85.運命のグラス
煌びやかな世界に、足を踏み入れる。
三日間を耐え抜いた殿下と私にとって、ここは最終局面だ。当然のように、私のドレスは気合を入れたものになっていた。
何かあったときに割きやすいようにと計算された特注のドレスだし、侍女三人とデザイナーさんが丹精込めて練ったデザインだ。それはもう美しかった。
すっきりとしたアクアブルーの生地は、つるつる、すべすべとしていて肌触りがいい。薄い生地が重ねられ、ギリギリがキープされている。耳の辺りにも、ドレスに合わせた花が添えられて、軽装ながらも、上品かつ楚々とした可憐な仕上がりになっていた。
このドレスは、戦闘を予想したというものだというのに、こんなに素敵なデザインだと、傷つけるのをつい躊躇ってしまいそうだ。
私にさえそんなことを思わせるデザイナー達の根気を強く感じていると、今日の主役――少なくとも私達にとっては主役だ――がやってきた。
「今宵もとても美しいね、エリザベス嬢」
「今日は気合が入っていますので」
そんな私達の元に、イツメンがやってくる。
アレク、グレン、それにレオ。ライラまで、忙しいはずなのに、今日のために無理やり時間を作り、駆けつけてくれていた。
そう。私は、みんなに事の経緯を話したのだ。
といっても、『殿下が狙われていて、訳あって護衛することになった』というものだったが、それだけでも、話してくれて良かったと言ってくれた。更には、「騒ぎになったら協力する」とまで。
私も作戦にガンガン参加するため、流石に少し止められたが、そこは私の性格をわかって来たのだろう、最終的には止めずにいてくれた。
そんな友人達と何気ない会話を交わし、緊張を解す。
「姉様!危なくなったらすぐ呼んでね?」
「僕に魔力で真っ先に連絡してくれればいい。そのあと、全員に連絡するよ」
「ああ。そうしてくれりゃ、オレもすぐ駆けつけるからな。…ははっ、そんな顔するなって」
「でもやっぱり心配だわ。だって、相手は男かもしれないのよ?もしかしたら…もしかしたら……」
「ハイハイ、ストーップ。不吉なこと言わないの。オレが責任を持って、エリザベス嬢のことを守るからさ?」
「「「「殿下が一番信用できない(わ)」」」」
「なんかそれ酷くない…?」
いつも通りの空気だ。
弾む鼓動が落ち着いた。
「というか、いつの間に仲良くなったんですか?」
「…君には、これが仲良いように見えてるの?」
「だとしたら姉様は前線に出ちゃダメだよ」
「そうね。先にお医者様にかからないといけないわ」
淡々と否定され、あははと愛想笑いを浮かべた。
どう見ても、イツメンの中に入り込んでいるし、仲が良さそうに見えるのだが…。まあ、嫌よ嫌よも好きのうちって言うし、それの派生形だろう。
そう無理やり納得し、いつの間にか雑な扱い方をされるようになった殿下を憐れみの瞳で見つめた。
その時、給仕が通りかかった。
飲み物の入ったグラスをいくつかトレーの上に乗せ、パーティ内を徘徊しているうちの一人だ。
「皆様、お飲み物は如何ですか?」
――そして、その瞬間、警戒度がMAXまで跳ね上がる。
ライラは、極度の緊張に、顔が強張っていた。
それもそうだ。
なぜなら、異物が混入した飲み物を飲まないよう、殿下に飲み物を配膳するのは「たった二人だけ」だと決めていたから。そしてこの給仕は、指定された二人ではない。
つまりコイツは……、組織の息がかかった者だということだ。
「…ふふ、ありがとう。それじゃあ一つ、頂くよ」
「!殿下っ」
「大丈夫」
小声でやり取りをしている間にも、なめらかな動作で殿下はグラスを手に取った。
そして、ゆらゆらと、色を楽しむワインソムリエのように液体を転がす。琥珀色に煌めくそれは、ノンアルだが、大人な雰囲気の殿下にとてもよくマッチしていた。
給仕の方をさりげなく伺うと、何の変哲もない普通の顔で「では、失礼致します」と腰を折り、ゆっくりと次の貴族達の元へ移動する。
毒などを仕込んでいたなら、殿下がどれを選ぶかわからない以上、全てに入れておくはずだ。それをどうするのかと、その後も観察していると、グラスを手に取った中年貴族二人は、口を付けずにそのまま給仕を見送った。
何度か飲むふりをしているが、中身は一向に減っていない。下手な三文芝居である。
ともかく、それであの貴族二人も協力者だと判明した。
組織の人間相手なら、到底わからなかっただろう。
ずぶの素人が役者でよかったと、辛辣なことを思いつつ、グラスの中身を飲み干す殿下を、静かに見届けるのだった。




