祖母と僕
ーーーうぁ、魔女がいる。
土岐丈瑠¦(ときたける)が初めて母方の祖母に会った時の第一印象はそれだった。
曲がった腰のせいか、身長が百三十八センチの丈瑠と変わらない。かなり小さいだろう。しわしわの顔。ギョロっと大きな黒目を瞬いていて、髪は当然綺麗な白髪で腰までありそうな長さだ。今は後ろでひとまとめにされている。これで大きな鍋と黒いローブ、とんがり帽子を被っていれば立派な魔女の完成だろう。または大きな出刃包丁を持って山姥か。思わず白髪を振り乱し、追いかけてくる姿を妄想してしまった。ものすごく似合いすぎて恐ろしい。
「お前が丈瑠かい?宜しくね」
祖母は笑顔で歓迎してくれるようだ。慌てて妄想を消して返事をする。
「…はい。宜しくお願いします」
丈瑠は十歳で、小学校四年生だ。もともと都会に住んでおり、そこから田舎にある祖母宅を訪れたのだった。今は夏休みだが、長期休暇だから遊びに来たということではない。シングルマザーの母の都合でこれから祖母に預けられることになったのだった。いわゆる転校である。
「全く、莉子には困ったもんだ。自分は顔も見せずに電話だけで、丈瑠一人で来させるなんて。本当に母親かい」
一人娘だからと育て方を間違ったかねと呟く。
「……」
祖母の母親評価を改めておきたい希望が浮かんだが、祖母の言葉どおりなので、何もフォローできなかった。
実際、丈瑠は新幹線や電車やタクシーを乗り継いで来ている。もう大きくなったから一人でも大丈夫よね、と母である莉子は交通費とお昼代とどの新幹線に乗ればいいか、最寄り駅はどこかを書いたメモを丈瑠に渡しただけだった。一緒に行って挨拶や話などする気はなかったらしい。
息子の丈瑠からみても莉子は自由奔放で非常識なところがあった。男好きなのだろう、とにかく気がつくと自宅に連れてくる男性の顔が頻繁に変わっていた。この前の人はどうしたのかを聞くと、誰のこと?と逆に質問を質問で返されてしまう。曰く、とっかえひっかえしすぎて本人も覚えてないらしい。確かに莉子は息子の丈瑠から見ても容姿が整っていて綺麗である。告白されて深く考えずにとりあえず付き合うと言っていたような。莉子は独り身だから男性と付き合うことに反対はしないけれど、一応自分はまだ小学生だし、もうちょっと考えてほしいと思う。かなり切実に。
そもそも今回の転校だってーーー。
「ねえ、丈瑠。おばあちゃんちで暮らしてみない?」
「……え?」
「今付き合っている人がね、子供が苦手なんだって。私もあんまりかまってあげられなし、いっそのことおばあちゃんに面倒見てもらったほうがいいかと思ってね」
会ったこともない祖母宅に行けと軽い感じで言われたのだった。
むしろ、祖母は生きていたのかと驚いた。莉子は丈瑠の父親のことや祖父母、親戚のことなど一切教えてくれなかったのだ。
もうぶっちゃけてしまうと莉子は未婚の母であった。父親と思わしき男性と別れた後に妊娠に気付いたらしい。別れたばかりで寂しいせいもあり、そのまま丈瑠を産むことにしたそうだが。
ちなみに父親の連絡先は別れた勢いに任せて消去したため、莉子自身は忘れてしまっている。顔ももうろくに思い出せないそうだ。せめてどんな人だったかくらいは教えてほしいものである。
同じように祖母とも実家を出た後は連絡などしていなかったので、お互いの状況は風の便りで聞いていたらしい。親戚はというと、何それいたの?状態だったりする。後から祖母に聞いた話だと、皆田舎暮らしに耐えかねて遠くへ引っ越してしまい、疎遠になったそうだ。
「おばあちゃんいたんだ」
「あれ?言ってなかったっけ。おじいちゃんはね死んじゃったらしいけど、おばあちゃんはまだ生きてるはずだよ」
はずってなんだ。はずって。心の中で丈瑠は突っ込んだ。
「いいよ。母さんの好きにすればいい」
自由な莉子は誰にも止められない。丈瑠は何も反論する気も起こらず子供らしくない深いため息をついて母親を見上げた。莉子という反面教師がいるせいか丈瑠は十歳ながらしっかり者に育っていた。
そうして、丈瑠は祖母と一緒に暮らすことになったのだった。
丈瑠が祖母ーーメイちゃんと呼んでと言われたので、これからそう呼ぶことになったーー宅に来た日。これからお世話になるからと早速夕飯のお手伝いを申し出た。野菜の切り方も問題なく行う丈瑠の器用な包丁捌きにメイは感心したようで声をかけた。
「手慣れているね。莉子の手伝いしてたのかい?」
「ううん。母さんは帰って来ない日とかあったから、家事は僕がしてた。大抵のことは出来るようになったよ」
それを聞いてメイは顔をしかめた。いい子のお手伝いレベルじゃない。丈瑠は必要にかられて家事を覚えたのだ。そうしなければ生きていけないから。
本当に莉子はどうしようもない母親だ。子供がいることをもっと早く聞いていればすぐにでも引き取ったのに。子供がいることもこちらに預けることも同時に聞いたのだからメイが受けた衝撃は大きいものだった。しかも父親は誰だと聞いても覚えてないの一点張り。さらに未婚のままに産んだと知って、その勝手な振る舞いに怒りを感じて娘の顔を殴りたくなり、離れて暮らしていたことを後悔したのだった。丈瑠がもっと大きかったら絶対グレているだろう。むしろ、現在でもグレていいと思う。これで性格が歪んでいないのだから、真実、莉子の子供かどうか疑ってしまう。
「莉子はお前に会いにくることはないかもしれないねえ」
深いため息をつきながらメイは言った。ただでさえ、一緒に実家に来るという選択をしなかったのだ。本当に戻らないつもりなのかもしれない。
「メイちゃんの言うとおりだね。会わずにいればそのうち息子の僕がいたことを忘れるんじゃないかな」
全くありえないことではないので苦笑しながら丈瑠は同意する。
「…それは否定できないね。丈瑠には申し訳ないと思っているよ」
メイは真剣な顔で、ご飯を食べ終わったらこれからどうしていくか話をしようと伝えた。子供だからということではない。丈瑠は既にきちんと考える事ができる。これも莉子が放任のせいなのだから、何とも苦い思いしかなかった。
夕食後、茶の間にお茶を用意し、落ち着いたところでメイが話を始めた。
「莉子もね、父親の顔を知らないんだよ」
まじまじと祖母の顔を見た。間違いなく血は繋がっているようだ。
「おじいちゃんって死んじゃってるんだよね」
「ああ。お前のおじいちゃんは、莉子が赤ん坊の頃に病気で死んでねえ。莉子は私一人で育てたんだ。小さい頃からマイペースで自由な子だったよ。絶対あれは父親に似たと思っていた。おじいちゃんはね、とにかく色々出掛けることが好きでね。しょっちゅう私を置いてふらふらあっちこっちに出歩いていたんだ。で、たまに思い出したように帰って来た」
「すごい人なんだ」
「あの人は誰にも縛ることができなかった」
丈瑠は祖父の人となりを聞いて、まさしく莉子の父親だと思った。自分が今母親で苦労しているように祖母も苦労したらしい。親近感が沸き祖母と上手くやっていけそうだなと感じた。
丈瑠の部屋は客間にしていたところになった。莉子が昔使っていた部屋はとっくに物置と化していて使用不可となっていたからだ。
また、肝心の学校だが、とりあえず夏休み明けのニ学期からになった。丈瑠も村に着いたばかりで場所が分からないから、メイが時間をかけて村内を案内をするそうだ。
「ここは何もない所だからすぐに慣れるさ」
確かにこの村は電車もなく、車の渋滞もなく、人々の喧噪もない。
ただ聴こえるのは風の囁き。静かな空間。
「田舎って落ち着くね」
「莉子は嫌がったんだが。お前は本当に莉子に似なくて良かった」
メイは苦笑いのまま、言葉を続けた。
「丈瑠。一つだけ注意がある」
「何?」
「竹林の中には入ってはいけないよ」
「竹林?」
メイの話によれば、家の裏側にはちょっとした規模の竹林があり、土岐家の私有地なのだが、そこは立ち入り禁止だそうだ。
「どうして?」
「私も年だからね。竹林の管理なんて全くやってなかったのさ。おかげで草やら筍やら伸び放題、荒れ放題でねえ。中に入れば怪我しそうだからだよ」
「分かった」
丈瑠は祖母から注意されたことを破るつもりはなかった。立ち入るつもりは全然なかったのだ。
だが、結果的に丈瑠は竹林へ入ることになる。
そして、物語は始まっていくのだーーーーー。
お久しぶりです。新作投稿しました。宜しくお願いします。
別の連載作品は現在執筆中です。ようやく時間ができましたので、もうしばらくお待ち下さい。