プロローグ:断袖の境界線
鏡に映る己の姿を凝視しながら、私は何度目になるかわからない溜め息を吐き出した。
滑らかな白い肌、キリリと上がった眉、どこか儚げでありながらも涼やかな目元。
絹のように艶やかな黒髪を金の冠で一つにまとめ上げたその姿は、どこからどう見ても――見事なまでの「美少年」だった。
(いや、美少年なのはいいのよ。顔が良いのは大歓迎だし?)
私は頭を抱えた。
(なんで……なんで私、男になってんのよーーーーーっ!?)
かつて女子高生(※乙女ゲームと少女漫画が大好きな至って普通の女子)だった私の記憶は、トラックにはねられた衝撃とともに途切れている。
そして目覚めたとき、そこは絢爛豪華な朱塗りの柱と漆器が並ぶ、見知らぬ宮廷の寝台の上だった。
ここは「大華帝国」。歴史上の中国王朝によく似た、けれど聞いたこともない架空の繁栄国。
そして私の今の名は李 蓮鳳。
権力争いに敗れ、宮廷の最果てにある寒々しい宮に押し込められた、冷遇の第九皇子――十七歳。
「……まあ、いいわよ。女のドロドロした後宮で毒殺におびえるよりは、男として気楽に生きる方がマシかもしれないし」
最初はそう思い込もうとした。
前世の知識と、元・女の子ならではの細やかな気配りを活かして目立たず立ち回り、適当な時期に領地をもらって宮廷を脱出する。それが私の完璧な「第二の人生スローライフ計画」だったはずなのだ。
あの男に、見つかるまでは。
「――何を一人で呆けている、蓮鳳」
背後から響いた低い声に、全身の毛穴が一気に立ち上がる。
振返ると、そこには黒地に金の刺繍が施された重厚な朝服を纏う、一人の男が立っていた。
第一皇子にして、現在の実権を握る摂政――李 耀天。
冷徹無比。刃のように冴え渡る頭脳と、一国を平然と滅ぼしそうな圧倒的武勇を持つ、この国の真の支配者。そして、私の腹違いの兄だ。
「皇兄様……! な、なぜこのような辺ぴな宮に……」
慌てて膝をつこうとした私の手首を、すばやい動作で掴み上げられる。
ぐっと引き寄せられ、鼻先が触れそうな距離で、耀天の鋭い黄金色の瞳と視線が交差した。
(近っ!! 近いって!! 顔が良いだけに心臓に悪いから!!)
中身が女子の私にとって、超絶イケメンにこの距離で迫られるのは心術的に耐えられない。ドクドクと心臓がうるさく鳴り響き、思わず頬が熱くなるのが自分でも分かった。
「……ほう」
耀天が、不意に目を細める。
掴まれた手首から伝わる彼の体温と、男らしい体躯から漂う圧迫感。彼は私の顔をじっと見つめ、喉の奥で低く唸った。
「かつては私と目を合わせるだけで怯えて逃げ出していた愚鈍な弟が……いまや、そのような艶っぽい目をして私を見つめるようになったとはな」
「つ、艶!? 違います! これはただの生理現象で――」
「黙れ」
冷たい指先が、私の唇をすっと撫でる。
その触れ方に、ゾクリと背筋が凍りついた。……待って。いくら兄弟とはいえ、男同士の距離感としてそれはおかしくない!?
「お前は何かを隠している。私を欺き、その美しい牙を隠して何を企んでいる……?」
耳元で囁かれる低音ボイスに、私の理性が悲鳴を上げる。
違う、企んでなんてない! 私はただ命が惜しくて、平和に生きようとしてるだけ!
そして何より――あなた、男の弟に対してそんな熱い視線を向けないで!!
大華帝国の歴史には、皇帝が男寵を愛する『断袖の交わり』という言葉が存在する。
まさか……いやいやいや! 相手はあの冷酷無比な第一皇子よ!? 男に興味なんてあるはずが――
「……くそッ」
耀天が突如、苛立ったように私を突き放し、自身の顔を覆った。
その隙間から見えた彼の耳根が、かすかに赤く染まっているのを、私は見逃さなかった。
「……下がれ、蓮鳳。……今日のところはな」
苦々しい顔で踵を返し、嵐のように去っていく耀天の背中を見送りながら、私は床にへたり込んだ。
(……ねえ、嘘でしょ?)
私の中身は女子だけど、外見は間違いなく男。
そして相手は、男しか愛さないわけでもない、完璧すぎる皇子様。
……私、男として平穏に逃げ切るつもりだったのに。
もしかしてこの宮廷生活、色んな意味で詰んでる……!?
男としての生存戦略と、図らずも始まりかけてしまった男同士(?)の危険すぎる駆け引き。
こうして、私の波乱に満ちた第二の人生の幕が上がったのだった。




