回避不能な強制エンカウント
奴隷商人イベントを未然に潰してからというもの、俺の生活には束の間の平穏が訪れていた。厄介なイベントもなく、ただひたすらルナを荷物持ちとして引き連れ、地味な薬草採取クエストをこなす日々。稼ぎは少ないが、命の危険はない。これこそ俺が望んだ、完璧なモブライフだった。
「このまま何も起きなければ、貯金して辺境の村にでも引っ越すか……」
そんな甘い考えが、いかに愚かだったかを思い知らされるのに、時間はかからなかった。
市場でルナ用の新しいブーツ(もちろん実用性重視の安物だ)を選んでいた、その時だった。
周囲の空気が、ふと変わった。雑然としていた人々の流れが、まるでモーゼの十戒のように左右に割れていく。その道の先から現れたのは、質素ながらも上質な衣服をまとった一団。屈強な護衛たちに守られるようにして歩く中心人物は、金色の髪をなびかせた、いかにも気の強そうな美少女だ。
その光景を見た瞬間、俺の脳内に、これまでで最大級の警告音が鳴り響いた。
(嘘だろ……『お忍びで城下町を視察中のワガママ姫』じゃないか!)
ラノベ知識が告げている。これはダメなやつだ。絶対に関わってはいけないタイプの超大型イベントだ。ここで彼女とエンカウントしようものなら、十中八九、国家レベルの陰謀や政争に巻き込まれる。俺のモブライフどころか、生命そのものが風前の灯火となる、特大の死亡フラグだ。
「ルナ、帰るぞ! 全力で走れ!」
「えっ、きゃっ!?」
俺はルナの手を引ったくるように掴むと、一目散に行列とは逆方向の路地裏へと駆け出した。とにかく逃げる。視界に入らない。認識されない。それが最善手だ。
だが、作者(神)は、そんな俺のささやかな抵抗をあざ笑うかのように、最も古典的で、最も悪質な罠を仕掛けてきた。
「にゃーん」
路地の角を曲がろうとした瞬間、どこからともなく現れた一匹の猫が、俺の足元に飛び出してきたのだ。
「うおっ!?」
咄嗟に避けようとした俺の体は、無様にバランスを崩し、盛大に宙を舞った。そして、最悪なことに、俺が飛び出した先は、人でごった返す大通り――まさに、お姫様ご一行の目の前だった。
ドッシャーン!という派手な音を立てて地面に叩きつけられた俺。周囲の時が止まる。俺に手を引かれていたルナも、すぐ側で尻餅をついていた。
「な、何奴!」
「姫様から離れろ、不審者め!」
護衛の騎士たちが、一斉に俺へ剣を突きつける。その切っ先が喉元に突きつけられ、俺は完全に動きを封じられた。
(終わった…………)
しかし、本当の絶望は、ここからだった。
俺が転んだ拍子に手放した買い物袋から、さっき買ったばかりのリンゴが一つ、コロコロと転がっていく。そして、まるで意思を持っているかのように、お姫様の豪奢な靴のつま先に、コツン、と優しく当たって止まったのだ。
静寂。護衛の騎士たちは息を呑み、誰もが姫の次の言葉を待っている。
「無礼者!」と斬り捨てられるか。それが一番マシな結末かもしれない。
だが、聞こえてきたのは、俺の予測を裏切らない、最も聞きたくなかった声だった。
「まあ、お待ちなさい。ふふっ……なかなか面白い余興じゃありませんか」
金髪の姫は、扇子で口元を隠しながら、クスクスと楽しそうに笑っている。その瞳は、まるで珍しい玩具を見つけた子供のように、好奇の光で俺を射抜いていた。
《重要キャラクター『第四王女・アリシア』とのエンカウントに成功しました》
《新規シナリオ『王家の秘宝』がアンロックされます》
脳内に響く無機質なシステムメッセージを聞きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
神よ。いや、作者よ。あんた、絶対に性格悪いだろ。




