意に懐かしさで胸がいっぱいになる。
「アスールたちは何の為に眠ったんだよ。セイファート、あたしたちの為だよ。あたしたちが火星と戦う事になる事を見越して、アスールたちは眠りについてくれたんだ。セイファート、アスールはあんたの事気に掛けながら眠りについた」
アルタはセイファートの手をぎゅっと力を込めて握り締めた。
「セイファート、あたしたちの大切な息子の為にあたしたちは地球を再生するんだろう」
「リーファル」
セイファートはその懐かしい名を口にしていた。アルタが寂しそうに微笑んだ。
それから、セイファートを中心として、月はすぐに体制を建て直した。各皇国の国王は代替りをし、セイファートはレガゥールス皇国の国王として、四つの皇国のトップに立った。バルジはセイファートの参謀になり、攻め込んできた火星のヒューマノイド軍との熾烈な争いが宇宙空間に繰り広げられた。
当初は火星の軍に押され気味だった月の各皇国の混成部隊は、アルタが配下の魔導士たちと火星人の精神エネルギーを撹拌した事で一気に盛り返した。勢いを得たセイファートたちは、怒涛の様に火星に攻め込んで行った。
火星は不思議と沈黙していた。火星表面には高度に発達した文明の名残が見られた。残っているのはヒューマノイドたちの残骸だった。セイファートは注意深く、巨大コロニーの跡を探らせた。生命反応はどこにもなく、何年もの間放置された跡さえ見受けられた。
《セイファート、お前一人で来い。》
唐突に激しい憎悪を感じた。アルタとバルジが近寄ってきた。フレアとミラは神官たちを指揮して、負傷者の介護にあたっていた。アルタは十五才を過ぎて残されていた羽根の名残が取れると、リーファルと瓜二つになっていた。
「セイファート、うちの技術者たちに調査させた。ここは百年以上も前に廃墟になっているらしい。これはどう言う事だと思う?」
「皆とここにいてくれ。ダークマターに呼ばれた。行ってくる」
セイファートはすぐに精神体になった。彼の声は地下から聞こえた。
地下には巨大コンピューターが埋め込まれていた。その周りにはカプセルに入れられたたくさんの子供たちの遺体があった。セイファートは宙に浮かんだまま、割り切れぬ思いでそれを眺めた。
《お前が皆を殺したんだ。僕はお前を許さない。ここにお前を呼んだのは、お前たちをここで滅ぼすためだ。》
巨大コンピューターが赤く点滅を始めた。
「セイファート、こっちへ来て!」
アルタがセイファートに手を差し伸べた。セイファートはアルタを掴んだ。アルタに引き摺られるようにして彼は自分の身体に戻った。アルタの額の紋章が強烈に輝き出した。セイファートの身体が熱く燃え上がるようだった。
地下から突き上げてくる激しい火山の噴火の様な衝撃が、セイファートたちに襲い掛かった。セイファートとアルタは月の者たちをまばゆい光で包み込んで、宙に浮き上がらせた。地下から吹き出した激しい爆発の衝撃は、地表面にあった巨大コロニーの廃墟を跡形も無く消し去って行った。その光景を見ながら、やるせなさにセイファートはきつくアルタを抱きしめた。
「帰ろう、私たちにはまだやらなければならない事がある」
セイファートはマーフィーに連絡を取った。月に残っていたシャトルが火星との間を何度か往復する事になった。火星を後に月の住人たちはやっと自分のホームベースに戻り、これからの月の在り方を模索することになる。
「セイファート、火星は既に滅んでいたんだ。再び、高度な文明を築き上げた人々は愚かな過ちを繰り返した。死に絶える前に一人の科学者が、地下の巨大コンピューターと子供たちとを直結させた。彼等はコンピューターと一体となり生き続けてきた」
セイファートが忙しなく事後処理に駆け回っていた頃、バルジはケンタォローゼ皇国に引き込んで、火星から持ち帰った様々なデータの解析にいそしんでいた。世情の混乱をやっと鎮静化させた頃になって、バルジは神の塔にやってきた。
「全ては子供たちの亡霊に惑わされたんだ。彼等自身、自分たちの真実を知っていたのかどうか怪しいものだ。彼等にとっては動けない自分たちの身体よりも、動く私たちがいいおもちゃに思えたのかもしれない」
「バルジ、私たち人間は結局どこで発生しても、同じ過ちを繰り返し続けるのだろうか?」
「そうでもないさ。現に私たちは平和に暮らしてきた。これからも平和に暮らしていく。地球を少しずつ再生しながらだ」
セイファートはコンソールに向かった。
「バルジ、後二十年くらい経ったら、アスールたちを起こそうと思う。それまでに重力発生装置の不備を直したい。昔の私はここに理想郷を造りたかった。今からでも遅くはないだろう。ここで皆と暮らすんだ。地球人も私たちも一緒になって、地球の再生を見守りたい」
「何故、二十年後にするんだ?」
セイファートは悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。片目を瞑ってウィンクすると、
「その頃の私はもうアスールよりも年下ではない。大手を振って、父親面が出来る」
そう言うと、彼は楽しそうに笑った。バルジは苦笑した。
「何を笑ってるの?」
アルタがステラとコーヒーを運んできた。
「こうしていると、昔を思い出すなあ」
セイファートは大きく伸びをした。バルジもうなずいた。アルタがセイファートの頭を小突いた。
「セイファート、あたしに隠し事する気なの。許さないからね」
セイファートとバルジは顔を見合せて笑った。アルタは不満げに二人を睨んだ。
「アルタ、久しぶりに空を飛ばないか?」
思いついたようにセイファートは声を掛けた。アルタはパッと顔を輝かせて頷いた。バルジが呆れた顔になった。やれやれと言うように背中を丸めて、
「私はこれで帰る。セイファート、重力発生装置の件、早速に取り掛かってみるが、期待するなよ」
と、声を掛けると出て行った。彼もまたリーファに会いに行くことだろうとふとセイファートは思った。
セイファートはカペラを悠然と飛翔させた。アルタの蒼白竜が並んでついてくる。彼は下で手を振っている子供の為に、カペラを大きく旋回させた。戦渦の爪痕はまだ残っている。それでも、人々は生きていく。かつては神の楽園だった月は、いずれ神の手を離れ独自に発展していくことになる。それがまたどうなっていくのかはわからない。それでも希望は消したくない。人間は愚かではないのだと信じたい。
「アルタ、落ち着いたら私は旅に出たいんだ。旅の途中で君に出会った。私はまだ、旅の目的を果たしていない。あの時の旅に出たいのだ・・・アルタ、君に謝りたかった。あの時の君はバードたちと共に自由だった。私のした事は君の自由を封じ込める結果になった」
「やだな! セイファート、今更、何を言うんだよ。あたしは今だって、自由だよ。それよりもあんたに出会えて嬉しかった。全ては、あの宿屋であんたに出会ってから始まったんだ。あたしはその出会いで幾つもの真実を教えられた」
アルタは蒼白竜を優雅に羽ばたかせた。
「セイファート、あたしはまたあんたに出会えた事を感謝してるよ。今度は後悔しない生き方をするんだ」
蒼白竜が悠然とカペラを追い越した。セイファートも負けじとカペラを羽ばたかせた。二匹の竜は追い掛けっこをするように、リィバード大陸の空を自由に羽ばたいていく。
これで終わりです。語彙も乏しく、つたない文章を読んでいただきましてありがとうございました。




