第1章
王城の大広間は、春の祝宴にふさわしく華やかに飾られていた。
色とりどりのドレスが揺れ、笑い声が響く中、ただ一人、侯爵令嬢エリシアだけが俯いていた。
視線は床。
癖で、つい“汚れ”を探してしまう。
(……あ、あそこ、少しだけ埃が……)
緊張すると、どうしても手が動く。
エリシアはそっとハンカチを取り出し、足元の床を拭いた。
「エリシア、やめなさい。みっともない。」
母の冷たい声が刺さる。
父も兄も、遠巻きに眉をひそめている。
「本当に……令嬢らしくない子だわ。」
「早く片付いてくれればいいのに。」
家族の視線は、いつも通り冷たい。
そのやり取りを、
大広間の後方に立つレオンハルトは静かに見ていた。
(……彼女は叱られているのに、反論しない。
怯えているわけでもない。
ただ“汚れ”が気になるだけのようだ。)
彼の鋭い視線は、エリシアの指先の震えまで捉えていた。
(緊張で……掃除を?
珍しい癖だが、悪意はない。)
外交のために仕方なく参加していた彼は、
この国の華やかさの裏に漂う“薄い不誠実さ”をすでに感じ取っていた。
そして今、目の前の令嬢に向けられる家族の冷たさに、
その感覚はさらに強まっていく。
エリシアがもう一度床を拭いた瞬間、
床石がかすかに光り、“ぽとり”と何かが落ちた。
「……え?」
拾い上げると、甘い香水の匂いがする恋文。
差出人は、見覚えのある高位貴族の名。
「それ、返してくださる?」
涼やかな声が響いた。
声の主は、エリシアの婚約者である公爵家の令息アレクシスの隣に立つ、華やかな令嬢リリアナ。
アレクシスは、そんなリリアナに微笑みかけながら、
エリシアを冷たく見下ろした。
「エリシア。君は本当に……暗い女だな。
いつも下を向いて、床ばかり見て。
そんな趣味、誰が好むと思う?」
レオンハルトの眉が、わずかに動いた。
(……暗い?
違う。彼女は“下を向かされている”。
家族にも、婚約者にも。)
エリシアは胸が痛むのを堪えながら、
もう一度床を拭いた。
その瞬間、宝石箱、金貨の袋、リリアナ宛の恋文が次々と床に散らばった。
大広間がざわつく。
「リリアナ嬢、これは……?」
「浮気……?」
「いや、これは……!」
リリアナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「違うわ! この女が仕組んだのよ!」
アレクシスも声を荒げる。
「エリシア、君はどこまで僕を侮辱すれば気が済むんだ!」
エリシアは慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……!
こんなに汚れていたなんて……私、気づかなくて……!」
レオンハルトは静かに息を吐いた。
(……彼女は本気で“汚れ”だと思っている。
ならば、これは彼女の魔法か。
隠し事を暴く……そういう類の。)
彼はゆっくりと前に出た。
「……彼女は、何もしていない。」
その声は低く、よく通った。
大広間が一瞬で静まり返る。
レオンハルトは散乱した証拠品を冷静に見下ろし、
淡々と告げた。
「隠していたものが、出てきただけだ。」
アレクシスが震える声で叫ぶ。
「な、何を根拠に……!」
「根拠は、そこにある。」
レオンハルトの視線は鋭いが、怒りではない。
ただ事実を述べているだけの、冷静な目。
(この国は……隠すことが多すぎる。)
エリシアは震える手でハンカチを握りしめたまま、
ただ呆然と立ち尽くしていた。
(どうしよう……本当に、ただ掃除しただけなのに……)
その無垢な表情を見て、
レオンハルトは静かに決断した。
「……エリシア嬢。ここは危険だ。
あなたを保護する。」
「え……?」
「君は、何も悪くない。」
その言葉は、エリシアの胸にそっと落ちた。
誰にも肯定されなかった“自分の行動”を、
初めて肯定してくれた人。
レオンハルトは、彼女の震える肩を見つめながら思う。
(……この国に置いておくべきではない。)
大広間のざわめきの中、
エリシアは小さく頷いた。
そして、彼女の“掃除”が世界を動かす物語が、静かに始まった。




