赤い月へ
フレアは付きっ切りでアルタの面倒を見ていた。リーファも最初は初めて会う妹に戸惑っていたようだが、彼女と共に献身的な介護をしている。身体の傷はフレアが直したが、アルタはなかなか目覚めなかった。
「彼等と共に、あの赤い月に行く事になりました」
アスールと短い話し合いの後で、セイファートは地球に行く事を了承した。アスールが地球に引き上げる事を約束したからだ。彼はそれを見届けるために、地球に行く事になったと彼女たちに告げた。
「ルーファ皇女も連れてですか?」
フレアは非難する口調で尋ねてきた。セイファートはうなずいた。
「彼女はここに置いて行くべきです。赤い月がどんな状況かも分からないのに、病人を連れて行く事等私には出来ません」
憤慨したようにフレアは、セイファートに迫った。快活な妹のミラと違って、落ち着いた巫女姫として評判の彼女の怒った姿は、厳然として近寄り難かった。
「フレア皇女、彼等が赤い月、地球に戻る条件に私たちの同行を求めてきたのです。彼等をこのまま、このリィバード大陸に置く訳にはいきません。これ以上、無用な争いは続けたくないのです。このリィバード大陸の人々をアルタの様な目に遭わせたくないのです」
「ですが、ルーファ皇女だけはここに残す事は出来ないのですか?」
「フレア姫、わかって貰えませんか? 彼等は私たち五人を望んでいるのです。五人の内、一人でも欠ける事は許されないのです」
「私は参ります。ルーファも目覚めれば、たぶん行くと言うでしょう。生まれてからずっと今まで離れて育ちましたが、双子のせいか、そばにいるだけでルーファの気持ちが分かるような気がします。この子は私よりも意思の強い子です。この程度の事では、くじける子ではありません。そうですね、セイファート様」
控え目でオットリとした言い方だが、リーファは真っ直ぐにセイファートを見つめてきた。アルタと違う碧い瞳が、彼には寂しげで物悲しそうに見えた。
「わかりました」
目を伏せるようにフレアは答えた。セイファートはバルジと目を合わせて、ほっとしたように笑みを洩らした。本音は彼も彼女たちを連れては行きたくない。敵地に赴くのに、分が悪いことは十分承知している。だが、地球のことも気にかかるのだ。相反する心が二つある。それは実に厄介なことだと彼は小さく溜息を吐いた。
「ありがとう。皇女たちの護衛は、ハーシェルとステラにさせます。先程連絡を入れたので、もうじきここに来るでしょう。私たちは彼等を監視しなければならないので、そばについていられません。シャトルの準備が出来次第、地球に飛ぶ事になります」
セイファートはアルタに近寄った。彼女の頬がほんのりとピンク色をしている。ガラスケースに閉じ込められて、蒼白な顔だった彼女の顔とは雲泥の差だった。それだけでもほっとする。また彼女を失うのかと思うと心が締め付けられるように痛み、怒りで自分でもどうにかなりそうになった。彼は気持ちを切り換えるように、軽く首を動かした。
「アルタをお願いします」
部屋を出る間際に、セイファートはそう付け加えた。フレアが涼やかな茶色の瞳で、微笑んだ。彼がアルタと呼ぶルーファの事を一番心配している者が誰なのか、思い当ったからだ。自分が気にすべき事ではなかったのだ。フレアはセイファートの後ろ姿に微笑みながら、その瞳を翳らせた。
スクリーンに写し出された地球の光景に、セイファートは言葉を失った。赤茶けた大地を徘徊する奇妙な植物。我が者顔で飛び回る巨大昆虫。過去の記憶にある虫とは言い難い程に獰猛な性格らしく、シャトルを見つけると体当たりをしてきた。その対策にシャトルには、虫避けの特殊電磁気バリアが施してある。虫たちは、軽い電気ショックを受けると、遠巻にシャトルを取り囲み始めた。アスールが舌打ちをする。
「奴等は俺たちが地下空洞への遮蔽壁を開くところを狙っているんだ」
シャトルから幾つかの光線が、虫たちに向かって進んで行った。虫たちの中で閃光が煌めく。死骸が地面に落ちて行くと待ち受けていたように、ヒマワリの様な花が群がってきた。ハイエナが餌をついばむ姿に似ていると、セイファートは思った。
虫が怯んだ隙に、地面が割れて、シャトルはその中に吸い込まれた。天井が閉じられると、シャトルを誘導するように淡いオレンジの光が点々と付けられていく。その中をシャトルがゆっくりと下降していった。セイファートは下降が永遠に続くような錯覚を覚えた。
急に目の前が明るくなった。トンネルを過ぎてポッカリと開いた穴に出た、そんな感じである。目の前には透明なドームに包まれた一つの街が在った。街の中央に高くそびえるビルが目についた。街にはそのビルを中心に、放射線状の道とそれを横切るように同心円状の道が造られている。同心円を描くようにビルや工場らしきものが立てられて、一目で居住地区と工業地区とに区分けされているのが分かった。工業地区には巨大な発電所らしきものも見える。シャトルは隅にあるこじんまりとした空港に着地した。
空港のロビーには既に連絡が入れてあったのか、たくさんの人々が押し寄せていた。互いの無事を確かめるように抱合う者、子供の姿に顔を崩している者、恋人同志らしいカップルが肩を寄せ合って、涙ぐんでいる姿もある。セイファートはゲートの入口に立ち止まって、それを眺めた。バルジも彼の隣で人々の姿を見渡していた。
「人間はどこでも変わりませんよね」
リーファがバルジに声を掛けた。彼は後ろを振り向いた。リーファとフレアが立っている。二人共、再会を喜び合う地球人に柔和な眼差しを向けていた。目覚めないアルタの身体はステラが抱き抱えていた。ハーシェルが油断なく辺りに気を配っている。
人々の視線が自然とセイファートとバルジに集った。人々が戸惑ったようにささやき合う姿が見え始めた。不安と動揺が波紋の様に広がっていく。
「こっちだ。父さんに会わせよう」
アスールがセイファートたちをロビーの外へと誘導する。周りの人々が自然と彼らに道を開けた。皆一様に、アスールとセイファートを見比べている。彼は俯き加減に歩いた。まるで、見せ物にされているような感じさえ受ける。
「月に人間がいたそうよ」
「何故だ? 人間は月に住めなかったんじゃないのか?」
「あの女の子の背中を見た?」
「羽根だ。羽根が生えている」
「作り物じゃないのか?」
「いや、あれは作り物何かじゃない」
「一体、奴等は何者何だ?」
「あの姿、アスール様にそっくりじゃないか。後ろの男もバルジ様の若い頃に瓜二つだ」
「セイファート様じゃ。バルジ様がいつも仰っていらっしゃったセイファート様じゃ?」
「セイファート様?」
「そうだ、月に残られたセイファート様が我等の地球再生の為に来て下さったのじゃ」
年老いた男の声が人々にさざ波をもたらした。年配の者たちは皆、セイファートを崇めるように拝んだ。若輩の者たちはうさん臭そうな顔つきをする者、驚愕したように立ち尽くす者、あからさまに嫌悪の表情を見せる者等様々だった。
ロビーを過ぎると一台のエアカーが、待っていた。セイファートとバルジ、フレアがそのエアカーに乗せられた。リーファとアルタ、二体のヒューマノイドは、別なエアカーに押込まれている。セイファートはアスールを睨んだ。
「どう言う訳だ?」
「彼女たちには別なところで待っていて貰う。父さんは病気なんだ。大勢で来て貰っても困る。本当はお前たち二人だけでいいんだが、そこの女には父さんの病気を見て貰うために連れて行く」
「アルタたちの身の安全は保証して貰えるんだろうな」
「ここで、お前に暴れられたら困る。お前の変な力でこの街が破壊されたら、俺たちはどこにも行き場がなくなる。ここではお前たちには手だししない。その事は俺が約束する」
セイファートはアスールの緑の瞳を覗き込んだ。嘘を付いている目には見えなかった。
「わかった。信じよう」
そう言うと、セイファートはエアカーのシートに身を沈ませた。懐かしい乗り物だった。地球が滅ぶ前はいくつもの都市をたくさんのエアカーが走っていた。月では必要性を感じずに作らなかった。
空港を出ると中央のビルまで、一本のハイウェイが見えた。上から見た放射線状の道の一つだった。エアカーは滑るように道を走り出した。後ろにはリーファたちを乗せたエアカーが付いてきたが、途中で脇道に逸れた。行き先は居住区の方らしい。セイファートは横目でそれを追い掛けた。エアカーがビルの影に消えてしまうと視線を前に向けた。セイファートたちは中央にそびえ立つビルに連れて行かれるらしい。
セイファートは内心、尻込みしていた。バルジオリジナルに出会う事に対して、不安を覚えていたからだ。彼のオリジナルの記憶を蘇らせても、彼は心の底ではオリジナルを否定している。その自分がバルジオリジナルと出会ってもいいのだろうか? バルジオリジナルに心の内を見透かされそうで恐かった。いや、不甲斐ない自分をかつての友がどう思うのかとそればかり考えていた。
地球の再生、それがセイファートのオリジナル、創造神アゥスツールスの願いだった。だが、自分に果たしてそれが可能なのだろうか? 彼は動物の様に突然変異した植物と、巨大化して獰猛になった昆虫を思い浮べた。アゥスツールスは、あんな物が蔓延っているとは夢にも思わなかっただろう。彼等を駆除するには、かなりの年月と覚悟が必要になる。自分にはそれだけの器量があるのだろうか?神の知識をもってしても、あれらを排除するにはかなりの時間がかかる。地球の再生はやはり不可能なのかもしれないと不安になる。
生まれた時から、セイファートは伝説の子供として大事に育てられてきた。各皇国を回らされて、各皇国の特殊アビリティを身に付けさせられた。そのせいでセイファートは、一般庶民の生活を知らないで来た。王宮の窮屈な生活だけでなく、普通の人々の生活を見たかった。また、伝説の子供としての重圧から逃れたかった。旅に出掛ける気になったのは、レガゥールス皇国の皇子セイファートでなく、ただのセイファートになりたかったからだった。成年式を迎える前に出掛けた気楽な旅が、どうしてこうなってしまったのだろうか?
セイファートは視線を隣のバルジに移した。彼は腕組みして目を閉じていた。暝想でもしているみたいに、シートに身を潜ませている。そんな彼の姿にまた漠然とした不安がこみ上げる。
-バルジは平気なのだろうか?
聞いてみたいような気もするが、バルジに平然とした態度を取られたら、気後れしてしまう自分が情けなくなってしまう。
バルジの隣で凛として、落ち着いているフレアと目が合った。おっとりとした彼女がセイファートに微笑みを向けた。それは絶望気味になる彼にわずかな救いを与えてくれた。
「不安じゃありませんか?」
思わず、口に出してセイファートは顔を赤らめた。フレアがにっこりと笑みを浮かべた。
「いいえ、セイファート様とバルジ様が一緒にいて下さいますから、私は少しも不安ではありません」
「そうですか」
地球に向かうシャトルの中で、バルジが手短にフレアとリーファに事情を説明した。まだ、子供のリーファは怯えていたようだったが、フレアは少しも怯まなかった。
「多少の事はお父様から聞いております」
神の塔を管理する皇国の皇女であるフレアは、父王から地球と創造神アゥスツールスとの関わりを聞かされていたらしい。
「セイファート様とバルジ様が、大変な役目を持たされている事も分かっております。私はそのお手伝いをする為に、生まれてきたのだという事も分かっています。私で出来る事でしたら、何でも致します」
フレアは巫女姫らしく、毅然としていた。却って、セイファートの方が気後れしそうだった。その時バルジはリーファをなだめていた。彼女の身体がはかなげで消え入りそうなくらいに見えた。バルジが一言話し掛けると、怯えて泣きそうな顔になり、背中の羽根を震わせてバルジの腕の中に飛び込んだ。それ以来、バルジはリーファの保護者になった。バルジが暝想しているのは、リーファの事を考えているのかもしれないと、セイファートは思い直した。
アスールはエアカーの前の席で、身動き一つせずに前方を向いている。エアカーは自動操縦らしく、乗っているのはこの四人だけである。後部座席からその顔は見えないが、バルジと同じ様に目を閉じているようだ。




