勇者がいない世界
「かんぱーい!」
木製のジョッキがぶつかり合い、宴会場に乾いた音が響いた。
「カァーッ! 久々の酒は筋肉に染みわたるぜ!」
二メートル近い巨体の戦士が、並々と注がれたエールを一気に飲み干す。空になったジョッキは勢いよく卓へ置かれ、隣の皿が跳ねた。
「あなたは脳みそまで筋肉でできているのかしら」
魔法使いは呆れたように肩をすくめる。黒ストッキングに包まれた長い脚を組み替えながらワインを口に含み、その香りを楽しんだ。
「……マリアージュ」
僧侶は果実酒を舐めるように飲み、少女の体に似合わない量の肉、魚、サラダなどを口に運んでいた。
卓には豪快な鳥の丸焼きや香草をまぶした魚、殻に身がギッシリと詰まった甲殻類があり、酒瓶は尽きる気配もない。
周囲を見渡せば、何人いるか見当もつかないほどの人々がどんちゃん騒ぎをしていた。
戦士が鳥の脚を引きちぎりながら言った。
「それにしても魔王討伐まで本当に長い旅だったな」
「4年もよ?誰かさんが何度も罠に引っかかってくれたおかげかしら」
「俺は罠の位置を確認していただけだ」
「自慢の身体で?」
魔法使いの言葉に、僧侶が小さく吹き出した。
その後も勇者一行は思い出話に花を咲かせた。
やれ戦士の体臭が無駄にいい匂いなのがムカつくだの、ムカつかないだの。
やれ魔法使いが初めてドラゴンを見た時にチビっただの、チビってないだの。
やれ稼いだ路銀のほとんどの使い道が僧侶の食費だの、そうでないだの。
やれ勇者イレンが真面目すぎるだの、細かすぎるだの。
その時——
3人は話していてあることに気がついた。
なぜ勇者イレンがここにいないのかと。
あの勇者がこの食卓の席に座らないなど、考えられなかったからだ。
「なぁ、誰かイレン見てねぇか?」
空いたジョッキを置き、戦士があたりを見回すが、お目当ての男の姿はない。
「見かけたらすぐに声をかけていますわ。それよりも、なぜイレンがいないことに気づかなかったのかしら。この宴の主役ですのよ?」
戦士はハッとしたように目を見開き、僧侶は握っていたフォークを手から落とした。
なぜ勇者だけがいないのか...
沈黙が訪れる。
まさか...
3人の脳裏には嫌な想像がよぎった。
人類最強と謳われ、誰も抜くことのできなかった聖剣エクスカリバーを片手で引き抜いた男が死ぬはずが——。
そんな時、足音が聞こえてきた。
足音はだんだんこちらに近づいてくる。
視線を足音の方へ向けるが、深くフードを被っており顔はよく見えない。
しかし、腰には見覚えのある剣を帯びていた。
謎の人物が3人の前でフードを取ると、見慣れた中性的で端正な顔立ちをした青年が立っていた。
勇者であった。
3人は大きく目を見開いた後、肩の力が抜けたように椅子の背に体重を預けた。
勇者はどこか浮かない表情で「やぁ」声をかけると、空席になっていた椅子を引いた。
「どこ行ってたんだよ。筋トレでもしてたのか?」
戦士が少し上擦った声で腕立て伏せの真似をした。勇者は「君じゃないんだから」と乾いた声で応えた。
「あなたは...魔王ハザルを討伐した後のことを覚えているの?」
3人は確かに魔王ハザルの首が聖剣エクスカリバーで跳ね飛ばされたことを目撃している。だが、そこから先の記憶がなかったのだ。
僧侶がジッと勇者を見つめる。
「?...あるよ。もしかして君達は記憶がないのかい?」
3人はフルフルと首を横に振る。勇者は目を見開いた後、「そうか...……」と小さく呟いた。
大きく息を吐いた後、勇者は少し震えている口をゆっくりと開いた。
「僕達は——」
勇者が全てを語り終わると3人の顔は青ざめていた。
そこには真実を知ってしまった4人。
まだ知らぬ国民が3万7560人。
宴の会場は天国であった。
初投稿です。
読んでくださった皆様ありがとうございます。




