79.王子の冷酷なる尋問
「――君を、口説きに来たんだ」
ヴィンセントは、何を考えているのかわからない笑みを浮かべてそう言った。
メイドは、目をぎょろぎょろとさせながら真顔になった。今までに見たことのない人の顔に、それでもヴィンセントは動じない。
「…君のこと、前々から気にしていたんだよ」
「……」
瞬き一つせず、メイドはじっとヴィンセントの顔を見つめる。
「知っているとは思うけれど、オレは……、あまり人によく思われていないから」
ヴィンセントはそう言って、翳りのある笑みを浮かべる。しかし、メイドは、ヴィンセントの真意を探るように押し黙っていた。
「だからね。オレは、本当に君のことを認知していたし、…とても見て、いたんだよ」
「……」
ヴィンセントの声に、切実さが加わった。
だからだろうか。メイドも、狂気にのまれていた部分から、ひょっこり、恋する乙女の部分が顔を出した。
「…ホ」
「ほ?」
「…ホント、に……?」
死んでいた目に、薄っすらとハイライトが灯った。
それを見たヴィンセントは、愛し気に目を細めた。
「ああ、本当だよ」
「…じゃあ、じゃあどうしてあの時…私を…、私を……」
「拒絶したのか、って?」
メイドはじっと見返した。
全てがアンバランスなメイドは、今まで以上に不気味だった。
しかし、ヴィンセントは相変わらずの態度で謳うように紡いでいった。
「それは…実は、…」
彼は、一度躊躇ってから、意を決したように口を開いた。
「…………性行為に、拒否感があったんだ」
「……‼」
「王族としては欠点だし、あまり言いたくなかったんだけどな。…特に君には」
「そ、そんな…」
「それに、レイナーを止められなくてごめん。オレのせいで、こんなところに詰め込まれて…。さぞ辛かったろうに…」
ヴィンセントは、沈痛な面持ちになる。メイドは、すっかり純情乙女の顔をして、今までのことを忘れたかのように「いえっ…いえ、ヴィンセント様のせいでは…‼」と言っていた。
「…ところで、一つ聞いてもいい?」
「私に答えられることならば…!」
ヴィンセントは、言いにくそうに躊躇ったあと、口を開いた。
「……なんで、強引に押し入ってきたのか、聞かせてくれないかな」
「――っ!そ、れは…」
「誰かに唆されたの?それとも脅されて?」
ヴィンセントは、宝石のような瞳を、どろどろとした血液のように変えていた。メイドは、そんな彼に、幸福と恐怖と、そして、恋という名の執着を抱いていた。
だからこそ、躍起になって弁明するのだ。
「…どちらも、違うんです。ただ!ただ、怪しい人が、ヴィンセント様を…恐れ多くも、純潔を奪った後に亡き者にしようということを話していたんです‼だから、だから私、他の女性に汚されるくらいなら、って……‼‼」
「怪しい人?それに、オレを亡き者に…?」
「影に溶け込んでいて、一瞬見えたと思ったら、気付いたらいなくなっていて!黒いローブで全身を覆っていたけれど、それにしては気味が悪くて…‼」
情緒不安定なことを暴露するように、メイドはわっと泣き出した。ヴィンセントも、そんなメイドを見て辛そうに顔を歪める。
「……じゃあ猶更、そんな奴ら、放ってはおけないな。君を陥れたんだから」
「ヴィンセント、さま…」
両者の瞳に、熱が灯ったように見えた。
「だから、その怪しい男と、話していた内容を教えて欲しいんだ。…でも、君にとって辛いことなら、オレは無理には聞き出さないよ」
「……っ」
メイドの目に、大粒の涙が浮かぶ。そして彼女は、全てを話した。事件に何気なく関係ありそうな部分も含めて、洗いざらい吐き出した。彼女の瞳には、自分の想い人が、自分を愛す光景が、紛れもなく映っていたのだから。
「…そんなことが…」
「ヴィンセントさま……、辛かった」
「大丈夫。君はここで待っていて。必ず、奴らを捕らえてみせるから」
甘い微笑みに、メイドは思考を奪われる。
そして、段々と遠ざかっていく背中に、「…あの!」と声をかけさせた。
「?」
くるりと綺麗に振り返ったヴィンセントに、メイドは言った。
「出会った時からずっと、あなたをお慕いしておりました!…ですので、その…どうか、ご無事で」
尻すぼみに小さくなっていくメイドの声。
ヴィンセントはそれを認めると、笑顔を残し、メイドの元から去って行った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
殿下の行動を見ていたリズこと私は、終始寒気を覚えていた。
メイドには”素敵な王子様”に見えていたであろう殿下も、私の目には、修羅か戦争の司令官のように見えていて。これまでの態度とのギャップに、戦慄する。
(…圧倒的なまでの演技、そして交渉術…。容赦なく、完膚なきまでにメイドを騙した…しかも、一言の言質すら許さない徹底ぶり。……こんなに残酷な尋問が、あったなんて)
私が呆気にとられているうちに、ヴィンセントが私の横を通り過ぎる。私も慌ててそれに続いた。
地下牢から出ると、やっと息苦しさから解放された。地下牢の空気は、冷たく冴え冴えとしたこことは対照的に、重苦しく、どこかじっとりとしていたのだ。
(それはそうと…。うう……一体私、何を言えば……)
珍しく、私が悩まされる番だった。
(「あんなに情報を聞き出すとは、お手柄です!」って褒めればいいのかな…?でも、あの尋問を見たあとだとなんかサイコパスっぽい…。じゃあ、「ちょっと可哀そうじゃありませんでした?」かな…。うーん、でも、殿下だって、最善を尽くした結果だろうし……)
うーん、うーんと心の中で唸り続ける。
殿下は、沈黙を貫くそんな私に、苦笑いをした。
「…怖い思いを…させちゃったかな」
「えっ?いえ、そんなことは…」
実際、チビりそうなくらいには怖かった。
怖かったが……、でも同時に、頼もしかったし、有能な人物だともわかった。メイドは罪人なんだし、尋問として考えれば、とても優秀な尋問官だったと言えよう。
だから、一瞬の逡巡が生まれた。生まれてしまった。
「ははっ。レディに気を遣わせるなんて、オレもまだまだだなあ」
「いや……」
それでも、その先が言葉にならない。
メイドが普通の乙女のようだったことも、関係しているのだろう。
残酷さと怖さと、頼もしさと信頼と、嬉しさと悲しさと。
(…友達なのに。私は一体、この人のどこを見ているんだろう)
複雑な感情は、何も言葉にならなかった。
「…着いたし、今日はもうこれでいいよ。親御さんも心配してるだろうし、また今度」
「……すみません」
「もう、謝らないでよ~」と軽い調子で笑う殿下の顔を、私は直視することができなかった。




