76.「私が殿下を抱きしめたら問題になりますし」
全てのうさぎゴンリを食べ終えると、エリザベス嬢は手を摩った。
「寒くなってきましたし、温かいお料理などもお持ちすれば良かったですね…。体の芯から温まれたでしょうし…。シチューとか……。あぁ~…私も食べたくなってきました…料理長にリクエストすれば良かったかな…」
オレは、くすくすと笑う。
「全く…君は案外、食い意地が張ってるんだね」
「食い意っ…違います!いいですか?三大欲求の一つである食欲に、人間は誰一人として抗えません!そして私のこの反応は………」
まだまだ力説を続ける彼女を横目に、
「そっか。食い意地が張ってる君も、可愛いよ」
と言うと、
「全然わかってないじゃないですか⁉」
と返ってきた。
前々から思っていたが、令嬢らしからぬ返事でも、小気味よくて心地よかった。
オレの視界が一層ぼやけた。
多分、もう誰が見ても涙目とわかるぐらいにはなっているだろう。
そんなオレは、ふと思い出した。今のように、虐待まがいのことをされていた時。心も体も冷たく冷え切っていたオレに、ジェラルドが抱きしめ教えてくれた、人の温かさを。
(…って、オレは何を考えて…)
馬鹿馬鹿しいことを考えた、と、すぐさまオレはその考えを振り切った。
例え幼くとも、男女が抱き合うのは基本的によろしくない。
…まあ、一回抱き合ったことはあるけれど。あれは別だ。
それにそもそも、そんなことを、あんな非常時でもない今、彼女がやるとは思えない。
「…あの」
その時、オレの思考を遮るように彼女が声をあげた。
「ん?」
誰もが振り返りそうな甘い「ん?」に、彼女は当然動揺などするはずもなく。ラピスラズリ色の髪の侍女から、あるものを受け取っていた。
「今日は、これもお渡ししようと思っていたんです。どうぞ。…あ、少し熱いかもしれませんが」
「……え?…???」
オレは、渡されたものを見て困惑する。
なぜなら、それは…『ぬいぐるみ』だったから。しかも、可愛いクマのぬいぐるみだ。
「え……っと?」
彼女は、笑いが堪えきれなくなったのか吹き出した。
「あっ…いやっ…ふふ、す、すみません……!その、殿下の困り顔と、困り顔の軟派系美少年がテディベアを抱いているという状況に思わず……ふふっ」
「・・・。」
「す、すみませんでしたって!」
ジトーッとした視線を送ると、顔をふにゃふにゃにしながらそう言ってくる。そういう割には、全くもって反省が感じられないが。
「いやー、作った甲斐がありました!」
ほらやっぱり。
「わっ⁉すみません、すみませんって!つい!口に出てるとは思わなくて…!真剣にやりましょう、真剣に!」
彼女は、んんっと咳払いをしてみせる。
「殿下、それをもうちょっと、ぎゅっ!としてみてください。こう、ぎゅっ!と」
彼女は、ぬいぐるみを抱きしめるような素振りをする。
(…また揶揄われているんだろうなー)
と、本当にそう思いつつ、彼女の言う通りぬいぐるみを抱きしめてみた。
すると――。
「…え?温…かい?」
ぬいぐるみには、じんわりとした温もりがあった。
「そうです。私からの、殿下への誕生日プレゼント。……前みたいな時があっても、私の代わりに、殿下を温めてくれるものが必要だと思いまして!」
「はっ……⁉⁉」
「「「⁉⁉⁉⁉⁉」」」
「流石に、私が殿下を抱きしめたら問題になりますし!どうです?画期的でしょう?」
るんるんでそう言う彼女。
とても、とても可愛いけれど……。
(………火力が強い)
脳内で、さっきの言葉がリフレインする。
『私の代わりに、殿下を温めてくれるものが必要だと思いまして!』
「……ッ」
「…殿下?どうしました?な、なんか、頬もちょっと赤いですよ⁉」
「ちょっと…悪いけど今は放っておいて…」
「ダメです、ムリです!……あ!もしかしなくてもコレですね⁉やっぱりちょっと熱すぎました?ただでさえもふもふなのに、暖房器具のような装置を組み込むと逆上せちゃいます…⁉こ、これでも殿下に献上する前に、沢山試作品を作って検証したんですけど…」
変なところで直球だし、変なところで鈍感だし。変なところで勘違いまで起こしているし。
侍女三人に遠い目をされるのも納得だった。
けれどオレは、今はそんな鈍感な彼女に助けられた。…こんなオレは、あまり見られたくなかったから。
オレは今、誰に言われるでもなく、顔を隠すように、クマのぬいぐるみをぎゅっときつく抱きしめていたのだから。




