【三題噺】電話からはじまる。
第一声がまず理解不能だった。
「もしもし。こちら悪魔です」
反射的に通話を切った自分は正しかったと思う。
しかしながら、電話をかけたという行為がすでに大きな間違いであった。
すぐに折り返しの電話。
リダイアル機能を今日ほど呪いたくなる日はもう二度と来ないだろう。
「……もしもし」
「なぜ切りやがった!」
嫌々に通話ボタンをプッシュすれば、大音量の抗議が耳元で響く。
「いくら下手物食いの俺でも、悪魔とメル友にはなりたくないんすよ。だから、他を当たってください」
「馬鹿か、お前はっ。電話しかしないわ!」
「そうすか。で用件はないんすか」
携帯を耳から十センチ離して問う。
相手の少女は待っていましたとばかりに、また声のボリュームを捻り上げた。
「お前の願いを叶えてはやらぬ。だから私の願いを叶えろ」
「どこの世界に人間に願い事する悪魔がいるんすか」
「はぁ?お前、悪魔とか信じてんのか、馬鹿か馬鹿だな」
「先に名乗ったの貴様だろうが。そんなん流れ星にでも三回、唱えててくださいよ」
「どうせ、お前は暇人だろう」
その一言に言い返せない俺は果たして暇人だろうか。
「まさか電話して来る奴がいるとはな」
少しだけ嬉しそうに少女がそう言って、俺は自分の浅はかさに肩を落とした。
俺は決して読書家じゃない。
ただ好きな本は何度も読むし、自分で買うことも多い。
今日は好きな作品の発売日だった。
三ヶ月ぶりの新刊に軽く興奮していたのを自覚している。
タイトルを見つけるなり、一番上にあったのを引っつかんで直ぐさま買った。
家に帰る道のりで気になって、オビだけ取り出して粗筋を読む。
本編は家に帰ってしっかりと読みたいからだ。
「ん?」
ふとオビの裏に不思議な手触りを感じてひっくり返す。
そこに並ぶのは鉛筆書きの十一桁の数字の羅列。
「携帯番号……か?」
そう言えばこのシリーズ一巻で、主人公とヒロインの出会いは電話からだった。
そう考えたらなんだか冒険心が刺激された。
ポケットから携帯を取り出し、好奇心のまま十一の数字を叩く。
もしかしたらファンの一人が話し相手を欲しているのかもと、笑いさえ零れた。
電話はワンコールで繋がった。
そして、
「もしもし。こちら悪魔です」
そんなふざけた声が俺の期待を砕いた。
「じゃあ、参考までに。願いの内容は?」
「廃校を止めさせてほしい」
「へぇ。悪魔にも学校があんのかー」
「ばっ! だから、悪魔じゃない!」
喚く相手はおそらく女子高校生だ。
うんざりとそう思う。
特殊な状況下だからこそのこの言い合い。
声だけの相手とはそういうものだ。
ましてや、もう二度と関わらない相手なら。
小さく息を吐く。
「俺、社会人なんすよ。だから、そんなに暇じゃないんっす」
ちなみに俺はバリバリの高校生男子だ。
面倒なことには白旗を上げて退散するに限る。
これ俺のモットー。
「お前、高校生だろ」
「いやーバリバリ社会人っすよ?」
「あの本を買う人間が社会人なわけない」
「はあ?」
唐突な台詞に眉根がよる。
少女の声が嘲るように歪んだ。
「あんな子供だましの本」
「な、お前!」
頭に血が上って思わず怒鳴る。
相手は怯えるも、怒鳴り返すもしなかった。
―----―もしかしたらファンの一人が話し相手を欲しているのかも。
そんな風に考えた俺が馬鹿だった。
「お前のいる学校なんて、とっとと終わればいい」
舌打ちする。
苛立ちが募った。
「廃校を止めてほしいなんて、本当は思ってない」
ぽつりと少女が言った。
機械を通した彼女の声は、さっきから一変し淡々としていた。
「無理なのはわかってる。ただ、誰かに知ってほしかっただけだよ、多分」
「知るだけで何が変わる」
「変わるよ。少なくとも私は変わる」
変われる―----―そう繰り返して少女は笑う。
その声音は悲しみを乗り越えたように、朗らかに聞こえた。
「わけわかんねぇし。悪魔とか廃校とか、自己完結してるなら電話すんなや」
「いや、電話してきたのはお前だから」
「あーはいはい」
適当に流して、ため息を吐く。
気づけば苛立ちは、見る影もなくて。
また、ため息をつく。
「あんた、名前は?」
そう尋ねる。
知り合いになりたいと、多少なりとも思う自分はやはり浅はかだろうか。
でも、この本のようになれたりはしないだろうか。
だから、俺は言う。
「悪魔でもなんでもいい。折角の出会いだから……」
「馬鹿者か、お前。見ず知らずの奴になんぞ名乗れるものか」
俺の勇気やら決意やらを、少女が残らずへし折る。
あれ、なんか俺、泣きたい。
そのまま数秒の沈黙が落ちる。
何も言えなくなった俺に少女はため息をひとつ零した。
「出会いは偶然」
むすりと彼女が言葉を発した。
それは小説の中で主人公が使う台詞の一片。
「ほら、ファンならわかるだろ」
「……再開は必然」
不機嫌な声に促されて、俺は続きを言う。
ありきたりな、どこかで聞いたことのあるような台詞。
それでも、好きな台詞。
電話の向こうで少女は今どんな顔をしているのだろうか。
どう笑うのだろうか。
――――――また会えるだろうか。
「また、会えたら名乗ってやろう」
「馬鹿、偉そうにすんな」
「泣きそうなくせに馬鹿が」
「泣かねぇよアホ」
偉そうな物言いに精一杯言い返す。
彼女は今、たぶん笑っている。
俺も笑っている。
お互いに少し和らいだ空気が流れ、
「じゃあな」
「あぁ」
曖昧に呟いて電話を切った。
一気に世界に引き戻される。
帰路の途中。
思わず、吐息が零れた。
変な時間だった。
手に残るオビに苦笑する。
「悪魔とか、何様だよ」
俺は携帯をポケットに突っ込むと、歩き出す。
家に帰って早く新作を読むのだ。
また、彼女に会えたらいいと思いながら。
後日、転校生が来た。
「芹沢環那です。よろしく」
「な、その声っ!?」
「うるさいぞ、小山田」
「す、すいません」
「そうか。じゃあ、芹沢、席について」
「はい」
彼女が俺の横を通りすぎる瞬間、
「やっぱり馬鹿か」
そう笑うのが聞こえて真っ赤になった。
まさか同じ学校になるなんてな。
彼の声を聞いてすぐにわかった。
ほら、社会人じゃなかった。
そして、期待を裏切らない馬鹿。
「やっぱり馬鹿か」
囁けば赤面するのがわかった。
少し愉快。
愉快だから、あの小説の作者なのだと後でこっそり教えてやろう。
再会したのだから、それぐらいはしてやろう。
席について私は小さく笑みを浮かべた。
彼の好奇心と怒りが嬉しかったのは、きっと一生の秘密だけどな。
三題噺として書きました。
帯、悪魔、廃校。