《ノエル・ブランジェ》その2
―お父様、今までお世話になりました。わたし、お嫁に行きます。―
入学早々、そんな報告ができるなんて、運命の出会いというのは、本当にあるものなんですね。
私は、先を歩く旦那様の三歩後ろを、慎ましく付いていっていました。
「おい」
ああ、愛しい方の声が私の耳をくすぐります。
「おい、おまえ!」
いつまでも聞いていたい麗しい声。
「聞いてんのか! てめぇー!」
振り返り、熱いまなざしを向けてこられる旦那様に私の胸もトキメキます。
「はい、何でしょう。旦那様♡」
「だ・か・ら! その旦那様はやめろー! 俺は! お前の! 旦那じゃねぇー!」
顔を真っ赤にされて、怒鳴ってきます。
フフッ。照れていらっしゃるのですね。
一見すると、ワイルドな方なのに、かわいい。
「では、何とお呼びすれば、いいのですか?」
「……」
私の問いに、旦那様はプイッとそっぽを向きます。
その仕草の意味が何なのか分からず、数秒首をかしげましたが、旦那様の言いたいことに気がつき、より一層愛しさがこみ上げてきました。
「もう、照れ屋さんなんですから~。名前を呼んでほしいんですね」
「はぁ?」
「名前で呼んでほしいのに、言い出せなくて、不機嫌になるなんて、かわいい~」
「脳みそ腐らしてるんじゃねぇ!」
そういうと、旦那様は、二つの拳で、私の頭を挟み、グリグリしてきたのです。
「いたい。いたいです~。旦那様~」
「だから、旦那じゃねぇーんだよっ!」
「でしたら、旦那様のお名前を教えてください。そうしたら、『旦那様』は止めますから~」
「本当か?」
「本当です~」
私が降参のポーズを取ると、あっさり放してくれましたが、ホコリを払うように、私に触れていた手をパンパン叩いているのが、少々に気になります。
「それで、旦那様のお名前は~」
「ぐっ、……ーク」
嫌そうな顔で、ボソボソとおっしゃいましたが、聞こえないので、私も旦那様呼び、続行です。
「はい? 何ですか? 旦那様?」
「うっ、……俺の名は……ジークだ!」
少々赤い顔で、ヤケクソ気味に名前を教えてくださいました。
やっぱり照れているようですね。
鋭い目つきもカッコイイですが、このような表情もキュンキュンします。
「ジーク様、お名前もカッコイイ~」
「……」
ジーク様は渋い顔で私を一瞥し、またプイッと前を向いて歩き始めました。
「これが、世に言うツンデレというやつですか! ハマリます~」
「誰がツンデレだ」
ジーク様は、無視も出来ぬが、声を張り上げるのも面倒くさいといった風情で、私から、離れていこうとしますが、私はめげずに付いてゆきます。
「ジーク様。それで、ジーク様は、どちらに向かってらっしゃるのですか?」
「どこでもいいだろう。付いてくるな」
天邪鬼で、ツンデレな照れ屋さん。それがジーク様。
先程の言葉の真意を脳内変換すると『つべこべ言わずに俺について来い!』ということになります。
私は、元気いっぱいに返事をしました。
「はい、わかりました!」
歩みを止めず、付いてくる私にジーク様はげんなり顔。
「全然、分かってねぇ」
あきらめたように、立ち止まり、振り返ります。
「お前の脳みそは一体どうなってんだよ」
「どうとは?」
「俺とお前は、今日初めて会ったばかりの赤の他人! どこをどうすれば、俺がお前の旦那様になるんだよ!」
「お父様がおっしゃっていました。『唇への誓いのキスは、将来の旦那様に捧げなさい』と。ですから、私の初めてを捧げたジーク様は、私の旦那様です。結婚式は、まだですが、私は、いつでもOKですよ」
「俺の気持ちは、どうなんだよ! あれは、お前が!勝手に!無許可で!やったんだ。俺に責任はない! よって、お前の結婚式だのなんだの発言は却下!」
「またまた照れちゃって~」
「照れてねぇっ!」
髪を逆立てて、怒鳴っています。でも、私にはジーク様が躊躇われる気持ちなど十分に分かっているんですよ。
「ジーク様は真面目ですから、気にしているのですね。私たちが学生だということを。でも、大丈夫です。たとえ未成年であっても、親の同意があれば、結婚できます。というわけで、レッツゴー!」
私は、ジーク様の腕に手をからめて、引っ張ります。
「おい! ちょっと待てー! どこにいくつもりだ!」
「どこって、もちろん。同意をもらいにいくんです。お互いの実家に」
実家という言葉にジーク様の顔が青ざめます。
「お父様とお兄様たちにジーク様を紹介できるなんて、嬉しいです~。それから、ジーク様が生まれ育った場所を拝見したり、ご家族とお会いしたり、できるんですね。わくわくドキドキです~」
「いやいや、おかしい。おかしすぎる! 待て! 待つんだー!」
足を踏ん張り、前進するのを阻むジーク様を見上げ、キョトンとする私の両肩を彼は、強い力でつかみます。
「落ち着けー。ちょ~と、落ち着こう」
そう私に言い聞かせるジーク様ですが、私はいたって普通でした。
ですが、私をどこにも行かせまいと、両手に力をこめるジーク様にうっとり。
「それほどまでに、私をジーク様のそばから離したくないのですね」
「違わないが、それは、違う!」
「はい?」
意味がよく分かりません。
「いや、だから、実家に行くのは待て!」
「なぜですか?」
「それは~……」
視線をさ迷わせ、考えるジーク様。
数秒後、ぎこちない笑みを浮かべ、こう言った。
「ほら、俺たち出会って一時間も経ってねぇじゃん。それでいきなり実家は……」
「愛し合っている二人に、時間は関係ありません」
にっこり笑って、再度歩き出そうとする私にジーク様は慌てます。
「待て、待て、待て」
そう言ったあと、ジーク様はひらめいたというように人差し指を立てて、提案しました。
「それに、俺、お前の名前も何もかも全く知らねぇし……。とりあえずそこから、始めよう。なっ、いいだろう?」
真剣なまなざしのジーク様に、陥落です。
「もちろんです!」
私のことを知りたくて、知りたくて、しょうがないなんて! そんなに愛されているなんて! 嬉しくてたまりません。
愛しい人の望み、叶えましょう。
私は、ジーク様の大きくて、ゴツゴツとした手と自分の手をからめ合わせ、引っ張っていきます。
「おいー! 今度はどこに行くー!」
「私のお気に入りの場所です~」
そう言って、私はグイグイとジーク様を引っ張っていくのでした。
どさくさに紛れて、ジーク様と手をつなぎます。ぐふふふふ。幸せです~。