66.Shall we dance?
「こんにちは、レディ」
「…ご機嫌よう。第二王子殿下」
そう。それはまさしく波乱。
多くの令嬢からの嫉妬の視線を集めているという意味でも、目の前の切れ者そうな王子を捌かなければならないという意味でも。そして、可愛いレオが私を守るように立ち塞がってくれたこの喜びが、胸の中で暴れまわっているという意味でもそうだ。
(ああ――)
人知れず、天を仰ぐ。
(がわいいっっっ……!!)
一番の精神攻撃を味方から食らった私は、一瞬怯んだ。それを何と思ったのか、第二王子殿下は、危険そうな甘い笑みをさらりと浮かべた。
「いやだなぁ、オレのことはヴィンセントでいいよ。堅苦しいのは嫌いなんだ」
「…わかりました」
この状況に興奮気味の私は、虚ろな瞳でそう答えた。
しかしその間にも、私を除いた二人の間で会話が進んでいく。
「流石です!じゃあボクも、遠慮なくヴィンセント様ってお呼びしますね?」
「本当に?嬉しいなぁ。エリザベス嬢の弟君に、そんなに親しげに呼んでもらえるなんて」
「殿下…ボクは、姉様の弟としてではなく、ボクとして殿下とお付き合いしていきたいです。ダメ…ですか?」
「ダメなわけないよ。ただ、今後とも仲良くしていきたい二人が姉弟で嬉しいってだけさ」
(…ワァー、イチャイチャシテルー…簡単にレオはあげないけど…)
…火花を散らす二人のことも、今の私には、イチャイチャしているように見えていたらしい。私の中で、『二人は仲が良いらしい』という認識が出来上がった。
(二人とも楽しそうだし、ヴィンセント様も、ちょっと胡散臭そうだけど、レオの友達なら尊重しなきゃだなぁ…。ってことで、お邪魔虫は退散退散)
そう考えて、会話が一段落したらしいが未だ恋人同士のように見つめ合っている二人に声をかけた。
「では、お話が盛り上がっているようですので、私は別のところに行っていますね」
「!えっ、姉様!?今のどこを見て…って待って!!」
「おっと……それはオレも困るな。エリザベス嬢」
優しく、けれどしっかり右手首を掴まれる。振り返ると、ガッツリ嫌そうな表情をしたレオと、ミステリアスでどこか色気のある笑顔を称えたヴィンセント様が目に入った。
「離して下さい」
「ううん…ごめんね。残念ながらそれは出来ないんだ。だってオレは――」
瞬間、瞳のルビーが貪欲な光を持った。
「――君を、ダンスに誘いに来たんだから」
その瞳が、獲物を見つめるように細められたと同時に、ざわ――っと空気が揺れた。盗み聞きしていた貴族達が反応したのだ。
そして、つい私も目を大きく見開いてしまった。
(だって……初対面の相手を婚約者に望むなんて…!)
今日は、ヴィンセント様の十六歳の誕生日でありデビュタント。
つまり、これは正真正銘、紛れもなくヴィンセント様のファーストダンス。そんな特別なイベントを、親族以外に、更に自主的に頼んだとなれば、それはもう、『婚約者は私が良い』と言っているようなものなのだから。
後ろで「はあっ!?」と裏返ったレオの声が聞こえる。視界の端に、ぽかんとしているアレクやグレン、そしてなぜかキーッとハンカチを噛み締めているライラまで目に入ってきた。
そして、会場全体が騒然としている間に、ヴィンセント様はあろうことか、私の前で片膝をついてしまった。
「どうかオレと踊って下さい。エリザベス嬢」
恋するような顔でうっとりと見つめられる。しっとりとした純黒の髪が、私の眼下でさらさら揺れる。まるで命令のように――甘く、それでいて有無を言わせぬ声だった。
危険な甘い笑みを、どうして切れ者そうなこの王子が私だけに向けるのかはわからない。…しかし相手が王族であり、これが命令である以上、断る選択肢など、最初から存在しなかった。
(…あぁ、わかったわかった。じゃあせめて、百個ぐらい粗を探して家への土産にしてあげる)
急激に溜まった鬱憤を晴らすかのように、私は、差し出された彼の手に、自らの手を、叩きつけるように乗せてやった。
「……はい。ぜひとも喜んで」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
ダンスホールのど真ん中に私をエスコートしてくれやがったヴィンセント様は、ホールドをとる。私も、お前の意のままにはなってやらないという強い意志を込めてホールドをとった。
そしてやがて、演奏が始まる。私の深い青色のドレスと、彼の黒いタキシードが、絶妙な余韻を残しながらくるくると舞う。
そんな時、ヴィンセント様がふとしたように口を開く。また熱烈な視線を寄越しながら。
「…君のこと、ずっと前から気になっていたんだ。話せたなんて、本当に今日はツイてるな」
「本当ですか。能力を買って下さるなんて、光栄です」
わざと論点をずらしてみる。
あくまでこのダンスは、相手の出方を探るためのもの。私に接近しようとした理由は何なのかを突き止めるための仕事なのだ。
しかし、私の罠にみすみす引っかかるわけもなく、ヴィンセント様は「あはは、能力のことじゃなくて…君自身だよ」と笑ってみせた。
「…ふふ」
「…どうか…しましたか?」
急にくすくすと笑い出したヴィンセント様に、嫌々ながら尋ねる。案の定、待っていましたというように「いやね…」と流暢に言葉が出てきた。
「……本当に、君は綺麗だなと…そう思って。変わらないね、あの時から…」
「あの時…?」
そう言うと、急に一瞬、彼は泣きそうな顔になった。くしゃりとして涙腺も緩んでいるその顔は、幻かのようにすぐに消え失せた。が、いきなりのことに、流石に心を乱される。
そして、優しく、ともすれば縋るように手を包みこまれる。…温かい手に、ざわついていた心が落ち着いていく。
「…かなり昔のことだから。覚えていなくても仕方ないよ。ただ、君に助けられたことがあったんだ」
「昔に、私が…?」
「そうだよ。その時からずっと、君だけを想ってきたんだ。そう、ずっと……。…って、こんな話をしても困らせるだけだね。今の話はどうか忘れて」
「え……」
(よりによって、昔…?お兄様みたいに、この王子のことも助けていた?いや…そんなはずは…。でも実際にお兄様は助けていたんだし、もしかしたらどこかで……)
ふざけた嘘か、真実か。何より、どちらにしても、この王子が恋する乙女は私ではないため、判断出来ないというのが一番困ったことだった。
それについて考え込んでいると、不意にぐっと強く引き寄せられる。
――そして、鼻がくっつきそうなほど顔が近付いた。
「――っ!!」
心拍が一気に狂う。
バクバクと煩い心臓も、純粋に赤くなってしまった頬にも、コメントするなら舌打ちしかない。そして、そんな私を見て、とても嬉しそうにヴィンセント様は微笑んだ。
「…あれ?もしかしてこういうの、慣れてない?」
「お言葉ですが、慣れていたら大問題です‼」
「っはは、それもそうだね」
蕩けそうなほど甘く笑う目の前の少年を、強く睨む。
前世も合わせて慣れていないのが悔しいが、一応私は十四歳だ。なら、この方が後々のためにもいいだろう。…うん、そう言い訳をしておいた。
けれど、私の反応が思ったよりも楽しかったのか、ダンスに至近距離が増える。鼻の先がくっつきそうな程ではないけれど、家族とは近付けたことのないほど近い距離。
私とヴィンセント様が近付く度に、色々な種類の押し殺した叫び声が聞こえてきた。
「…ねぇ、オレの本気、感じてくれた?」
ふわっとターンをさせられたあと、抱き込まれるように引き戻される。逸らし続けてきた目が、バチリと合う。
(……あ〜…最悪だ…その表情は狡い…っ)
悔し紛れに目を逸らす。その反応すらも楽しまれているのもわかっているのに、そうするしかなかった。それからも、彼の方を見たいような、見たくないような、そんなよくわからない逡巡をずっとしていた。
(だって、あんなの…)
一瞬前の顔を思い出す。
真剣で、ただの恋する少年のような顔。あれが演技だとしたら、私は全力で褒め称えたい。
……少なくとも私は、一瞬、本気で彼を信じてしまっていたのだから。
年齢の表現を訂正しました(2025/8/17)




