70.日本語の怪文書
…あのパーティから数か月経ち、今日も今日とて、王家の紋が付いた手紙を虚無の表情で眺めていた。
「……また例の方からですか?」
「うん。そうだね」
例の方とは勿論、あの私の恥製造機と化していた黒髪赤目王子のことだ。というのも、あれから手紙が送られてくるようになってしまったのだ。それも、絶妙な期間をあけてなので性質が悪い。もうすっかり、侍女三人以外の使用人と両親はその気になりつつある。両親は、何か変なところで迷っているらしくまあ助かっているが。
いつものように、溜息を吐きながら受け取った手紙を開こうとした。
その時、カサッと何かのカードが落ちた。
「あっ…」
「!どうぞ‼」
すぐ気付いて拾い、手渡してくれたリリーに「ありがとう」と言いながらそのカードを見る。そして、目に入ってきた文字に愕然とする。
「…”日本語”…⁉」
小首を傾げる三人に構わず、私は、優雅さの欠片もない仕草で、食い入るように文字を追った。
『吸血王子は今宵傷を負う』
「……何これ、怪文書?でも…」
ここからは口に出さない方がいいと直感的に感じたので、思考に切り替える。
(…でも、日本語で書かれていたから信憑性は高いはず。私と違って、「こーらぶ」をプレイしていた元プレイヤーが送って来てくれたのかもしれないし)
そう思うと、送り主が誰なのか書いていないところも痛かった。
(…そういえば、怪しさ満点なのに、よく手紙チェック通れたな)
基本的に、危ないものではないかを厳しくチェックされてからここに辿り着くはずだ。なぜこんな怪しさ満点の手紙が検査をクリアできたのかが不思議でならない。
(それはあとで担当に聞いてみよう。そして、肝心の内容だけど…『吸血王子は今宵傷を負う』…か。…うーん、暗号にしたいけど暗号にしきれず曖昧な表現でぼかすしかなかったっていうこの人の辛さが伝わってくる……。なーんか見たことがあるような書き方なんだけどなぁ…)
すぐには思い出せず、むむむと唸る。
(まあ、今はこっちが先決か。『今宵』って書いてるし、あんまり時間もないのかも…。で、この『吸血王子』は間違いなくヴィンセント第二王子殿下のことだから…。何等かの方法で傷つけられてしまう、だから、多分…仲良しそうに見えて、身分も高く、権力的に大きい私に送った…って感じか)
とりあえず、その同郷者なりに、殿下を救おうとしているのだろう。……もしかすると、罠かもしれないが。
(でもなぁ……。今夜傷つけられるって書いてたし…、そのまま『あ、今傷つけられてるのかあ。おやすみー』って寝ても…寝れるけど、な~んか寝覚め悪いしなー……。…それに)
脳裏に、懐かしの親友の姿がふっと蘇る。
(……あの子の二推しだったもんな、殿下)
そういえば、アレクと殿下の名前だけ聞く頻度がずば抜けて高かったのを思い出す。アレクが~ヴィンセントが~と言って布教するのを、ずっと赤べこのように頷いて流していたのだ。
「…はぁ。しょうがないですね…。殿下、私の親友にくれぐれも感謝して下さいよ」
そう言うと、オーダーメイドの戦闘服とナイフをひったくるように掴み、勢いのまま窓から飛び降りた。「ちょっとだけ行ってくるー!一時間後には帰ってくるから‼」と落ちながら言うと、鬼の形相をした三人が何か言っているのが聞こえた。が、それを無理やり振り切って、王城の方へと向かったのだった。
……え?なんで連れて行かなかったのかって?そんなの……
「思いっきりダメなことをするからじゃんね」
全てはこういうことであった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
バルコニーから引きあげて、ジェラルド――オレの恩師だ――に挨拶をし、下がらせてから、いつも通りの自室に戻る。
……使用人部屋や下女の部屋よりも、各段に暗く、汚く、臭い部屋だ。
お付きの者は誰一人いない部屋で、オレは夜着に着替えていた。
外部の者は知らないが、内部の者はみんな知っている。オレが冷遇され続けてきたことを。
きっと、キラキラしたオレしか見ていない外部の者は、この惨状を見たら腰を抜かしてしまうだろう。それほど、普段のオレとの落差が激しい部屋だった。
狂った側室の子で、ヴァンパイアというだけで――父親と母親が人間なのにヴァンパイアだったというだけで――その二点だけで、生まれてからずっと、オレは忌み嫌われてきた。
(……絶対に、許さない)
オレが王城での地位を上げた途端に、すぐに手のひらを返してすり寄ってきた貴族どもの顔を一人残らず思い出す。オレの復讐計画のためでもあり、また、理想の世界を作り上げるための革命計画のためでもあった。
(…さて、今日も少し考えてから寝ようかな)
もう少しで着替えが終わりそうで、やっと少しだけ休憩できる、そう思った矢先、急にぎぎい…っという音がした。王宮には似つかわしくない音、けれどそれは、オレの部屋の扉の音だった。というか、ここまでの老朽化の音は、オレの部屋しかしない音だ。だが今は、それよりも……。
(なんで警備がいないんだ⁉いくら呪われた王子だからといっても警備はいたのに…。それに、あのメイドは……)
目をギラギラとさせて、恍惚とした表情をした、まるで獣のようなメイドが、開け放たれた扉からこちらを見ている。間違いなくあのメイドが扉を開けた犯人だろう。
メイドは、そのまま涎でも垂らしそうなほど狂気的な姿だった。
しかし、このメイドはどこか見覚えがある。
(…パーティで不審だったあのメイド…途中からずっと、オレをジロジロニヤニヤ見続けてきたやつだ)
扉付近にずっと立ち続けているメイド。
しかし遂に、ゆっくり、一歩一歩近付いてくる。
一歩近寄られるごとにこちらも一歩後退していたが、予想通り、すぐに背中が壁についた。すると、メイドは三日月のように薄気味悪く口角を上げ、覚束ない足取りでこちらへと迫ってくる。
不規則な速さで、しかし目だけはオレを捕らえて離さない。
得意な政治の場で培った胆力も、この場では役立たず。声も面白いほど掠れた。せめてもと、恩師のジェラルドから教わった護身術をと構えをとった。
貞操を、そして何よりやっと抱いた野望を、そう簡単に手放すわけにはいかなかった。




