第8章
通路から戻ったあと、
レオンハルトはすぐに城の作戦室へ向かった。
エリシアも同行を求められ、
緊張した面持ちでその後ろを歩く。
作戦室には、
側近の将校たちがすでに集まっていた。
地図が広げられ、
通路の奥の扉が赤い印で示されている。
将校の一人が報告した。
「扉の向こうは、旧倉庫群です。
十数年前の汚染発生時、最初に封鎖された区域でもあります。」
別の将校が続ける。
「汚染の“核”がある可能性が高いと見ています。」
エリシアは地図を見つめた。
胸の奥がざわりと揺れる。
(……あの奥……
やっぱり……何かが……)
レオンハルトは地図を指しながら言った。
「問題は、扉そのものが汚染に“反応”していることだ。
通常の手段では開かない。」
将校たちは一斉にエリシアを見る。
「……あの光は、扉を浄化していたのか?」
「いや、反応していたように見えたが……」
「彼女の加護が鍵になるのは間違いない。」
エリシアは肩をすくめ、
視線を落とした。
(……私……
そんな大層な……)
レオンハルトはその様子を横目で捉えた。
下を向く姿は、
怯えではなく、
**“自分の役割を慎重に受け止めようとする者”**の姿だった。
(……あの子は、重荷を背負う前に必ず立ち止まる。
だが、逃げるためではない。)
レオンハルトは静かに言った。
「彼女は、汚れの“深さ”を察知できる。
奥に何があるかを知るには、彼女の感覚が必要だ。」
エリシアは驚いて顔を上げた。
「わ、私……
そんな……大したことは……」
将校の一人が言った。
「あなたが触れた場所だけ、汚染が反応した。
それは、我々にはできないことです。」
別の将校が続ける。
「あなたの力は、戦力ではなく“指針”です。
どこが危険で、どこが進めるのか……
あなたの感覚が頼りになる。」
エリシアは胸に手を当てた。
(……私の……感覚……
役に立つ……?)
レオンハルトは彼女の前に立ち、
静かに言った。
「エリシア。
君は“苦しむ場所”に気づける。
それは、この国を救うための重要な力だ。」
エリシアの胸が強く揺れた。
(……苦しむ場所……
私……ずっと……
それを感じて……)
「だが、同行するかどうかは君が決めろ。
強制はしない。」
エリシアは深く息を吸い、
ゆっくりと顔を上げた。
「……行きます。」
将校たちがざわめく。
レオンハルトは一瞬だけ目を細めた。
その瞳には、
**“覚悟を受け止める者”**の静かな光が宿っていた。
「理由を聞いてもいいか。」
エリシアは胸に手を当てたまま言った。
「……あの奥……
すごく……苦しそうでした。
放っておけません。」
作戦室が静まり返る。
レオンハルトはゆっくりと頷いた。
「……わかった。
ならば、私が必ず守る。」
その言葉は、
軍人の誓いであり、
ひとりの人間としての約束でもあった。
将校たちは一斉に敬礼した。
「調査隊、明朝出発の準備に入ります!」
「装備を強化し、汚染対策を万全に!」
レオンハルトはエリシアに向き直った。
「今日は休め。
明日、扉の前で合流する。」
エリシアは小さく頷いた。
(……明日……
あの奥へ……
行くんだ……)
胸の奥で、
静かな決意が確かに灯っていた。
翌朝。
城の中庭には薄い霧が漂い、
空気はひんやりとしていた。
エリシアは胸の前で手を組み、
ゆっくりと息を整えた。
(……今日……
あの奥へ……行くんだ……)
緊張で指先が冷たくなる。
けれど、胸の奥には静かな決意が灯っていた。
通路の前には、すでに調査隊が集まっていた。
兵士たちは重装備で、
汚染対策の布をしっかりと巻いている。
レオンハルトがエリシアに気づき、
ゆっくりと歩み寄った。
「体調はどうだ。」
「……大丈夫です。」
レオンハルトは彼女の顔色を一瞬だけ観察し、
その瞳に宿る“揺れ”を読み取った。
(……怖くても、進むつもりか。)
「無理はするな。
だが……君が来てくれて助かる。」
エリシアは小さく頷いた。
通路を進むと、
昨日光を取り戻した部分が淡く輝いていた。
その光が、まるで道しるべのように続いている。
奥へ進むほど、
空気が重く沈んでいく。
兵士たちは緊張した面持ちで周囲を警戒する。
「……昨日より濃い……」
「気を抜くな。」
エリシアは胸に手を当てた。
(……ここ……
やっぱり……苦しんでる……)
レオンハルトは横目で彼女を捉えた。
下を向くその姿は、
怯えではなく、
**“痛む場所に寄り添おうとする者”**の姿だった。
(……あの子は、こういう場所を避けられない。)
扉の前に立つと、
昨日よりも黒い筋が濃く、
まるで生き物のように脈打っていた。
兵士たちが息を呑む。
「……これは……」
「昨日より……反応が強い……」
エリシアは扉に近づいた。
胸の奥が強く締めつけられる。
(……泣いてる……
昨日より……ずっと……)
指先が勝手に伸びる。
触れた瞬間──
「っ……!」
強い熱が走り、
エリシアは思わず手を引いた。
レオンハルトがすぐに支える。
「エリシア!」
エリシアの指先は淡く光り、
扉の黒い筋がざわりと揺れた。
兵士たちがざわつく。
「……扉が……反応している……?」
「まるで……彼女を認識しているようだ……」
レオンハルトは扉を見つめ、
低く言った。
「開く準備をしろ。」
兵士たちが一斉に動き出す。
エリシアは扉に手を当てたまま、
震える声で言った。
「……ここ……
すごく……苦しい……
でも……
“開けてほしい”って……
言ってます……」
作戦室での言葉が蘇る。
──あなたの力は“指針”です。
レオンハルトはエリシアの手を包み込み、
静かに言った。
「無理をするな。
だが……君がそう感じるなら、
扉は開くべきだ。」
エリシアは小さく頷いた。
(……私……
この扉の向こうに……
行かなきゃ……)
指先の光が強くなり、
扉の黒い筋がゆっくりと後退していく。
兵士たちが息を呑む。
「……浄化している……?」
「いや……違う……
扉が……“応えている”……」
レオンハルトは目を細めた。
(……彼女の力は、ただの浄化ではない。
“呼応”だ。)
扉が低く唸り、
重い音を立てて揺れ始めた。
「……開くぞ!」
兵士たちが構える。
エリシアは胸に手を当て、
静かに目を閉じた。
(……大丈夫……
私は……聞こえてる……
この奥の……声……)
扉が、ゆっくりと──
軋むような音を立てて──
開き始めた。
扉が軋むような音を立てて開いた瞬間、
冷たい風が通路へ流れ込んだ。
その風は、ただ冷たいだけではない。
胸の奥をざわつかせる、重い気配を含んでいた。
エリシアは思わず息を呑んだ。
(……ここ……
空気が……泣いてるみたい……)
レオンハルトは彼女の肩に手を置き、
静かに言った。
「無理を感じたらすぐに言え。」
エリシアは小さく頷いた。
扉の先は、広い地下倉庫だった。
天井は高く、梁が黒い筋に覆われている。
床には乾いた泥が積もり、
中央には大きな“穴”のような窪みがあった。
兵士たちは周囲を警戒しながら進む。
「……ここが……汚染の中心……?」
「空気が……重すぎる……」
エリシアは胸に手を当てた。
痛みではない。
けれど、
深く沈んだ悲鳴のようなものが、
胸の奥に響いてくる。
(……ここ……
ずっと……誰にも触れられなくて……
苦しかったんだ……)
レオンハルトは彼女の表情を見つめ、
静かに思った。
(……あの子は、場所の“孤独”にまで気づくのか。)
エリシアが一歩踏み出すと、
指先が淡く光り始めた。
兵士たちが息を呑む。
「……また光が……」
「昨日より強い……?」
レオンハルトは低く言った。
「反応している。
ここが“核”に近い証拠だ。」
エリシアは光る指先を見つめた。
(……呼ばれてる……
もっと……奥へ……)
中央の窪みに近づくほど、
光は強くなっていく。
窪みの縁に立った瞬間、
エリシアの胸が強く締めつけられた。
「……っ……!」
レオンハルトがすぐに支える。
「エリシア!」
エリシアは震える声で言った。
「……ここ……
すごく……苦しんでます……
でも……
“誰かを待ってる”みたい……」
兵士たちは顔を見合わせた。
「待っている……?」
「何を……誰を……?」
レオンハルトは窪みの奥を見つめた。
黒い泥が固まり、
まるで“何か”が埋まっているように見える。
(……これは……ただの汚染ではない。)
エリシアは窪みの縁に手を伸ばした。
触れた瞬間──
「……っ!」
強烈な光が走り、
黒い泥がざわりと揺れた。
兵士たちが後ずさる。
「……動いた……!」
「生きているのか……?」
レオンハルトはエリシアを抱き寄せ、
彼女の手を守るように包んだ。
「危険だ。離れろ。」
だが、エリシアは首を振った。
「……大丈夫……
怖くない……
この奥……
“助けて”って……言ってます……」
レオンハルトは息を呑んだ。
(……あの子は、こんな状況でも……
恐怖より先に“寄り添う”のか。)
光が収まったとき、
窪みの奥で“何か”が動いた。
黒い泥が割れ、
その下から──
淡い光を帯びた“石のようなもの”が姿を見せた。
兵士たちがざわつく。
「……核……?」
「いや……これは……」
エリシアは震える声で呟いた。
「……泣いてる……
ずっと……
ここに閉じ込められて……」
レオンハルトはその“石”を見つめ、
静かに言った。
「……これが、汚染の源……?」
だが、次の瞬間──
石の表面に、
かすかな“ひび”が走った。
エリシアの指先が強く光る。
(……呼ばれてる……
この“中”に……)
レオンハルトは彼女の手を掴み、
低く言った。
「エリシア。
これ以上は危険だ。」
エリシアは迷いながらも、
石から目を離せなかった。
(……この中に……
誰かが……いる……?)
石のひびが、
ゆっくりと──
光を漏らし始めた。
石のような“核”に走ったひびは、
ゆっくりと光を漏らしながら広がっていった。
エリシアは息を呑んだ。
(……この光……
昨日の“痛み”とは違う……
もっと……深い……)
レオンハルトは彼女の肩を支えたまま、
核を鋭く見つめていた。
「兵士たちは後退しろ。
何が起きるかわからん。」
兵士たちは一斉に距離を取る。
エリシアの指先が、
核の光に呼応するように強く輝き始めた。
「……っ……!」
胸の奥が熱くなる。
痛みではない。
けれど、
誰かが必死に手を伸ばしてくるような感覚があった。
(……触れたい……
この“奥”に……)
レオンハルトはその変化に気づき、
低く言った。
「エリシア、離れろ。
これは……ただの汚染ではない。」
エリシアは首を振った。
「……大丈夫……
怖くないんです……
この中……
“助けを求めてる”……」
レオンハルトの眉がわずかに動いた。
(……あの子は、どんな状況でも……
まず“救おう”とするのか。)
ひびがさらに広がり、
核の表面がぱきりと割れた。
兵士たちが息を呑む。
「……割れた……!」
「何か……出てくる……?」
黒い泥が崩れ落ち、
その下から──
淡い光を帯びた“影”が姿を見せた。
人の形に近い。
だが、輪郭は揺らぎ、
まるで霧のように不確かだった。
エリシアは胸に手を当てた。
(……この存在……
ずっと……閉じ込められて……
苦しかったんだ……)
影はゆっくりと顔を上げた。
目のような部分が、
エリシアの光に反応して揺れる。
レオンハルトは剣に手をかけた。
「下がれ、エリシア。」
だが、影は攻撃する気配を見せなかった。
むしろ──
エリシアの光に引き寄せられるように、
ふらりと手を伸ばした。
エリシアは一歩前に出た。
「……大丈夫……
この子……
私を……呼んでる……」
レオンハルトの目が大きく揺れた。
「エリシア、危険だ!」
「違います……
この子……
“助けて”って……
ずっと……」
影の手が、
エリシアの指先に触れた。
その瞬間──
光が爆ぜるように広がった。
エリシアの加護の光と、
影の淡い光が重なり合い、
まるで“呼吸”するように脈打ち始めた。
兵士たちは後ずさる。
「……なんだ……これは……」
「浄化……?
いや……違う……」
レオンハルトはエリシアを見つめた。
その表情には、
初めて“恐れ”が混じっていた。
(……彼女は……
汚染の“核”と……
共鳴している……?)
エリシアは影の手を握り返した。
その瞳には、
恐怖ではなく、
深い慈しみが宿っていた。
「……大丈夫……
もう……ひとりじゃない……」
影の輪郭が揺れ、
光が強くなる。
レオンハルトは息を呑んだ。
(……あの子は……
“敵”とすら……寄り添おうとするのか。)
光が収まったとき、
影はかすかに形を整え、
エリシアの前に膝をついた。
そして──
かすれた声が、
空気を震わせた。
「……たす……け……て……」
エリシアは目を見開いた。
(……聞こえた……
本当に……)
レオンハルトは剣から手を離し、
影を見つめた。
「……意思がある……?」
兵士たちは震える声で言った。
「汚染の核が……
“言葉”を……?」
エリシアは影の肩にそっと触れた。
「……大丈夫……
あなたを……助けます……」
影はその言葉に反応し、
淡い光を震わせた。
レオンハルトは静かに息を吐いた。
(……あの子にしか……
届かない声だ。)




