75.うさぎのりんごは涙味
「…え?君が、なんでここに…?」
「?いえ、友達が困ってないかなあと思って来たんですけど、邪魔でしたか?」
オレの目には、きょとんとしたエリザベス嬢が映っている。
あんなに煙たがっていたはずのオレを友達と呼んでいるし、そもそも、悪い噂の渦中にいるオレの部屋に来ているし。
夢かと思って目をこすると、「現実ですし、元々腫れてるんだから悪化させないで下さいよ⁉」と言われてしまった。
「……もしかして、オレのこと、心配して…来てくれたの?」
自分でも驚くほど、純粋な少年のような声音だった。
それには彼女も驚いたのか、「そんなに不思議ですか?」と聞き返される。
「はい、心配して来て差し上げましたよ?一応、殿下も私の友達ですから」
…どうやら、本当に友達認定されているらしかった。
しかも、心配という一点だけで。
「それだけで…?」
「勿論です。それに殿下、何やら風評被害に遭われているようですし、気にしてなければいいなーと」
そんな呑気さに、心がささくれ立ってくる。
(……オレは、何もかももうダメなのに…善意だけで来るわけがない。やっぱり実は冷やかしに来たんじゃないのか。あんなに軟派系で通っていたオレが、こんな無様を晒しているから…)
政治で培われた穿った見方が、余計な反発心を育てた。
「わかっていて来るなんて……。…もう帰りなよ。オレと居たら、君にまでよくない噂が立っちゃうよ?」
膝を抱えて、床に座る姿勢は崩さない。
もう、何も、誰も見たくなかったのだ。
しかし、結構突き放すように言ったのに、彼女は飄々として言った。
「覚悟の上で来ましたし、どうってことありません。そんなことより……ほら!」
ガサゴソしてから何かを取り出した気配がするが、意地でも目は向けてやらない。しかし、マイペースなのか鈍感なのか、「お見舞いの果物持って来たんです」と躊躇なく続ける。
「果物なら、殿下も食べれるかなと思って」
「…いや、だからって…」
その時、人が動く気配がした。
ドキリとして咄嗟に顔を上げると、いつの間にか、侍女三人が壁に控えていた。主人の命令とわかるはっきりとした動きと、そこから透ける彼女の意思に、オレは目を見開いた。
「さ、殿下。椅子にお座りになるか、ベッドに横になるかなさってください。とりあえず、体の楽なところに」
「…はは、ほんとに君には敵わないな」
その時、意地になって断ることもできたが……、なんだか抵抗する気になれず、言われるままにベッドに座った。もう、メイドと彼女が被ることはなくなっていた。
しかし、オレは社交・政治慣れしている。
故に、まだ彼女の奇天烈な言動を疑っていた。穿った見方、というやつなのだろうが、簡単に人に背中は預けられない性質なのだ。
(…本当にこの子は、何をしようとしているんだ?)
ジェラルドにされたら嬉しい心配でも、他人だと、警戒心が前に出て来て、あまり素直に喜べない。
そんな時、彼女ににっこりと微笑まれた。
「果物はどうします?私が毒見をしても構いませんが」
「…頂くよ。君からの差し入れだから」
そんなオレを見る彼女の目は、とても嬉しそうだった。
「…やっと、殿下お得意の誑し込みスマイルが浮かべられるようになりましたね」
オレと侍女三人は、唖然として彼女を見守っていた。
そんな中、彼女だけがシャキシャキ動く。
果物ナイフとゴンリ(日本名:リンゴ)を受け取った彼女は、器用にゴンリをカットして、持参してきた皿にそれを並べた。
「…これは?」
不思議な形をしているので尋ねると、「うさぎです」と言われた。
確かに、ぴょんと跳ねているところがうさぎの耳のようにも見える。
「ちょっと可愛くありません?」
そう言うと、ぱくっと一個目をそのまま口に放り込む。そして、目を閉じ、しゃりしゃり言わせながら味わっていた。さりげない毒見である。
「…ふふっ。確かに可愛いね。…君が、だけど」
「話術も健在のようで、何よりです」
悪戯っぽく微笑む彼女は、警戒して手を伸ばさないオレに焦れて、もう一個ぱくっと頬張る。そして、何かを懐古するような……それでいて、途轍もなく、深い深い愛情が込められたような笑顔を見た。
(――‼‼)
急に、胸が締め付けられたように痛くなった。
……純粋に、最高にかわいいと思った。
「ゴンリが……」
「はい?」
「ゴンリが好きなの?」
そう尋ねると、きょとんとしていたが、「顔に出てましたか」と恥ずかしそうに笑った。
「ゴンリも好きですよ。でも今、昔のことを思い出していたんです」
「昔…?」
「はい。昔といっても、長い夢を見ていた時の話なのですが…。…遠き日の弟は、病室でこれを作ってあげると、焦ってリンゴ…じゃなかった、ゴンリに手を伸ばしていたな、と…ふと思い出しまして」
弟、か……。
「それが可愛くて仕方なかったんですよね。ふふっ……、焦らなくても、とっておくのに…」
まだ見ぬその弟が、少し、羨ましかった。
「…妬けるなぁ」
「?」
口をついて出た言葉に驚いて、つい誤魔化す。
「何でもないよ。じゃあ、エリザベス嬢に食べつくされないうちに、オレも食べようかな」
「!はい…是非、そうして下さい。殿下、シャレにならないほど草臥れてらっしゃるので」
「それ、本人を前にして言うことじゃないと思うなー……」
そう言いつつ、オレもゴンリをぱくっと頬張る。
すると、ゴンリの水分が乾いた喉に沁みて、幸せな甘酸っぱさがオレの心を潤した。
「……美味しい」
涙腺が、少し緩む。
どうか彼女にだけはバレていませんように、とそう願った。




