第6章
大広間の中央にできた“白い円”は、
荒れた城の中で唯一の光だった。
エリシアは胸に手を当て、
その光を見つめていた。
そのとき、廊下の向こうから複数の足音が響いた。
「将軍様、巡回報告が──」
声が途中で止まる。
兵士たちが大広間に足を踏み入れ、
中央の白い円と、
そのそばでハンカチを握るエリシアを見て固まった。
「……床が……露出している……?」
「いや、違う。
汚染層が……剥がれている……?」
住民のような驚きではなく、
状況を分析する軍人の目だった。
エリシアは驚いて身を縮め、
視線を足元へ落とした。
その姿を、兵士たちは“怯え”ではなく、
**「自分の立場をわきまえる者」**として受け取った。
レオンハルトは一歩前に出て、
兵士たちの視線を遮るように立った。
「彼女の加護によるものだ。」
兵士たちは息を呑む。
「加護……?」
「汚染層を……剥離させたのですか?」
「将軍様、これは……
戦略的価値が高すぎます。」
住民とは違い、
兵士たちの反応は“国防”の視点だった。
レオンハルトは淡々と頷いた。
「この国の汚染源を暴く鍵だ。
扱いには注意しろ。」
兵士たちは一斉に姿勢を正した。
「了解しました。」
「保護対象として扱います。」
「接触は最小限に。
将軍様の指示を最優先に。」
エリシアは慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……
勝手に……汚れていたので……」
兵士の一人が、
彼女の言葉に眉をひそめた。
「勝手に、ではありません。
汚染層を剥がせる者など、
これまで一人もいなかった。」
別の兵士が白い円を見つめながら呟く。
「……この規模の浄化が可能なら、
城内の安全区域を広げられる……」
「補給路の確保も……
いや、これは大きい……」
住民のような感謝ではなく、
軍事的・戦略的な評価が飛び交う。
レオンハルトは横目でエリシアを捉えた。
下を向くその姿は、
昨日まで“暗い”と誤解されていたものとは違う。
今は、
**“国の命運を左右する存在の慎ましさ”**に見えた。
兵士の一人がレオンハルトに向き直る。
「将軍様。
この者の行動範囲はどうしますか?」
「当面は私の監督下だ。
勝手に近づくな。」
「了解。」
エリシアは驚いて顔を上げた。
「わ、私は……そんな……
大した者では……」
レオンハルトは短く言った。
「君がどう思おうと関係ない。
事実として、君はこの国を動かす。」
兵士たちは深く頭を下げた。
「将軍様の判断に従います。」
「保護対象として扱います。」
「必要な支援があれば、すぐに。」
エリシアは胸が熱くなった。
(……誰も……
私を“守る対象”として扱ったことなんて……
なかったのに……)
レオンハルトは静かに告げた。
「今日はここまでだ。
無理をすれば、加護が鈍る。」
エリシアは小さく頷いた。
「……はい。」
レオンハルトは彼女の横を通り過ぎながら、
一瞬だけ視線を落とした。
下を向く彼女の姿を、
“弱さ”ではなく“強さ”として見るようになった自分に気づく。
(……この国の光は、彼女だ。)
エリシアは胸に手を当て、
そっと息を吸った。
(……ここでなら……
私……働けるかもしれない……)
その小さな決意は、
確かに彼女の中で芽生えていた。
大広間の掃除を終えた翌日、
エリシアはレオンハルトに呼ばれ、城の中庭へ向かった。
朝の光は弱く、
中庭の噴水は黒い泥に覆われていた。
水は濁り、底が見えない。
レオンハルトは噴水を見つめながら言った。
「ここは城の水源のひとつだ。
汚染が進みすぎて、今は使われていない。」
エリシアはそっと縁に近づき、
濁った水を覗き込んだ。
(……ここも……汚れてる……
でも……昨日より……重い……)
レオンハルトは横目で彼女を捉えた。
下を向くその姿は、
怯えではなく、
**“汚れの流れを読む者の姿勢”**に見えた。
「無理なら言え。」
エリシアは首を振った。
「……やってみます。」
ハンカチを取り出し、
噴水の縁をそっと拭いた。
その瞬間──
光が走り、
黒い泥が剥がれ落ちた。
だが、昨日とは違う。
光は弱く、
剥がれた泥の下から現れた石は、
まだくすんでいた。
「……あれ……?」
エリシアはもう一度拭いた。
光は出るが、すぐに消える。
レオンハルトは静かに言った。
「加護の反動だ。
昨日、広間で力を使いすぎた。」
エリシアは驚いて顔を上げた。
「わ、私……そんなつもりじゃ……」
「わかっている。
だが、加護は万能ではない。
使えば疲れる。」
エリシアは胸に手を当てた。
確かに、昨日より体が重い。
(……私……疲れてる……?
掃除しただけなのに……)
レオンハルトは彼女の様子を観察した。
下を向くその姿は、
自分を責めているようにも見えた。
(……責任を感じる必要はない。
加護の限界を知るのは、むしろ良いことだ。)
そのとき、兵士が駆け寄ってきた。
「将軍様! 井戸の水質がさらに悪化しています!」
レオンハルトは短く頷いた。
「案内しろ。」
エリシアもついていく。
井戸は中庭の端にあった。
水面は黒く濁り、
底から泡がゆっくりと浮かんでいる。
兵士は眉をひそめた。
「このままでは……
城内の飲み水が……」
エリシアは井戸の縁に手を置いた。
その瞬間、
指先に“ざらり”とした感触が走った。
(……ここ……
すごく……汚れてる……)
レオンハルトは彼女の手元に視線を落とした。
その細い指が震えているのを見逃さない。
「無理だ。」
「……やります。」
エリシアはハンカチを取り出し、
井戸の縁をそっと拭いた。
光が走る。
だが──
次の瞬間、
エリシアの視界がふっと揺れた。
「……っ」
レオンハルトがすぐに腕を支えた。
「限界だ。」
エリシアは息を整えながら、
かすかに首を振った。
「……でも……
少しだけ……綺麗になりました……」
確かに、
井戸の縁の一部は白さを取り戻していた。
兵士は驚きの声を漏らした。
「……これだけでも……
水質が変わるかもしれない……」
レオンハルトはエリシアを支えたまま言った。
「今日はここまでだ。
これ以上は危険だ。」
エリシアは申し訳なさそうに下を向いた。
「……すみません……
役に立てなくて……」
レオンハルトはその言葉に、
わずかに眉を動かした。
(……役に立っている。
誰よりも。)
「君がいなければ、
この井戸はもう使えなかった。」
エリシアは驚いて顔を上げた。
レオンハルトの視線は、
昨日までの“観察”ではなく、
**“信頼”**に近いものだった。
「休め。
加護は君の体に負担をかける。」
エリシアは小さく頷いた。
(……私……
本当に……役に立てたんだ……)
その小さな実感は、
彼女の胸の奥で静かに広がっていった。




